上村幸治
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上村 幸治 (かみむら こうじ) | |
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生誕 |
1958年2月21日 日本・鹿児島県 |
死没 |
2013年1月1日(54歳没) 日本・神奈川県秦野市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 大阪外国語大学中国語学科 |
職業 |
ジャーナリスト 獨協大学国際教養学部言語文化学科教授 |
活動期間 | 1980年 - 2005年 |
配偶者 | あり |
上村 幸治(かみむら こうじ、1958年2月21日[1] - 2013年1月1日)は、日本の政治学者、元ジャーナリスト。獨協大学国際教養学部言語文化学科教授、元毎日新聞中国総局長。
来歴
[編集]1958年、鹿児島県生まれ。京都府育ち。1980年3月、大阪外国語大学中国語学科卒業後、同年4月毎日新聞社に入社。
社会部畑として、1984年、グリコ・森永事件を現場で取材[2]。
1987年、外信部[3]として香港支局に異動し、1991年10月迄着任。香港支局時代は、1989年6月4日の第二次天安門事件を現場で取材[4]。
1994年、北京支局に異動し、1998年迄着任。1999年、ニューヨーク特派員を経て、ニューヨーク支局長へ昇進。支局長時代は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を現場で取材。2003年、人事にて中国総局長へ着任。
2005年、早期に毎日新聞社退社し、獨協大学へ移籍。外国語学部言語文化学科専任講師として、専攻は、現代中国論、中国語、国際関係論を担当。2006年、同大学外国語学部言語文化学科教授、2007年、同大学国際教養学部言語文化学科教授を担当。同年『周恩来秘録』(上・下巻)が第19回 アジア・太平洋賞の大賞を受賞[5]。
2011年頃から、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患い[6][7]、2013年1月1日、神奈川県秦野市の病院で死去[8]。享年54。
人物
[編集]毎日新聞記者時代の上司に、同じ番組に出演していたジャーナリストの重村智計がいた[9]。
中華人民共和国との繋がりから中華民国(台湾)、北朝鮮、韓国情勢を論評することがある[10]。中国共産党に対しては批判的だが、現代中国文化への愛情は強い。特に中国の若者たちのネット上での活動に興味を示した。
著書
[編集]単著
[編集]- 『香港狂騒曲』(岩波書店, 1994年)
- 『台湾 アジアの夢の物語』(新潮社, 1994年)
- 『香港を極める』(朝日文庫, 1997年)
- 『中国路地裏物語―市場経済の光と影』(岩波新書, 1999年)
- 『中国 権力核心』(文藝春秋, 2000年)
- 『中国のいまがわかる本』(岩波ジュニア新書, 2006年)
共著
[編集]- 垂水健一・王小燕『アジアカップ・サッカー騒ぎはなぜ起きたのか―その真相・背景・今後を考える』(日本僑報社, 2004年)
- 朱建栄『チャイナシンドローム―日中関係の全面的検証』(駿河台出版社, 2006年)
訳書
[編集]出演番組
[編集]テレビ
[編集]- ムーブ!(朝日放送)(不定期)
- 報道ワイド日本(日本文化チャンネル桜)(不定期)
参考文献
[編集]- 『香港狂騒曲』(岩波書店, 1994年)
- 『中国 権力核心』(文藝春秋, 2000年)
- 『周恩来秘録』(上・下、文藝春秋, 2007年)
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.170
- ^ 2006年10月3日(レギュラー初登場時の自己紹介に拠る。)
- ^ 愛知大学現代中国学会「中国21 Vol.4 学会通信」第4号、愛知大学現代中国学会、1998年。
- ^ 天安門事件 その日の整理部 新編集講座 ウェブ版 第29号 2015年6月1日[リンク切れ]
- ^ アジア・太平洋賞 歴代受賞作品一覧
- ^ ジャーナリスト中島恵のブログ ALSと闘って・・・ 2013年1月4日
- ^ twnomicsのツイート(287560852792565760)
- ^ 上村幸治氏死去(獨協大教授、元毎日新聞中国総局長) 時事通信 2013年1月3日閲覧
- ^ 『ムーブ!』2006年12月26日
- ^ 毎日新聞 東京本社版 「発信箱」2004年12月9日他、『サンデー毎日』2007年2月4日号「インサイド中国」