千田謙蔵
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千田 謙蔵 ちだ けんぞう | |
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生年月日 | 1931年10月22日 |
出生地 | 秋田県横手市 |
没年月日 | 2024年12月20日(93歳没) |
死没地 | 秋田県湯沢市 |
出身校 | 東京大学経済学部 |
所属政党 | 日本社会党 |
称号 | 勲三等瑞宝章 |
横手市長(旧) | |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1971年 - 1991年 |
横手市議会議員(旧) | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1959年 - 1971年 |
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日[1] - 2024年(令和6年)12月20日[2][3][4])は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。
来歴
[編集]秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける[2][3]。
卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。
1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。
市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ[5]、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
市長引退後はドイツ国内で「滞在視察」を実施、農業や環境を中心に学び、EU圏内でも「持続可能な社会」への転換が始まっていることを実感する[6]。その後、自治大学校講師、地方分権推進委員会委員などを経て、2002年からは特定非営利活動法人「横手ひらかNPOセンター」理事長を務める。
2008年8月5日、千田ら秋田県内で市町村長を経験した8名が呼びかけ人となり、「政党政派をこえ、九条を守る」ことを目的として「憲法九条を守る秋田県市町村長の会」を結成した[8]。
2024年12月20日、老衰のため秋田県湯沢市の病院で死去[2][3]。93歳没[2][3]。
著書
[編集]- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(ぎょうせい、1981年8月)
- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(続)(ぎょうせい、1986年)
- 『小さくともキラリと-「かまくら」のまちの市長日記』(3)(ぎょうせい、1991年1月)
- 『迫る地方分権、がんばれ自治体-小さくともキラリと』(ぎょうせい、1998年5月)
- 『ポポロ事件全史』(日本評論社、2008年5月)
- 『人類が戦争と決別する日』(自費出版、2018年)[9]
脚注
[編集]- ^ 上田 2001, 1213頁.
- ^ a b c d 「「東大ポポロ事件」元被告、千田謙蔵さん死去 93歳、元横手市長」『産経新聞』産経新聞社、2024年12月22日。2024年12月23日閲覧。
- ^ a b c d 「千田謙藏さん死去 元横手市長93歳」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年12月22日。2024年12月23日閲覧。
- ^ 読売新聞2024/12/23 13S版28面
- ^ 千田謙蔵『ポポロ事件全史』、日本評論社、2008年5月、523p.
- ^ 前掲書524p.
- ^ 「2002年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人叙勲の受章者一覧」『読売新聞』2002年11月3日朝刊
- ^ 秋田に市町村長9条の会/8氏呼びかけ/現・元首長19人賛同
- ^ 「不戦、核廃絶訴え冊子出版 元横手市長・千田さん」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2018年2月20日。オリジナルの2018年2月20日時点におけるアーカイブ。2024年12月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。
外部リンク
[編集]- NPO法人「横手ひらかNPOセンター」 - ウェイバックマシン(2014年11月5日アーカイブ分)
- 朝日新聞デジタル 秋田)「自由は戦って守るもの」ポポロ事件元被告 - ウェイバックマシン(2014年5月3日アーカイブ分)
- 『千田謙蔵』 - コトバンク