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二本松孝蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
二本松孝蔵
『別格官幣社山内神社御造営誌』より
生誕 1884年3月26日
福島県相馬郡小高町岡田
死没 (1972-09-09) 1972年9月9日(88歳没)
東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 工手学校(現工学院大学
職業 建築家
所属 内務省
国粋建築研究所
日光東照宮
建築物 伊奈波神社
など

二本松 孝蔵(にほんまつ こうぞう、1884年明治17年)3月26日[1] - 1972年昭和47年)9月9日)は、日本の建築家文化財修理技師。多数の社寺の保存修理や新築設計を手掛けた。

経歴等

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福島県出身[1]1908年明治41年)工手学校(現工学院大学)卒業[1]1911年明治44年)、国宝建造物修理工事主任。延命寺地蔵堂修理などを手掛ける。1917年大正6年)に造神宮技手兼明治神宮造営技手となったのち、1927年昭和2年)国粋建築研究所を開設[2]1925年大正14年)大正大震災記念建造物競技設計佳作。角南隆を中心とした神祇院造営課と連動し、神社では11府県社の護国神社官国幣社の社務所、齋館などの設計のほか、寺院でも比叡山修理、身延山祖廟設営など社寺ともに多くの設計を手掛けた[3]

戦後は一時故郷でカラカサを作ろうかとも考えたというが[4]1946年昭和21年)比叡山延暦寺修理技師拝命につづき、1948年昭和23年)から日光東照宮営繕課技師を拝命し、日光国宝保存工事事務所技師として昭和の大修理に尽力した。事務所は社寺建築研究所と改めている[5]

1958年(昭和33年)、栃木県文化功労章、1966年(昭和41年)4月勲四等瑞宝章

作品

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設計

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名和神社
豊玉姫神社
伊奈波神社
湊川神社神門

著作等

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  • 「日本建築技法講座」(1)〜(3)(檜皮葺の研究、萱葺の研究、柿葺の硏究)

(『東洋建築』1巻8号-2巻1号、相模書房、1937-38年)

  • 「塔」(『大日光』9号、日光東照宮、1957年)
  • 「日光社寺殿堂修理に就而」(『古建築』)

出典

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  1. ^ a b c 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』570頁。
  2. ^ 『建設界紳士録 関東編』1962年、769頁。
  3. ^ 『宗教公論』第27巻10号、宗教問題研究所1957年、10頁。
  4. ^ 「時の人=二本松孝蔵」(『毎日新聞』1960.10.29 東京朝刊)
  5. ^ 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和53年4月 上』、1978年、1414頁
  6. ^ 速水清孝・狩野勝重「建築技師・二本松孝蔵の経歴と「天野家住宅」について」(『日本建築学会東北支部研究報告集. 計画系』2016-06)
  7. ^ 『別格官幣社山内神社御造営誌』山内豊信公・山内豊範公別格官幣社奉祀期成会、1935。
  8. ^ a b c d e 篠原直通・渡辺 洋子「大宮氷川神社に関する研究 角南隆と国粋建築研究所」(『建築歴史・意匠』 (2016) 359-360 日本建築学会、2016年 )
  9. ^ 二本松孝蔵「出雲大社勅使館齋館社務所の建築」(『東洋建築』1巻2号、相模書房、1937)
  10. ^ 二本松孝蔵「小戶神社の改築計畫」(『東洋建築』1巻1号、相模書房、1937)
  11. ^ 『埼玉県史』第七巻、埼玉県、1939年
  12. ^ 二本松孝蔵「名和神社拝殿」(『東洋建築』1巻4号、相模書房、1937)
  13. ^ 二本松孝蔵「福島縣官祭信夫山招魂社」(『東洋建築』1巻1号、相模書房、1937)
  14. ^ 『福島市史』第5巻、福島市教育委員会、1975年、790頁
  15. ^ 『紀元二千六百年祝典記録』第七冊、1940年
  16. ^ 『知覧郷土史』知覧町、1962年
  17. ^ 『伊奈波神社略誌』伊奈波神社、1941年
  18. ^ 『宮城県史』13(美術・建築)宮城県史刊行会、1980年
  19. ^ 神山極三「湊川神社の神門」(『旅と伝説』16巻7号、1943年)
  20. ^ 調査実績:福島県内に残る旧修験者活動遺構調査に関する覚書(3)(http://www.anno-spero.org/renaissance/dentou/history/fukushima_3.html)

参考文献

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  • 「二本松孝蔵翁文化功労章を受く」(『宗教公論』第27巻10号、宗教問題研究所、1957年、10頁)。
  • 篠原直通・渡辺 洋子「大宮氷川神社に関する研究 角南隆と国粋建築研究所」(『建築歴史・意匠』 (2016) 359-360 日本建築学会、2016年

関連項目

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