伊集院峰弘
巨人時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 |
生年月日 | 1988年6月4日(36歳) |
身長 体重 |
178 cm 77 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、一塁手、捕手 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト4巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
派遣歴 | |
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この表について
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伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
[編集]大竜小1年の時、ソフトボールを始める。長田中では「吉野バッファロー」で硬式野球を始め、中3のとき4番捕手として全国大会に出場した。
鹿児島実業高では、1年でレギュラーの座をつかみ、6番三塁手として2004年の夏の甲子園出場。1年の秋から捕手を務めた。2006年夏は鹿児島県大会3回戦で敗退したが、高校通算31本塁打を記録した。
同年の高校生ドラフト4巡目で読売ジャイアンツから指名を受け入団。背番号は96。
高校通算31本塁打の打撃を期待されて入団したものの、1年目の2007年は2軍で打率1割台、長打なしと活躍できなかった。しかし、フューチャーズでは第2捕手として6試合に出場し、打率.412、本塁打1と活躍を見せた。
2009年11月12日、来季から育成選手として契約することが発表された[1]。内野手に転向することが決まり、11月上旬の秋季練習から主に二塁の練習に取り組んだ[2]。
2010年は、主にフューチャーズやシリウスで試合に出場し、長打力のあるバッティングで活躍した。二塁守備の練習をしているといわれていたが[2]、三塁と一塁を守っており、二塁手としての出場はない。10月に行われたフェニックスリーグではチーム最多の3本塁打を記録した。同年10月29日、自由契約選手公示がなされたが、11月10日に育成選手として再契約した。その時の背番号は007で、日本プロ野球史上でこの番号を付けたのは、伊集院が初めてだった[3]。
2012年10月2日、球団から来季の契約を結ばないことが発表された[4]。2013年よりジャイアンツアカデミー講師を務め、2014年から2018年までブルペン捕手、2019年からは三軍マネージャー、2022年から二軍マネジャーを務めている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 96 (2007年 - 2009年)
- 114 (2010年)
- 007 (2011年 - 2012年)
- 216 (2014年 - 2018年)
脚注
[編集]- ^ 巨人、竹嶋、伊集院と林イー豪と育成契約
- ^ a b 巨人・伊集院、捕手→内野手で再び支配下登録目指す
- ^ 1993年、二村忠美が古巣の日本ハムに復帰する際に、『ジェームズ・ボンドのような危険な雰囲気の選手になりたい』とこの番号を希望するも、パ・リーグに「背番号を興味本位で扱われてはならない」と却下された過去があった。
- ^ “朝井投手ら10選手に戦力外通告”. 読売ジャイアンツ公式ホームページ. (2012年10月2日) 2012年10月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)