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安倍房上

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
安倍房上
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
別名 氏:安部
官位 正五位下大和守
主君 文徳天皇清和天皇陽成天皇
氏族 安倍氏
父母 父:安倍吉人
兄弟 房上、大家
安倍恒材
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安倍 房上(あべ の ふさうら/ふさかみ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。氏は安部とも記される。治部卿安倍吉人の子。官位正五位下大和守

経歴

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斉衡3年(856年従五位下叙爵し、大炊頭に任ぜられるが、まもなく安房守に転じる。

清和朝に入り、散位を経て天安2年11月(859年1月)大判事に任ぜられる。翌天安3年(859年土佐守図書頭治部少輔と短期間に官職を転々とする。貞観4年(862年尾張守として地方官に転じる。貞観10年(868年弾正少弼と京官に復帰するが、翌貞観11年(869年)従五位上・丹波権守に叙任され、再び地方官に転じた。

貞観18年(876年笠弘興と共に大極殿放火の疑いをかけられ拘禁されるも[1]。結局罪に問われなかったらしく、元慶2年(878年河内守に復して、元慶6年(882年)正五位下・大和守に至った。

官歴

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系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観18年4月11日条
  2. ^ 日本文徳天皇実録』斉衡3年正月7日条
  3. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡3年3月11日条
  4. ^ 『日本文徳天皇実録』斉衡3年5月25日条
  5. ^ 『日本三代実録』天安2年11月25日条
  6. ^ 日本三代実録』天安3年正月13日条
  7. ^ 『日本三代実録』天安3年2月13日条
  8. ^ 『日本三代実録』天安3年4月9日条
  9. ^ 『日本三代実録』貞観2年閏10月25日条
  10. ^ 『日本三代実録』貞観4年正月13日条
  11. ^ 『日本三代実録』貞観10年2月17日条
  12. ^ 『日本三代実録』貞観11年正月7日条
  13. ^ 『日本三代実録』貞観11年正月13日条
  14. ^ 『日本三代実録』元慶2年正月11日条
  15. ^ a b 『日本三代実録』元慶6年正月7日条
  16. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻5,阿倍
  17. ^ 「安倍氏系図」(『続群書類従』巻第170所収)による推測(宝賀[1986: 372])

参考文献

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