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吉鶴憲治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉鶴 憲治
ロッテ一軍バッテリーコーチ時代
(2011年8月6日 QVCマリンフィールドにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1971-05-03) 1971年5月3日(53歳)
身長
体重
173 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1992年 ドラフト4位
初出場 1993年4月11日
最終出場 2002年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

吉鶴 憲治(よしつる けんじ、1971年5月3日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手捕手)、コーチ。右投右打。

来歴

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鹿児島商工高校(現・樟南高校)時代は甲子園に3回出場[1]。高校では中日でも同僚となる大西崇之とチームメートだった。

その後、社会人のトヨタ自動車に入社。都市対抗野球には2年目に補強、3年目には自チームで出場して高橋建ともバッテリーを組んだ[2]

1992年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受けて入団。

しかし、当時中村武志矢野輝弘の壁は厚く3番手止まりで出番はほとんどなく、1996年途中に、内藤尚行森廣二との交換トレードで与田剛と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍。

移籍した当初は3番手止まりだったが、当時の正捕手争いのメインであった定詰雅彦田村藤夫が同シーズン終了後に揃ってトレードとFAでチームを離れ、控え捕手のベテラン山中潔が引退したため、翌1997年は、当時入団したばかりの大学ナンバーワンと評価された清水将海と共に併用される形で起用された。清水が守備の評価が高い反面、打撃が弱くチームも貧打に苦しみがちで、先発出場こそ清水が70試合に対して吉鶴は40試合だったが、清水が代打に送られるケースが多くまた吉鶴が抑えの河本育之との相性が良かったこともあり(河本はリーグ最多の25セーブを挙げた)、チーム最多の98試合マスクを被った。98年には清水が怪我で開幕に間に合わず、初の開幕スタメンを勝ち取り、この年中日から移籍してきた椎木匠、近年出番が減っていた福澤洋一の再台頭はあったものの引き続き1番手捕手をキープした(先発出場でも自己最多の57試合出場)が、この2年チームは最下位に沈む。連敗を18で止めた7月9日神戸オリックス戦では先発して1号ホームランを含む3安打を打った。

1999年は打撃好調で、懸案の盗塁阻止率に改善が見られた。3番手以降の捕手に大きく差をつけるなどチームの4位浮上にも貢献したが、ライバル清水も打撃に改善が見られ2番手捕手となる。

2000年には同じ打撃型橋本将の台頭があり、自身の打撃も不調だったため3番手に降格する。更に2001年には捕手としての出番はなく、入団して以来自己最少の出場数となる。

2002年には外野手転向を余儀なくされ、同じく一軍でほぼ出番がなくその年限りで現役を引退。

引退後は千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチ、一軍バッテリーコーチ、一軍バッテリーコーチ補佐などを歴任し、2013年度より二軍育成コーチに就任。選手としては優勝はおろかAクラスの縁も薄かったが、コーチとしては一軍で日本一を1度(2010年)、二軍で2度(2006年、2012年)の優勝に立ち会っている。

2016年11月5日に福岡ソフトバンクホークスの三軍バッテリーコーチに就任[3]

2018年から2022年まで一軍バッテリーコーチを務め、2023年からは再び三軍バッテリーコーチを務める[4]

2024年シーズン限りでソフトバンクを退団[5]

人物

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詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1993 中日 24 25 21 2 4 0 0 0 4 1 0 0 1 0 3 0 0 7 0 .190 .292 .190 .482
1994 4 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
1995 9 6 6 2 1 0 0 0 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .167 .167 .167 .333
1996 ロッテ 20 28 26 0 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 2 0 0 7 1 .231 .286 .269 .555
1997 98 154 131 8 30 2 0 1 35 8 4 2 8 0 15 1 0 37 3 .229 .308 .267 .575
1998 86 190 162 23 38 3 1 4 55 25 0 0 8 1 18 0 1 29 1 .235 .313 .340 .653
1999 72 158 138 23 39 4 1 4 57 15 1 1 5 0 15 0 0 24 5 .283 .353 .413 .766
2000 44 104 100 7 21 1 0 0 22 6 0 0 1 0 3 0 0 17 3 .210 .233 .220 .453
2001 4 5 4 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
2002 28 36 33 3 7 1 0 0 8 2 0 0 0 1 2 0 0 5 0 .212 .250 .242 .492
通算:10年 389 709 624 68 147 12 2 9 190 59 6 3 23 3 58 1 1 128 13 .236 .300 .304 .605

年度別守備成績

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捕手 外野
試合 失策 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1993 11 0 2 2 0 .000 -
1995 5 1 2 2 0 .000 -
1996 20 1 10 7 3 .300 -
1997 98 6 64 51 13 .203 -
1998 83 6 50 42 8 .160 -
1999 65 4 29 21 8 .276 -
2000 43 1 34 29 5 .147 -
2001 - 2 1 0 0 0 1.000
2002 - 6 4 0 0 0 1.000
通算 325 19 191 154 37 .194 8 5 0 0 0 1.000

記録

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初記録

背番号

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  • 37(1993年 - 1995年)
  • 45(1996年 - 1996年途中)
  • 44(1996年途中 - 2002年)
  • 77(2003年 - 2016年)
  • 95(2017年 - 2024年)

脚注

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  1. ^ '94スポニチプロ野球手帳
  2. ^ - 都市対抗野球大会80年史
  3. ^ 新入団コーチのお知らせ - 福岡ソフトバンクホークス公式サイト 2016年11月5日
  4. ^ 2023年コーチングスタッフについて(2022年11月28日現在)”. 福岡ソフトバンクホークス (2022年11月28日). 2023年11月2日閲覧。
  5. ^ コーチングスタッフの退団について』(プレスリリース)福岡ソフトバンクホークス、2024年10月12日https://www.softbankhawks.co.jp/news/detail/202400653605.html2024年10月12日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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