大山敷太郎
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人物情報 | |
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生誕 |
1902年12月1日 日本愛知県渥美郡 |
死没 | 1975年1月31日 (72歳没) |
出身校 | 京都帝国大学 |
子供 | 大山喬平(日本史研究者) |
学問 | |
研究分野 | 経済学(経済史) |
研究機関 | 立命館大学、甲南大学 |
学位 | 経済学博士 |
大山 敷太郎(おおやま しきたろう、1902年12月1日[1] - 1975年1月31日[2])は、日本の経済学・経済史学者。
経歴
[編集]- 出生から修学期
1902年、愛知県渥美郡花田村で生まれた[3]。京都帝国大学経済学部で学び、1928年に卒業した[4]。同大学大学院に進学。
- 経済学者として
1932年、京都帝国大学経済学部の助手に採用された。1933年から1940年まで、大蔵省の委託で『明治・大正財政史』の編纂にあたった。1941年、立命館大学経済学部教授に就いた。1950年、学位論文『近世交通経済史論』を立命館大学に提出して経済学博士の学位を取得[5][6]。戦後の1956年、甲南大学経済学部教授。1973年に甲南大を定年退職し、名誉教授となった[1]。1975年に死去。
受賞・栄典
[編集]家族・親族
[編集]著作
[編集]- 著書
- 編纂
- 論文
参考文献
[編集]- 署名なし(編)「大山敷太郎先生略歴・著書・論文および辞典」『甲南経済学論集』第14巻第1号、甲南大学経済学会、1973年、163-170頁、NAID 40001239627。
脚注
[編集]- ^ a b 署名なし 1973
- ^ 『著作権台帳』
- ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」2004年刊
- ^ 京都帝国大学 編『京都帝国大学一覧 昭和4年』京都帝国大学、1929年、734頁。
- ^ CiNii(学位論文)
- ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2018年11月28日閲覧。
- ^ 恩賜賞・日本学士院賞・日本学士院エジンバラ公賞授賞一覧 第60回(昭和45年5月29日)
- ^ 『官報』第14444号、1975年(昭和50年)2月26日、p.12