コンテンツにスキップ

小田切春江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小田切 春江(おだぎり しゅんこう、文化7年(1810年) - 明治21年(1888年10月19日)とは、江戸時代から明治時代にかけての名古屋浮世絵師画家

来歴

[編集]

高力猿猴庵及び森高雅の門人。小田切氏、名は忠近。俗称は伝之丞。春江、歌月庵喜笑と号す。尾張藩藩士で禄高100石を営む小田切松三郎の長子として名古屋に生まれる。作画は天保から明治にわたる。天保9年(1838年)に家督を継いで藩の馬廻役、天保12年(1841年)に大番組となった。この年、名所図会制作のために尾張国内を歩いて回る。以降、幕末にいたるまで絵画地図版本などを旺盛に制作している。春江の絵は徹底して細密に描く点に特徴があった。元治元年(1864年)には書院番となり、明治に入って家督を子の春陵に譲った後、神職についた。また、明治13年(1880年)には名古屋博物館付属員となって工芸、意匠方面における指導的立場にたち、翌明治14年(1881年)、奈良東大寺の古器物及び古模様などを臨模、工芸界の人々に参考として提供、工芸デザイン面や地図、名所図会の方面に多大の貢献をする。門人に実子の小田切春陵がいる。名古屋区久屋町で没す。享年79。墓所は千種区平和公園の高岳院墓地。法名は唯称院清誉春江。

作品

[編集]
版本
  • 尾張名所図会』 名所図会 岡田啓・野口道直撰 弘化元年(1844年)
  • 『名区小景』 嘉永元年(1848年)
  • 『尾張英傑画伝』 伝記 自画作 嘉永5年(1852年)
  • 『奈留美加多』
肉筆画
作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
羽豆岬 絹本着色 1幅 名古屋市博物館 天保12年(1841年)
名古屋城俯瞰図 絹本着色 1幅 名古屋市博物館 天保13年(1842年)賛 款記「春江」 林通成賛[1]
三国嶺雅遊図 絹本着色 1幅 名古屋市博物館 嘉永7年(1854年)
農耕図 紙本着色 1幅 名古屋市博物館 款記「春江謹圖」[2]
参府行列図(尾張家参勤交代図) 紙本着色 28.8X2588.2 徳川美術館
五月節供初幟図(徳川義宜初節供) 1幅 62.5X108.6 徳川美術館
清須総図 紙本著色 1幅 39.3x97.5 個人 江戸後期~明治 款記「春江圖」[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 三英傑と名古屋」展実行委員会編集・発行 『平成26年度名古屋市博物館特別展 三英傑と名古屋』 2014年10月24日、p.118。
  2. ^ 安城市歴史博物館編集・発行 『開館二〇周年記念特別展 描かれた農 四季耕作図』 2011年2月5日、p.68。
  3. ^ 名古屋市博物館編集 『名古屋400年のあゆみ』 「名古屋400年のあゆみ」実行委員会(名古屋市博物館・毎日新聞社)、2010年1月8日、p.11。

参考文献

[編集]