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ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルッシオ
名前
本名 ルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ
Lucimar Da Silva Ferreira
愛称 ルシオ
ラテン文字 LUCIO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
ポルトガルの旗 ポルトガル
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1978-05-08) 1978年5月8日(46歳)
出身地 ブラジリア
身長 188cm
体重 84kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2000 ブラジルの旗 インテルナシオナル 51 (5)
2000-2004 ドイツの旗 レバークーゼン 92 (15)
2004-2009 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 144 (7)
2009-2012 イタリアの旗 インテル 96 (3)
2012 イタリアの旗 ユヴェントス 1 (0)
2013 ブラジルの旗 サンパウロ 10 (1)
2014-2015 ブラジルの旗 パルメイラス 25 (2)
2015-2016 インドの旗 ゴア 19 (0)
2018 ブラジルの旗 ガマ 0 (0)
2018-2020 ブラジルの旗 ブラジリエンセ 17 (1)
代表歴
2000-2011 ブラジルの旗 ブラジル [1] 105 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ルッシオ(Lúcio)ことルシマール・ダ・シウヴァ・フェレイラ(Lucimar Da Silva Ferreira、1978年5月8日 - )は、ブラジルブラジリア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴

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クラブ

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SCインテルナシオナルで頭角を現し、2000年ドイツバイエル・レバークーゼンへの移籍を果たした。2001-02シーズンのチームの上位進出に積極的な攻撃と守備で貢献した。レアル・マドリード相手に敗退し準優勝という結果に終わったUEFAチャンピオンズリーグ決勝でも、ベルント・シュナイダーフリーキックから同点ゴールを決めている。レバークーゼンでは強烈なシュート力を活かし、直接ゴールを狙える長距離のフリーキックを任されることもあり、実際に得点を決めたこともある。

2002-03シーズン以降レバークーゼンは成績を落とし、ルシオには国内外のビッグクラブへの移籍話が尽きなかったが、2004年7月1日にドイツのバイエルン・ミュンヘンへ移籍した。バイエルンでは監督や戦術の変更が何度もあったが、レギュラーとしてDFラインを支え続けた。バイエルンでは副キャプテンを任され、時にはキャプテンマークを着けることもあった。2008-09シーズンの終盤には怪我人が出た影響から、右サイドバックで起用された[2]。バイエルンではブンデスリーガで145試合に出場し、2冠を3回達成した。2009年FIFAコンフェデレーションズカップを戦っている最中にバイエルンから突然戦力外通告を受け[3]7月16日イタリアインテルに3年契約で移籍した[4]

2012年7月4日、インテルとの契約を解消して最大のライバルであるユヴェントスFCに2年契約で移籍が決定した。しかし、出番に恵まれず、12月17日に契約解除し[5]、母国のサンパウロFCに移籍[6]

2015年6月7日、インドのFCゴアへ移籍した[7]

2017年12月7日、SEガマへ移籍した[8]

2018年4月16日、ブラジリエンセFCへ移籍した[9]

2020年1月29日、現役引退を表明した。

代表

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2000年シドニーオリンピックに出場。日韓W杯予選時、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の戦術と噛み合わないとの批判も受けたが、結局は本大会までレギュラーを守った。本大会でも3バックの右としてラインを統率し、ブラジル5度目の優勝に貢献した。準々決勝、イングランド戦では、エミール・ヘスキーからのロングボールをゴール前で対処ミスし、マイケル・オーウェンに先制点を献上したが、ブラジルが逆転した後も集中力は途切れなかった。決勝のドイツ戦では、相手をフェイントで交わしてシュートまで持ち込んだ。ドゥンガ監督に代表のキャプテンに指名され、FIFAコンフェデレーションズカップ2009決勝のアメリカ戦で決勝点を挙げるなど、優勝に貢献した。なお、ルシオは敬虔なクリスチャンとして知られ、このコンフェデレーションズカップには自費で神父を帯同させた[3]

タイトル

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インテルでプレーするルッシオ

クラブ

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バイエルン・ミュンヘン
インテル
ユヴェントス

代表

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ブラジル代表

脚注

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  1. ^ “Lucimar da Silva Ferreira "Lucio" - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/lucio-intl.html 
  2. ^ fcbayern.com (2009年5月14日). “ハインケス、チームスピリットを重視”. 2009年7月16日閲覧。
  3. ^ a b footballista、ソルメディア、2010年6月24日号、38-39頁
  4. ^ uefa.com (2009年7月16日). “ルシオがバイエルンからインテルへ”. 2009年7月16日閲覧。
  5. ^ Goal.com (2012年12月17日). “ルシオ、ユーヴェとの契約解消で合意”. 2012年12月17日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ Goal.com (2012年12月19日). “ルシオの新天地はサンパウロに”. 2012年12月19日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ FOOTBALL CHANNEL (2016年9月3日). “元インテルDF、再びインドで現役続行。ジーコ監督率いるクラブと契約交わす”. 2018年1月22日閲覧。
  8. ^ “Aos 39 anos, zagueiro Lúcio acerta com o Gama e volta ao futebol do Distrito Federal”. Globoesporte.com. (2017年12月7日). https://globoesporte.globo.com/df/futebol/times/gama/noticia/aos-39-anos-zagueiro-lucio-acerta-com-o-gama-e-volta-a-jogar-no-distrito-federal.ghtml 2018年1月22日閲覧。 
  9. ^ “Aos 39 anos, Lúcio acerta com o Brasiliense e vai disputar a Série D em 2018”. Globoesporte.com. (16 April 2018). https://globoesporte.globo.com/df/futebol/times/brasiliense/noticia/aos-39-anos-lucio-acerta-com-o-brasiliense-e-vai-disputar-a-serie-d-em-2018.ghtml 2021年2月15日閲覧。 

外部リンク

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