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ホトトギス (雑誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホトトギス
刊行頻度 月刊
発売国 日本の旗 日本
言語 日本語
出版社 合資会社ホトトギス社
刊行期間 1897年 – 現在
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ホトトギス』は、合資会社ホトトギス社が発行する俳句雑誌[1]

1897年明治30年)に正岡子規の友人である柳原極堂が創刊した。夏目漱石小説吾輩は猫である』、『坊っちゃん』を発表したことでも知られる。

明治期には総合文芸誌として、大正昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った。現在は、高浜虚子の曾孫にあたる稲畑廣太郎が主宰。

歴史

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戦前

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戦後

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  • 1946年(昭和21年)12月 通巻600号。野見山朱鳥が雑詠巻頭欄を飾る。
  • 1947年(昭和22年)9月 ホトトギス社が法人化。虚子の長男高浜年尾を代表社員とする合資会社となる。
  • 1949年(昭和24年)三和銀行(現・三菱UFJ銀行)行員の波多野爽波が史上最年少で同人に推挙される。
  • 1979年(昭和54年)10月 年尾が死去。次女で虚子の孫にあたる稲畑汀子(旧姓・高浜)が主宰となる。
  • 1982年(昭和57年)4月 汀子の長男で虚子の曾孫にあたる稲畑廣太郎がホトトギス社に入社。
  • 2002年(平成14年) ホトトギス社本社、丸ビル建て替えのため、三菱ビルヂング10階に移転。
  • 2013年平成25年)8月 通巻1400号。
  • 2013年(平成25年)10月 汀子が勇退、廣太郎が主宰となる。
  • 2019年(令和元年)10月 ホトトギス社、三菱ビルヂングを退去。千代田区神田駿河台の雑居ビルに移転。
  • 2021年令和3年)11月20日 創刊125年目の節目の年に1500号が出版[5]

現況

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現在のホトトギス社主宰は高浜虚子の曽孫である稲畑廣太郎が務めている。1979年から2013年まで主宰を務めた稲畑汀子はその母で高浜虚子の孫。

ホトトギス社はホトトギス誌以外に書籍も編集・発行しているが、発売元はホトトギス社のものと他の版元のものがある。例えば歳時記は、虚子編「新歳時記」やホトトギス編「ホトトギス新歳時記」を三省堂が発売している。虚子編「新歳時記」は基本的に高濱虚子が編集したものだが、ホトトギス編「ホトトギス新歳時記」は、全国の俳人からホトトギス誌に寄せられた句を元に編集したもの。

ホトトギス社は長年、旧・丸ビルに入居していたが、丸ビルの建て替えのため、三菱ビルに移った。

ドキュメンタリー

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  • ETV特集「戦火のホトトギス 〜17文字に託した若き将兵の戦争〜」(2021年8月21日、NHK Eテレ[6]

脚注

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出典

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  1. ^ 明治の俳句雑誌「ホトトギス」の軌跡たどる 松山・子規記念博物館で特別展”. 産経新聞 (2018年12月23日). 2021年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月25日閲覧。
  2. ^ 虚子「消息」『ホトトギス』第14巻第7号、1911年、98頁。 
  3. ^ 秋元(1966):130ページ
  4. ^ 秋元(1966):134ページ
  5. ^ 創刊から125年、俳句雑誌「ホトトギス」が1500号 毎月6千作品から選出”. 読売新聞 (2021年11月22日). 2021年11月23日閲覧。
  6. ^ 戦火のホトトギス 〜17文字に託した若き将兵の戦争〜”. NHK (2021年8月21日). 2021年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月28日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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