坂田義朗
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坂田 義朗(さかた よしろう、1888年7月26日 - 1933年7月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。
経歴
[編集]岐阜県出身。陸軍中央幼年学校を経て、1909年(明治42年)、陸軍士官学校(21期)卒業。歩兵少尉に任官。1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)卒業、歩兵第34連隊中隊長。サガレン州派遣軍参謀などを経て、1923年(大正12年)3月、参謀本部部員。1925年(大正14年)3月少佐、歩兵第37連隊大隊長。1927年(昭和2年)7月、朝鮮軍参謀。1928年(昭和3年)8月中佐、1929年(昭和4年)12月、陸軍兵器本廠付・軍事調査部調査班長。在任中の1930年(昭和5年)9月、桜会の結成に参加し、橋本欣五郎・樋口季一郎らとともに発起人となる。1932年(昭和7年)12月、関東軍参謀兼第4課長となり、翌1933年(昭和8年)3月大佐に昇進するが、同年7月12日、新京で病死した。
栄典
[編集]- 1910年(明治43年)2月21日 - 正八位[1]
- 1913年(大正2年)4月21日 - 従七位[2]
- 1918年(大正7年)5月20日 - 正七位[3]
- 1923年(大正12年)7月31日 - 従六位[4]
- 1928年(昭和3年)9月1日 - 正六位[5]