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分部光貞

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分部光貞
時代 江戸時代後期 - 明治時代初期
生誕 文化13年(1816年
死没 明治3年4月12日1870年5月12日
改名 渋川(姓)、分部光貞
別名 虎之助(幼名)[1]
戒名 大亮院殿橒嶺道峻大居士
墓所 滋賀県高島市大溝の円光寺
官位 従五位上若狭守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶家定家茂慶喜明治天皇
近江大溝藩主→大溝藩知事
氏族 板倉氏分部氏
父母 父:板倉勝尚
養父:分部光寧
兄弟 板倉勝明光貞、鎌之助、板倉勝殷
池田長溥
光謙、久爾子ら
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分部 光貞(わけべ みつさだ)は、江戸時代後期の大名近江国大溝藩11代藩主。分部家12代。武家官位従五位上若狭守。維新後は知藩事

生涯

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文化13年(1816年)7月[1]上野国安中藩4代藩主板倉勝尚の子として誕生した[1]。板倉家の部屋住み時代は渋川姓を名乗った。幼少の折から文武の道に励んだ[2]

文政13年(1830年)9月15日、10代藩主分部光寧の養嗣子となる。天保2年(1831年)1月15日、11代将軍徳川家斉に御目見得する。同年3月10日、光寧の隠居により家督を継いだ。天保3年(1832年)12月16日、従五位下に叙位され若狭守を名乗る。

高名な陽明学者でもあった大坂東町奉行与力大塩平八郎は、天保3年(1832年)6月にはじめて藩領小川村の藤樹書院を訪れた[3]。陽明学派の祖とみなされていた中江藤樹の旧跡をたどることはかねてから大塩の念願であり[3]、天保4年(1833年)6月には同書院に『王陽明全集』を寄贈[3]、9月には同書院で講義を行っている[3]。このように大塩と大溝の人々との間には交流があり[3][注釈 1]、藩主である光貞とも交流を持った[3]。天保8年(1837年)に大塩が窮民救済を訴えて決起した騒乱(大塩平八郎の乱)には小川村の医師志村周次らも参加している[3]。大塩の知性と学風に共鳴する者が少なくなかった大溝藩では、この泰平の世を揺さぶり起す如き大塩の乱で動揺し[3]、ただ大塩の著書を持っていたに過ぎない者でも処罰を恐れてこれを焼き捨てたり隠匿したりと、上を下への大騒ぎとなった[3]

光貞は江戸で儒者の佐藤一斎河田屏浦[注釈 2]川田甕江(川田剛)[注釈 3]らの講義を受けていたが[2]安政年間に甕江を賓師の礼をもって大溝に招いた[4][2]。甕江は藩校修身堂で講義にあたるとともに、光貞の命を受け『中江藤樹先生年譜』や『徳本堂記』の編纂にもあたった[5][2]。その後甕江は、安政4年(1857年)に備中松山藩主板倉勝静[注釈 4]に仕えた。

文久3年(1863年)の八月十八日の政変においては、自ら兵を率いて京都の守備を務めた[1]。その功績を孝明天皇に賞賛されて、金子を与えられている。

明治2年(1869年)の版籍奉還で大溝藩知事となるが、明治3年(1870年)4月12日に死去した[1]。享年55[1]。跡を次男の光謙が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 佐藤寸美(澄)[6]

子女

脚注

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注釈

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  1. ^ 晩年を大溝で過ごした近藤重蔵は、大坂弓奉行在任中に大塩と面識を持っている[3]。近藤重蔵は大塩の藤樹書院訪問以前、文政12年(1829年)に大溝で没している[3]
  2. ^ 一斎の娘婿。
  3. ^ 一斎の門弟筋にあたる。
  4. ^ 板倉家は備中松山藩が本家、安中藩が分家の関係にあたる。光貞の実父・勝尚は備中松山藩板倉家から安中藩板倉家に養子に入った。勝静は備中松山藩を婿養子として継いだ人物である。勝静の義父である板倉勝職と光貞が実の従兄弟という関係(ともに備中松山藩主板倉勝政の孫)にあたる。

出典

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  1. ^ a b c d e f 分部光貞”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2022年1月7日閲覧。
  2. ^ a b c d 滋賀県立図書館 (回答) (2013年8月1日). “幕末・明治期の儒学者川田剛(甕江)が安政年間に近江の大溝藩に招聘されていた。川田剛招聘の経緯と同藩での活動を知りたい。”. レファレンス協同データベース. 2022年1月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 大塩ゆかりの地を訪ねて⑥「大塩平八郎門人と藤樹書院」”. 大塩事件研究会. 2022年1月9日閲覧。
  4. ^ 膽吹覚 2008, p. 51.
  5. ^ 膽吹覚 2008, pp. 51, 55.
  6. ^ a b 滋賀県立図書館 (回答) (2011年8月11日). “備中松山藩(板倉侯)の川田甕江の万延元年(1860)の日記を読んでいる中で、近江の大溝藩分部侯世子についての記述があります。……(後略)”. レファレンス協同データベース. 2022年1月7日閲覧。

参考文献

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  • 膽吹覚「近江国大溝藩脩身堂の蔵書目録」『國文學論叢』第53号、龍谷大學國文學會、2008年。 NAID 110007058787 

外部リンク

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