土井利信
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年11月20日(1728年12月20日) |
死没 | 明和8年2月24日(1771年4月8日) |
改名 | 八助(幼名)、利信 |
戒名 | 鳳徳院翔誉靱輝悟心 |
墓所 | 東京都台東区浅草の誓願寺 |
官位 | 従五位下、伊予守、大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
藩 | 三河西尾藩主→三河刈谷藩主 |
氏族 | 土井氏 |
父母 | 父:土井利庸、母:本多忠央養女 |
兄弟 | 利信、松平忠宜、豊 |
妻 | 松平忠刻養女 |
子 |
栄丸、秀、嘉伝次、由利 養子:利置、利徳 |
土井 利信(どい としのぶ)は、江戸時代中期の大名。三河国西尾藩4代藩主、のち三河刈谷藩初代藩主。刈谷藩土井家4代。官位は従五位下・伊予守、大隅守。
略歴
[編集]享保13年(1728年)11月20日、第3代西尾藩主土井利庸の長男として生まれる(生年は享保8年(1723年)とも)。
享保19年(1734年)、父の死去により家督を継ぐ。延享4年(1747年)2月11日、三河刈谷藩に移封される。寛延元年(1748年)に朝鮮通信使の接待役を務め、宝暦元年(1751年)に江戸城和田倉門番を務めた。
宝暦14年(1764年)5月2日に大隅守に遷任する。明和4年(1767年)8月18日に養子の利徳に家督を譲って隠居した。明和8年(1771年)2月24日に死去した。享年44。
系譜
[編集]父母
正室
子女
養子