「相関が無い事の証明」は可能か

えっとですね。この種の(タイトルに書いたような)議論の時には、「証明」「相関」「無い」という言葉について意味内容を確認しておく事が肝要です。それが疎かになっては、話がいつまでも噛み合いません。

範囲

範囲を考える事も重要でしょう。空間的時間的な範囲のとり方によって、確認出来るか出来ないか違ってくる。私の部屋に○○という生き物がいるかどうか、というのと、広大な宇宙空間を対象にする物理学や天文学とでは、全然異なってくるでしょう。あるいは、医学のように、ある病気にどのような治療が効果的かを探る、といった場合には、その範囲は無限であると考える事も出来ます(将来その病気になる人、という所を概念的に考慮したりする)。

証明

私達が経験する現象について、数学のように厳密な意味で何かを「証明」する、と言う事が出来るかどうか。帰納的推論の難点もあります。上に書いたように、対象のとる範囲が無限の場合(有限の場合でも、超巨大な場合は実質的に)には、「調べ尽くす」事が出来ません。そういう場合には、ある母集団を想定して、そこから採り出した一部の標本について調べ、そこから母集団について「推測」します。それで、同じような内容の研究で同じような結果が出た時に、どうやら確からしい、とされ、定説と看做されると。
で、そのような意味合いでの確認を、「証明」という言葉に持たせるかどうか。これは結構重要な部分です。誤解を嫌い、数学的な「証明」の意味を意識する人は、その言葉を使わなかったりします。代わりに、「実証」や「立証」を用いる。
もちろんこれは、証明という言葉を使うな、という事では無くて、その言葉にどのような意味を付与しているか、それを確認した方が良い、という話です。

「相関」と「無い」

「無い」という言葉をどう捉えるか。対象が「数えられる」ものなら、範囲が限定的であれば簡単な事もあります。たとえば、A氏の財布の中に1万円札が無い、というのは、A氏の財布を開けば判明します。しかし、範囲が広がると、実質的に不可能な場合もあります。たとえば、サハラ砂漠には100カラットのダイヤモンドが埋まっている、というような主張があったとしたらどうでしょうか。
「相関」の語をどう考えましょうか。辞書的には、二つのものが密接にかかわり合っていること。そうかん【相関】の意味 - 国語辞書 - goo辞書)というような意味が載っていますが、これが「無い」のをどうやって確かめましょう。
しかし、数学的には、「相関関係」というものを数量的に表すいくつかの指標があります。たとえば、「ピアソンの積率相関係数」という概念があります。それならば、-1から+1の間で、「関係の強さ」を表現出来ます。
では、そのような指標がゼロである事をもって「無い」と表現しましょうか。しかし、この指標は、その値がゼロであるからといって「無関係」であるとただちに言えるようなものではありません。何故ならば、(ピアソンの)相関係数というのは、「直線的な」関係を調べているものであって、たとえばある種の綺麗な曲線的な関係があるのに、相関係数はゼロになる、という事もあります。
それで、相関関係を表す尺度は他にもいくつかあります。曲線的な関係があるかを確かめる事も出来ます。また、数量的に測れるものばかりで無く、分類しか出来ないもの(血液型等)の関係(関連や連関と言う)も数値で表す事は可能です。ですので、取り敢えず、相関関係を確かめるためにこういう指標を使おう、と考えておけば、話は進みます。
で、それを踏まえたとしても、じゃあ、「相関関係が無い」というのは、「相関係数がゼロ」である事のみを指すと考えるのか、という問題が出てきます。ピアソンの相関係数は数学的に計算するものですが、それがゼロになった時しか、「相関関係が無い」と言えないのか、と考えると、それは非現実的であるとも言えます。ですから、慣習的に、数値の範囲ごとに定性的に評価する(絶対値が0.7から1辺りなら強い相関関係があると言う、等)、という風になっています。
また、ここにも、「範囲」の問題が絡んできます。これが、全部を観察出来ないものを対象とする場合には、集団の一部(標本)を採ってきてそこから推測するしかありません。仮に、その一部で計算した相関関係がゼロであったとしても、本当に知りたい集団、すなわち母集団においてはそうで無いかも知れない訳です(相関係数がゼロになるような標本がたまたま採られた)。

「相関関係が無い事の証明」

そう考えると、もし「相関が無い」というのを文字通りに、「相関係数がゼロ」と考え、更に、調べたい集団が巨大なのであれば、事実上、確かめる事は不可能である、と言えます。確かに、厳密に考えればそう。けれど、私達が関心を持つ、「相関関係」というのは、果たしてそういう事なのかどうなのか。それは裏を返すと、「相関係数がゼロで無ければ“相関関係がある”と看做す」ともなる訳です。「ある無し」だけで、こういう量的な問題を考えると、このようにややこしくなります。財布に1万円札が無いかどうかを調べる、という問題とは違うのですね。
だから科学では、上でも書いたように、このくらいの相関係数なら強いと看做すとか、絶対値が0から0.2くらいまでは、ほとんど相関関係は無いと考える、のような見方をします。更には、何を対象としているかによって、その数値の見方は変わってきます。
そして、ここまでを前提とすると、科学においては、「相関関係が無い」という表現は、必ずしも「相関係数がゼロ」のような事を意味しない、と言えます。つまり、数値が小さい事をもって、「無い」と表現する場合がある。こういうのはたとえば、「薬に効果がある/無い か」というような議論にも関わってきます。「効果が無い」というのは、「誰にも全く好ましい変化をもたらさない」のと同じであるとは限らないのですね。集団を調べて個人差を評価して、変化があったとしても、それが医学的に意味のある大きさで無ければ、それは「効果が無い」と評価するのです。
もし、「相関関係が無い」というのを、「母集団における相関係数(等の指標)がゼロである」のと同じ意味であるとすれば、確かに「証明は不可能」です。ですが、そもそもそういった意味で相関関係を云々するのは非現実的でもあります。そのような考えを通すならば、世の中のほとんどの現象について「相関関係が無い」事を示すのは不可能となってしまいます。そして、科学の議論等を行なっている人は、「無い」というのをそのような意味では用いていない(「実質的に無視出来るほど小さい」と同じ意味で使っている)可能性がある、といった事は押さえておいて良いでしょう。「小さい」事を「無い」と表現するのは、日常的にもある訳ですから。
もちろん、なるだけ誤解されないようにするために、「無い」という表現自体を控える論者もいます。
ここまでを踏まえて、

  • 「無い」に「実質的に小さい」を含める
  • 一部を調べて全体について推測する方法を認める
  • いくつもの研究で仮説や推測が支持される事を「証明」と表現出来る

とするのならば、「相関関係が無い」事を「証明」するのは「可能」です。

悪魔の証明

○○が無い事を示せ、という要求に対して、「無い事は証明不能だからそれは“悪魔の証明”である」として批判する場合があります。けれど、この表現は注意を要すると思います。つまり、文脈及び、言葉への意味の含ませ方によっては、「無い事は証明出来る」と看做せる場合があるからです。ここでは、

  • 何のある無しを確かめようとしているか
  • 範囲は時間的・空間的にどのような規模か

といった条件を考慮するのが重要となるでしょう。
「無い事を示せ」、という要求がおかしいのは、それが立証不能だから、という場合以外に、ある(もしくは、あるかも知れない)と主張する側が、「無い事を示すコストを不当に負わせる」からだと言えます。
科学の議論では、二値的な「ある/無し」だけでは無く、初めから、量的な事を考え、推測含みでものを考察しているのだ、とも言う事が出来ます。

言葉の意味

日常会話でも、「○○がいるんだよ」という意見に、「いや、そんなのいない(無い)よ」と返すようなのは、よくありますよね。このような時に、「いない(無い)」という語には、色々な意味合いが含まれます。強く、絶対に存在しない、という確信を込めている事もあるだろうし、それまでの知識を踏まえるとあるとは考えられない、という場合もあるでしょう。言葉は、必ずしも使っている人々の間で意味が共有されているとは限らないから、そこをすり合わせて了解をとっていくのが、コミュニケーション上重要な事であると思います。
私も以前は、悪魔の証明という言葉結構使っていたように思います。なんでしょう、語のインパクトが強いのもあるのでしょうか。ある意味使いやすい言葉です。けれども、今はあまり使わないようにしています。科学の議論は最初から、程度問題(ただし統計学的理論を土台としている)を考慮した上で「ある/無し」を言う、という事を意識するようになってきたからなのですね。
たとえば、それまで効果があるとされていた薬が、実は効果が無かった事が判明した、としましょう。その時に、「あった効果が無くなった」と解釈する人は、あまりいませんよね(論理的にはその解釈が出来る余地はある)。試験が不充分であったとかの理由で知見が覆された、と考えるはずです。
あったはずの効果が実は無かった、というのは、文字通りに言葉を取れば、確かにおかしいのですがものの効果が、「ある」→「無い」 に変わるってどういう事だ、という意味で、ここで書いてきたような事を踏まえれば、そう表現も出来る、というのが解ると思いますが、いかがでしょうか*1

*1:ただし、そういう事が頻繁にあるようでは、科学自体の信頼が揺らぐので(あるという主張も無いという主張も、いずれも何の信用も出来なくなる)、なるだけミスの起こらないような体系と制度が組まれている