キース・レルフ
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キース・レルフ Keith Relf | |
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出生名 | William Keith Relf |
生誕 | 1943年3月22日 |
出身地 | イングランド サリー リッチモンド |
死没 | イングランド ロンドン ハウンズロー |
ジャンル |
ブルースロック リズム・アンド・ブルース サイケデリック・ロック プログレッシブ・ロック フォークロック ハードロック |
職業 |
シンガーソングライター ギタリスト 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
ボーカル ブルースハープ ギター |
活動期間 | 1956年 - 1976年 |
共同作業者 |
ヤードバーズ ルネッサンス アルマゲドン |
公式サイト |
www |
キース・レルフ(Keith Relf、1943年3月22日 - 1976年5月12日)は、イングランドのロック・ミュージシャン。ヤードバーズのオリジナル・メンバーで、リード・シンガーとして知られる。
来歴
[編集]ブルースハープの演奏に長けていた。
→詳細は「ヤードバーズ」を参照
ヤードバーズ解散後、1968年にジム・マッカーティとトゥゲザー[1]を結成し、ポール・サミュエル=スミスをプロデュ―サーに迎えてシングル1作を発表した[2]。
1969年、マッカ―ティ、妹のジェーン・レルフらとルネッサンス[3]を結成[注釈 1]。
1974年、ルネッサンスの同僚だったルイス・セナモ、元キャプテン・ビヨンドのボビー・コールドウェルらとアルマゲドンを結成してアメリカで活動。1975年にデビュー・アルバムが発表された直後、脱退して帰国した[注釈 2]。
アンバー、サテュラニア[4]、ハンター・マスケット[5]、メディシン・ヘッド[6]のアルバムのプロデューサーも務めた。
マッカ―ティ、セナモらとイリュージョンを結成して新作制作の為のリハーサルを開始した。しかし1976年5月12日、自宅でギターの演奏中、接続不良が原因で感電死した[注釈 3]。33歳没。
1992年、ヤードバーズがロックの殿堂入りを果たし、レルフは受賞者の一人に選ばれた。彼の未亡人と遺児がマッカ―ティ、サミュエル=スミス、クリス・ドレヤ、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと共に授賞式に出席した。
ディスコグラフィ
[編集]ソロ・シングル
[編集]- "Mr. Zero" / "Knowing" (1966年5月、UK Columbia DB7920 / U.S. Epic 10044)
- "Shapes In My Mind" / "Blue Sands" (1966年11月、UK Columbia DB8084 / US Epic 10110)
- "Together Now" / "All The Fallen Angels" (1989年、MCCM 89 002)
ヤードバーズ
[編集]→詳細は「ヤードバーズの作品」を参照
- 『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』 - Five Live Yardbirds (1964年)
- 『フォー・ユア・ラヴ』 - For Your Love (1965年)
- 『ハヴィング・ア・レイヴ・アップ』 - Having a Rave Up with The Yardbirds (1965年)
- 『ロジャー・ジ・エンジニア』 - Roger the Engineer (1966年)
- 『リトル・ゲームズ』 - Little Games (1967年)
ルネッサンス
[編集]- 『ルネッサンス』 - Renaissance (1969年)
- 『幻想のルネッサンス』 - Illusion (1971年)
アルマゲドン
[編集]- 『アルマゲドン』 - Armageddon (1975年)