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嘉数知賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
嘉数 知賢
かかず ちけん
内閣広報室より公表された肖像
2002年 撮影)
生年月日 (1941-06-01) 1941年6月1日
出生地 日本の旗 日本 沖縄県名護市
没年月日 (2024-10-15) 2024年10月15日(83歳没)
死没地 日本の旗 日本 沖縄県名護市
出身校 早稲田大学第一政治経済学部
前職 沖縄県議会議員
所属政党 自由民主党町村派
称号 正四位
旭日重光章
経済学士(早稲田大学・1966年

選挙区比例九州ブロック→)
沖縄3区
当選回数 4回
在任期間 1996年10月20日 - 2009年7月21日

選挙区 名護市選挙区
当選回数 5回
在任期間 1980年 - 1996年
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嘉数 知賢(かかず ちけん、1941年昭和16年〉6月1日 - 2024年令和6年〉10月15日)は、日本政治家沖縄県本部町出身[1]自由民主党所属の元衆議院議員(4回)。

来歴・人物

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1941年6月1日生まれ。1966年早稲田大学第一政治経済学部を卒業。1980年沖縄県議会議員に当選し、5期務めた。1994年には県議会議長に就任する。

1996年第41回衆議院議員総選挙宮里松正の後継者として自民党から初当選(当選同期に河野太郎菅義偉平沢勝栄渡辺喜美大村秀章河本三郎桜田義孝下地幹郎下村博文新藤義孝滝実棚橋泰文田村憲久谷畑孝戸井田徹松本純など)。防衛庁長官政務官内閣府大臣政務官を歴任。2005年11月、第3次小泉改造内閣内閣府副大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、食品安全、防災担当)に就任。信条は「得衆動天(衆を得れば天を動かす)」。

2009年第45回衆議院議員総選挙では民主党玉城デニーに敗れ、比例復活も出来ずに落選した。2012年、旭日重光章受章[2]

2024年10月15日午後2時58分、胆管がんのため名護市の病院で死去した[1]。83歳没。死没日付をもって正四位に叙された[3]

所属団体・議員連盟

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脚注

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  1. ^ a b <訃報>元衆議院議員 嘉数知賢さん 83歳”. 琉球新報 (2024年10月16日). 2024年10月16日閲覧。
  2. ^ 『官報』号外98号、平成24年5月1日
  3. ^ 『官報』第1351号6頁 令和6年11月21日

関連項目

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公職
先代
七条明
西川公也
林田彪
日本の旗 内閣府副大臣
桜田義孝
山口泰明と共同

2005年 - 2006年
次代
平沢勝栄
渡辺喜美
林芳正
先代
仲道俊哉
阪上善秀
渡辺博道
日本の旗 内閣府大臣政務官
亀井郁夫
奥山茂彦と共同

2002年
次代
阿南一成
木村隆秀
大村秀章
先代
岩屋毅
米田建三

小島敏男
佐藤昭郎

日本の旗 防衛庁長官政務官
平沢勝栄
中島啓雄と共同

2001年 - 2002年
2003年 - 2004年
次代
木村太郎
山下善彦

北村誠吾
柏村武昭

議会
先代
木村太郎
日本の旗 衆議院安全保障委員長
2007年 - 2008年
次代
今津寛