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みかみなち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

みかみ なち(本名:鳥山(旧姓加藤)由美よしみ[1]))は、日本漫画家。主に少女漫画を手掛けている[2]。夫は漫画家の鳥山明[3][4]

人物

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1954年生まれ[注 1]愛知県立大学卒業[6]水星茗小野弥夢と共に同人サークル「薔薇十字団」を結成していた。

みかみの親戚が鳥山明と同じ町内に住んでおり顔見知りであった。みかみが少女漫画家であると聞き「同業者(漫画家)と会ってみたい」と興味を示した鳥山と引き合わせたことがきっかけで知り合う。当初は愛知県在住の漫画家複数人での食事会であった[注 2]。連絡先を交換した鳥山から“いたずら電話”が掛かってくるようになった。およそ1年半の交際を経て、1982年2月7日に結納し[6]1982年5月2日に名古屋通信会館にて結婚式を挙げた[7]。なお結婚時は名古屋生まれの漫画家加藤由美として報じられた[6]。1983年5月4日、夫となった鳥山が『徹子の部屋』に出演した際、スタジオに同行して見学をしていたところ、黒柳から「奥さま」と紹介され、僅かな時間であるがテレビに映っている[8]

結婚時点では休筆状態にあり[6]、1985年に発表した「聖メフィスト混乱伝」を最後に単行本が発刊されず。1986年を最後に新作を発表していない[注 3]、そして1987年に映画『ドラゴンボール超 スーパーヒーロー』の製作において、スーパーバイザーを務めた[9]長男を出産している[10]。夫の仕事が多忙で手が足りない時は手伝う場合がある。

夫の作品『ドラゴンボール』の登場人物、孫悟空の必殺技である「かめはめ波」を命名したのはみかみだという[11]

作品

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脚注

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出典

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  1. ^ フォーカス1982年5月14日号18頁「「5億円」プラス「お嫁さん」」
  2. ^ 米澤嘉博『戦後少女マンガ史』筑摩書房、2007年8月1日、304頁。ISBN 978-4480423580 
  3. ^ 鳥山明さん急死 「ドラゴンボール」「Dr.スランプ」「ドラクエ」…世界が衝撃「わくわく」をありがとう”. スポーツニッポン (2024年3月9日). 2024年3月9日閲覧。
  4. ^ 鳥山明さん作品のヒットの要因は「『ジャンプ』の王道に加えて品の良さがあった」 識者が分析”. スポーツ報知 (2024年3月9日). 2024年3月9日閲覧。
  5. ^ https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/03/09/kiji/20240309s000413H4065000c.html
  6. ^ a b c d e 週刊文春1982年5月13日号20~21頁「This Week」
  7. ^ 1982年5月3日 中日新聞 文化面
  8. ^ 鳥山明さん 41年前に「徹子の部屋」に漫画家の妻と“共演” 長者番付1位、結婚…飾らず語っていた素顔”. スポーツニッポン (2024年3月8日). 2024年3月9日閲覧。
  9. ^ Dragon Ball Creator Akira Toriyama Begins Transitioning Series Control to Son”. comicbook (2022年7月24日). 2024年4月21日閲覧。
  10. ^ 『ドラゴンボール』 第7巻、集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1987年5月13日、カバー折り返し頁。ISBN 4-08-851837-3 
  11. ^ 意外と多いクリエーター同士! 漫画家同士で結婚した夫婦の驚きのエピソード「かめはめ波」の発案も!?”. 双葉社 (2024年3月8日). 2024年3月9日閲覧。

注釈

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  1. ^ [5]では1955年生まれの鳥山より年上と報道され1982年5月時点で27歳[6]であることから1954年であると分かる
  2. ^ 1983年5月4日放送「徹子の部屋」にて鳥山が発言。
  3. ^ 主婦と生活社から発行されていた「Missy」1986年9月号に読切が掲載されていることが確認できる、なお「別冊花とゆめ」に掲載された学園西遊記(1980年夏・冬号)、LaLaに連載された「銀星団☆天をゆく!」(1980年4・9・11月大増刊号及び1981年2・4月大増刊号掲載)「Missy」臨時増刊「Cicy」1986年2月号に読切を2本、3月号に1本と500ページ以上の単行本未掲載分があり単行本化可能なストックはある
  4. ^ 巻末に鳥山明が「みかみなち先生のだんな」名義で、みかみの似顔絵とともに推薦文を寄稿している。