コンテンツにスキップ

万年通宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奈良県五條市霊安寺町出土の万年通宝(奈良国立博物館所蔵)

万年通宝萬年通寳、まんねんつうほう)は、760年天平宝字4年)から、日本で鋳造、発行された銭貨皇朝十二銭の2番目に発行された貨種である。

始鋳と流通

[編集]

独立行政法人造幣局の資料によると、万年通宝の始鋳年は天平宝字4年(760年)、材質は、量目3.75g、直径25.5-25.8mm、銅分77.98%である[1]「萬年通寳」の銭文は、吉備真備が書いたものとされる。[要出典]

続日本紀』によると銭貨の私鋳や偽造が多くなったため、淳仁天皇の時代の天平宝字4年3月16日(760年4月6日)に、藤原仲麻呂(恵美押勝)によって金貨開基勝宝銀貨大平元宝とともに発行された[2][3]

天平寳字四年

三月丁丑勅。銭之為用。行之已久。公私要便、莫甚於斯。頃者。私鋳稍多。偽濫既半。頓将禁断。恐有騒擾。宜造新様与旧並行。庶使無損於民、有益於国。其新銭文曰萬年通寳。以一当旧銭[4]之十。銀銭文曰大平元寳。以一当新銭之十。金銭文曰開基勝寳。以一当銀銭之十。(『続日本紀』)

『続日本紀』にあるように万年通宝(新銭)は和同開珎(旧銭)の10倍の価値とされ、金、銀、銅銭の換算率は1:10:100と定められた[3]。万年通宝(新銭)1枚に対して和同開珎(旧銭)10枚で交換する予定だったが、実際にはうまくいかずに新旧の銭貨が併行した[2][3]。万年通宝は定められた価値で流通せず、新銭を真似た私鋳銭も横行したため、鋳造期間5年と古代銭貨の中で最も短い期間で鋳造が中止された[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 造幣博物館のご案内”. 独立行政法人造幣局. p. 30. 2024年9月3日閲覧。
  2. ^ a b 武藤和夫『日本貨幣法制史』三重大学法制史学会、2-3頁https://kuwana-library.jp/kcl_digital_pdf/241.pdf 
  3. ^ a b c d 和同開珎発行1300年 貨幣誕生―和同開珎の時代とくらし―”. 日本銀行金融研究所貨幣博物館. p. 5. 2024年9月3日閲覧。
  4. ^ ここで「旧銭」は和同開珎を指す。

関連項目

[編集]