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小坂善太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小坂 善太郎
こさか ぜんたろう
『政府の窓』1960年8月1日号より
生年月日 (1912-01-23) 1912年1月23日
出生地 日本の旗 日本 長野県長野市
没年月日 (2000-11-26) 2000年11月26日(88歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都大田区
出身校 東京商科大学(現・一橋大学
前職 三菱銀行社員
信越化学工業常務取締役
所属政党無所属→)
民主党→)
自由党→)
自由民主党大平派→無派閥→中曽根派
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
衆議院永年在職議員
配偶者 前妻・小坂直子
後妻・小坂益子
子女 次男・小坂憲次(第7代文部科学大臣
親族 祖父・小坂善之助(元衆議院議員)
父・小坂順造(元貴族院議員
弟・小坂徳三郎(第53代運輸大臣

日本の旗 第83-84・99代 外務大臣
内閣 第1次池田内閣
第2次池田内閣
第2次池田第1次改造内閣
三木改造内閣
在任期間 1960年7月19日 - 1962年7月18日
1976年9月15日 - 1976年12月24日

内閣 第2次田中角栄内閣
在任期間 1972年12月22日 - 1973年11月25日

内閣 第5次吉田内閣
在任期間 1954年7月1日 - 1954年10月1日

日本の旗 第8代 労働大臣
内閣 第5次吉田内閣
在任期間 1953年5月21日 - 1954年6月16日

選挙区 (長野県全県区→)
旧長野1区
当選回数 16回
在任期間 1946年4月11日 - 1983年11月28日
1986年7月7日 - 1990年1月24日

その他の職歴
第19代 自由民主党政務調査会長
(総裁:佐藤栄作
1971年 - 1972年
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小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年明治45年〉1月23日[1] - 2000年平成12年〉11月26日)は、日本政治家位階正三位自由民主党衆議院議員(16期)。外務大臣(第838499代)、経済企画庁長官第23代)、国家公安委員会委員長初代)、労働大臣第8代)を歴任した。

来歴・人物

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大韓民国中央情報部(KCIA)の金鍾泌長官と小坂(1962年2月)

長野県長野市出身。学習院を経て、1935年(昭和10年)に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業する[1]上田貞次郎ゼミナール)。三菱銀行勤務や信越化学工業直江津工場長、同社取締役を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に長野1区(当時)から立候補し、初当選する[1]。以後、当選16回(当選同期に二階堂進江﨑真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男村上勇川崎秀二井出一太郎早川崇中野四郎など)。片山内閣で9か月間大蔵政務次官を務める。1948年(昭和23年)、梅林組及び竹中工務店に対する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[2]

吉田茂に目をかけられ、衆議院予算委員長や第5次吉田内閣労働大臣を務めた[1]

1960年(昭和35年)、第1次池田勇人内閣外務大臣に就任する[1]アメリカと協調しながら、高度経済成長による経済大国の建設を目指す池田外交を大平正芳と共に推進した。その後、経済企画庁長官や自民党政務調査会長、外交調査会長を歴任する。小坂の外交路線はいわゆる「ハト派」で、1972年(昭和47年)の日中国交正常化では、議員外交を展開、日中国交正常化協議会会長として、田中角栄首相の訪中の地ならし役を務めた。

三木改造内閣では三木武夫に求められる形で外相に就任するが、直後に大平派から離脱する。1980年(昭和55年)に大平内閣不信任案が可決された時には、風邪を理由に本会議を欠席した。1983年(昭和58年)12月の第37回衆議院議員総選挙では田中秀征の台頭により初めて落選を喫すが、1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙(衆参同時選挙)で国政に復帰し、以後は中曽根派に所属する。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙には不出馬を宣言、次男の憲次に地盤を譲り、政界から引退した。引退後も国際親善などの分野で活動し、1995年(平成7年)には国連50周年記念国内委員会委員長を務めた。

1982年(昭和57年)に勲一等旭日大綬章を受章。同年に国連平和賞受賞。

2000年(平成12年)11月26日、腎不全のため東京都大田区の自宅で死去した[3]。88歳没。墓所は多磨霊園(8-1-13)。

親族関係

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 『閨閥』、324頁。
  2. ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第23号 昭和23年5月21日
  3. ^ Sankei-national”. web.archive.org. 2024年5月28日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版
  5. ^ 『閨閥』、320-322頁。
  6. ^ a b c 『閨閥』、320-321頁。
  7. ^ 『閨閥』、320-321頁、323頁。
  8. ^ a b 『閨閥』、320-321頁、325頁。
  9. ^ 『閨閥』、320-321頁、324頁。
  10. ^ 小坂善太郎「議員外交四十年-私の履歴書」P76-77
  11. ^ 『閨閥』、320-321頁、326頁。

参考文献

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  • 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント立風書房1981年(昭和56年)10月30日発行
  • 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年(昭和59年)10月15日発行、352頁 - 353頁
  • 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年(昭和61年)12月10日発行、303頁 - 304頁
  • 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年(昭和63年)11月15日発行、316頁 - 317頁
  • 小坂善太郎 著 『議員外交四十年―私の履歴書』 日本経済新聞社

関連項目

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外部リンク

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議会
先代
植原悦二郎
日本の旗 衆議院予算委員長
1950年 - 1951年
次代
塚田十一郎
公職
先代
宮澤喜一
藤山愛一郎
日本の旗 外務大臣
第99代:1976年
第83・84代:1960年 - 1962年
次代
鳩山威一郎
大平正芳
先代
有田喜一
日本の旗 経済企画庁長官
第23代:1972年 - 1973年
次代
内田常雄
先代
設置
日本の旗 国家公安委員会委員長
初代:1954年
次代
小原直
先代
戸塚九一郎
日本の旗 労働大臣
第8代:1953年 - 1954年
次代
千葉三郎
党職
先代
水田三喜男
自由民主党政務調査会長
第19代 : 1971年 - 1972年
次代
櫻内義雄