堀田正春
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 正徳5年3月12日(1715年4月15日) |
死没 | 享保16年2月9日(1731年3月16日) |
別名 | 内記(通称) |
戒名 | 青叢院殿禅阿陽岳定心大居士 |
墓所 | 東京都台東区西浅草の日輪寺 |
官位 | 従四位下・相模守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 出羽山形藩主 |
氏族 | 堀田氏 |
父母 |
堀田正直、清水氏 堀田正虎 |
子 | 正亮 |
堀田 正春(ほった まさはる)は、江戸時代中期の大名。出羽国山形藩主。官位は従四位下・相模守。正俊系堀田家4代。
生涯
[編集]正徳5年(1715年)、堀田正直(初代藩主・堀田正虎の養嗣子)の長男として誕生した。享保2年(1717年)8月に父が早世したため、正虎の世子となり、享保14年(1729年)に養父が死去したため家督を相続した。このとき、養父の甥・正亮(堀田正武の長男)に出羽村山郡3000石を分与している。
しかし在任2年後の享保16年(1731年)2月9日に死去した。享年17。継嗣がなかったため、正亮が跡を継いだ。