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太田橋 (砺波市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太田橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 富山県砺波市
交差物件 庄川
用途 道路橋
路線名 国道359号(旧道)
管理者 富山県砺波土木センター
施工者 富山県(RC橋)
着工 1935年昭和10年)5月31日(RC橋)
竣工 1938年(昭和13年)6月30日(RC橋)
1976年(昭和51年)5月15日(鋼橋)
座標 北緯36度37分45.5秒 東経137度0分3.4秒 / 北緯36.629306度 東経137.000944度 / 36.629306; 137.000944 (太田橋)
構造諸元
形式 桁橋
材料 鉄筋コンクリート(旧橋)
(新橋)
全長 444 m
11.3 m(新旧橋の合計)
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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国道359号標識
国道359号標識

太田橋(おおたはし、おおたばし)は、富山県砺波市太田と安川を結ぶ庄川に架かる国道359号(旧道)の桁橋である[1]

概要

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太田橋の橋名板には「おおたはし」と書かれている。
  • 左岸 - 富山県砺波市太田[1]
  • 右岸 - 富山県砺波市安川[1]

旧橋

  • 形式 - RC3径間連続桁橋5連
  • 橋格 - 第3種
  • 橋長 - 443.0 m
  • 有効幅員 - 5.5 m[2]
  • 橋脚 - 鉄筋コンクリート
  • 基礎 - 小判型井筒基礎
  • 施工 - 富山県直営

[3][4]

新橋

[4]

旧橋のRC橋は戦前のRC連続桁として日本最長であった。また、高欄には開口型の尖頭アーチによるデザインがなされている[5]

右岸にはリバーサイドパークが設けられていて、春はの花が満喫出来る[6]

歴史

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文久年間より渡し舟が設置されていたが、明治初年に舟橋が架設された[2]

その後、1898年(明治31年)に庄川両岸(太田 - 般若)の有志が、富山県知事に『私設橋梁架設免許』を出願し、許可を得て、1900年(明治33年)3月に木製の釣橋『庄川橋』(長さ246間、幅員1.66間[7])が私設された。当時は橋の中央部に社団法人庄川架橋社株式会社の番人小屋が設置されていて、大人一人7の橋銭を徴収する賃取橋であった[8][9]1912年(明治45年)に富山県に管理が移管され、現在の橋の名称に改称。同時に無料の橋となった[1]

1934年昭和9年)に木橋が洪水で流失したのを機に、通行車両の増大に対応した鉄筋コンクリート橋(RC橋)に架け替えられることになった[2][1]。架替は指定府県道音川出町線の橋梁として富山県直営で実施され1935年昭和10年)5月31日に着手し、1938年(昭和13年)6月30日に開通した[3][4]。その後、RC橋の上流側に2本目の橋が架けられ上下2車線化され、1976年(昭和51年)3月に竣工[10]、同年5月15日に開通した[11]。この2本の橋が現在の橋である[6]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 『富山大百科事典 上巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)282頁。
  2. ^ a b c d 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)189ページ
  3. ^ a b 富山縣土木課「太田橋と城光寺橋との新粧成る」『道路の改良』第20巻第8号、道路改良會、1938年8月1日、2022年1月12日閲覧 
  4. ^ a b c 太田橋1938-6-30”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2022年1月12日閲覧。
  5. ^ 土木学会土木史研究委員会 編『日本の近代土木遺産 : 現存する重要な土木構造物2800選』(改訂版)土木学会(発行)丸善(発売)、2005年12月15日、154-155頁。ISBN 9784810605518 
  6. ^ a b 『保存版 砺波・小矢部今昔写真帖』(2002年9月28日、郷土出版社発行)70 - 71頁『今昔64 砺波市太田橋 複線化された』より。
  7. ^ 『富山縣紀夢』(1909年9月26日、富山県発行)238頁。
  8. ^ 『写真集 富山県100年』(1989年6月10日、北日本新聞社発行)240頁。
  9. ^ 『目で見る 砺波・小矢部の100年』(1993年12月13日、郷土出版社発行)46頁。
  10. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第3巻』(2000年11月26日、北日本新聞社発行)32頁。
  11. ^ 『砺波市五十年史』(2004年3月25日、砺波市発行)537頁。

関連項目

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外部リンク

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