nekoSLASH_記録編(日常・登山)

『nekoSLASH』分家。日常、登山、廃墟、珍スポットの記録集。

2025.10/1-19_大阪・関西万博デザイン展@enoco(江之子島文化芸術創造センター)

2025年10月。終幕日は刻々と迫りくるが、もはや万博会場には入れない。万博ロスにむせび泣く民が連日押し寄せている。事実上の、大阪・関西万博第2会場となってしまった。

 

9/30(火)、X(Twitter)に一本の長文告知が投じられた。

2025年大阪・関西万博デザインシステム「EXPO 2025 Design System」クリエイティブディレクター・アートディレクター、引地耕太氏である。

 

「【重大発表&拡散希望】」から始まるその投稿には、「万博閉幕間際のこのタイミングである"明日"から大阪に『新しいパビリオン』が生まれます!『大阪・関西万博デザイン展』万博サテライトパビリオン。」とあり、

職場で青白い顔をぶらさげて昼飯を食っていた私も、あかんこれは行かねばとブックマークを押した。行くんや。

 

もはや9月下旬から万博は手の届かない場所になっていた。閉幕駆け込みの予約が殺到し、かたや、予約が取れず未使用となったチケットが100万枚以上に上るとも報道されていた。新規チケット販売は打ち切られ、望みは絶たれていた。大多数の関西人、大阪府民は、すぐそこに夢洲があるのに、ゲートの向こうへ足を踏み入れることが許されず、泣いていたのである。

 

そんな喪とも生前葬ともつかぬ状況で投じられた「万博サテライト会場」の報に、皆が色めきだったのは至極当然のことで、その週の土日(10/4,5)には早くも数時間待ちの行列が会場のenoco(江之子島文化芸術創造センター)前にできていたことが話題となっていた。

 

土日祝は危険だ・・・。用事のついでに平日によるとしよう。

私は10/10(金)、11時半頃にenocoを訪れた。

あーあー行列あるやん。おい皆さん平日の昼間っから何をしてるんですかよ。

 

係員「だいたい1時間半待ちとなっております~」

暑い。

少しずつ列が進む。enocoの展示室はそんなに広くはない。適正人数の上限を設定し、退場した人数分だけ都度入れているのだろう。

 

1時間20分ほどで入場できた。常識的だ。これが休日だったら地獄だったろう。

(後に最終日1日前の10/18(土)の状況をXで知ったが、行列が地下鉄・阿波座駅まで伸び、さすがに公道を占めるのはまずいということで最終日は整理券配布方式にするも、やはり朝から行列がすごくて予定より早く配布したとのこと。大阪府民の万博ロスは深刻です。。。)

 

あっ泣ける。やめて泣いちゃうから。

さよならはいわないで。(つ ヘ`)

 

 

◆大阪・関西万博のデザイン

展示は万博全般のデザインについて、コンセプト立案、展開のプロセスを提示するものだった。万博全体というが、要は「ミャクミャク」、またその始原でもあり発展系ともいえる「こみゃく」たちの発生源のことだ。

それらは「命」である。いかにしてあらゆる「命」なるものをデザインし、また生み出された「命」のデザインをいかにして「生き」させるかが、大阪・関西万博の要点である。

 

本展示は、ミャクミャク様の推しイベント会場ではない。ミャクミャク様は、万博のテーマである「命」の要素の一つであって、主役はあくまでこれら「命」の発生と進化、分化であるという構成になっている。

 

まず、変幻自在に、如何様にでも変化し交雑し交流し分化する「こみゃく」群がおり、そのダイナミックスの中で、極点の到達点として/ある種のイレギュラーな飛び地として、ミャクミャク様がいる。

 

その証拠に、入ってすぐの中央に据え置かれるのは、こみゃくの目玉である。

目玉は単純明快にして素晴らしいアイコンだ。

目玉は、ともすれば生理的にバッドな負荷を強いるが、ここではゆるく万物へのアニミズムをサブカルチャー風味からもたらしていて、何の抵抗もなく、大変に共感できるやさしさに満ちている。しかし目玉単体に近いデザインなので抽象的さと即物的さが折り重なっている。優しいこととリアルさとが共存していることが現在形としての説得力を帯びたのだと思う。

かわいい(つ ヘ`)

 

あかん万博会場行かせてや(泣いてる

 

なお会場で展示されていた資料・説明の多くは、大阪・関西万博公式ホームページ「デザインシステム」で紹介されている。enocoにも行けなかった人はこれ読めばだいたい良いです。

www.expo2025.or.jp

会場は混雑とまではいかないぐらいの、鑑賞にはちょうどよい空き具合。しかし展示が壁と机に紙資料を広げる形なので、どこも誰かが読みふけっている状況。ちゃんとした記録撮影は無理でした。まあ上記サイトを読んで理解を深めましょう。

 

まずはロゴマーク制作プロセスの解説。

解説というよりもはや生物種の発生機序である。中学・高校の生物の教科書を思い出す。徹底して「命」「生物」を追っていることが分かる。

公式ロゴと「ミャクミャク様」との区別がもはや付いてなかった私だが、そういえばこの赤い目玉とも腸ともつかぬ輪っかが万博公式ロゴでしたね。

今思えば一番なんか内臓っぽいというか、生々しいやつ、当時の感覚で言えば良くも悪くも「気持ち悪いやつ」を選んだのは本当に英断だった。この赤い目玉の輪っかがいなければミャクミャク様もいなかった。

www.expo2025.or.jp

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生物、「命」に全振りしていくことで「大阪・関西万博」は単なる美辞麗句の政治的・経済的マニフェストから逸脱した、私達が肉感を得られるリアルな祭りへと進展していったのだと感じる。

 

年表を見ましょうね。2019年、2020年のことだなんて信じられない。

ミャクミャク様はこの生態系の一部(象徴)にすぎない。

 

肝要となる「EXPO 2025 Design System」の説明が続く。概要は上掲リンクのとおり。

「いのちの循環」として、生命を表現するための「生きた」デザインシステムが企画された。

「いのち輝く未来社会のデザイン」という、大阪人からすればなんやら掴みどころがなく、胡散臭くもある綺麗すぎる万博テーマに対し、「デザイン」が全力で体現しにいった。それが「はじまりも終わりもない時と、いのちの流れ」という、全体も部分もなく、全てが生成し続け、分化し自立しうる(しかし孤立や対立を生まず、融和できる)という、今までにない様態・構造のデザインだったのだ。

 

この発想はたいへんな異形であり偉業だったと思う。なぜなら当初、それらに触れていた時、まったく意味不明だったのだ。JR大阪環状線の万博ラッピング車輛は実に不可解きわまるものだった。ホームに入ってきた車輛を見たとき、困惑した。「これの、どこがデザインなのか?すべて断片ではないか?」

www.expo2025.or.jp

全体像がない。完成形がない。一つの正となる核がない。開幕前、1970年・大阪万博を「善き万博」と礼賛していた頃には、そんな不定形極まるデザインは「デザイン」ではないと感じていた。とらえどころのなさ=まとまりのなさ、洗練を失った慣れの果てのように感じ、唯一無二の絶対的な解としてのデザインを追求した55年前の方が、圧倒的に優れていたように感じたのだ。

 

だが万博を体験して、この掴みどころのない「こみゃく」的デザインしかありえなかったことを実感した。会場内も、大阪の至る所も、こみゃくが満ちて動いていることにリアリティがあり、出会いの喜びがあった。

生成と分化と融和を永遠に繰り返す、生命そのもののような流動を備えたデザインが、実際に社会に、物理現実に増殖し、私達の感覚にも侵食し、その一部になるということが、これほどリアリティのあることだったとは、予想だにしていなかった。それは感染に似ている。私達はデザインを取り込み、私達の一部がデザインになったとも言える。感染してしばらく経って、症状が出て初めて存在に気付くのだ。それまでは目にも見えていないが、感染後は自分の一部になった気さえする。アフター・コロナ時代の感性としても合致している。

 

理屈だけではない。絶妙な「かわいい」がそれをうまく成立させている。こんな「かわいい」を日本以外のどの国や地域が創造・実現できようか。「かわいい」をテクノロジーや学術と絡めて本気でやり抜く狂気のセンスこそ日本の奇怪な良さであると思う。たぶん。

これに震えた。

「全体」が部分になり、分化した部分が一つの個体として動き出す。個体は個別のキャラクターとして認知される。個体はまた全体に還ってくる。それぞれの個体のよさ(可愛さ)を実感した後に「全体」を見たとき、初めてその構造に気付く。

細胞膜の中で核から無限に生み出されてくる情報。パーツに目があるというだけでキャラクターと化してしまうアニミズム×サブカルチャーの感覚。どこをどう切り取っても活き活きと動き出す生命力の強さ。まさに大阪・関西万博の目玉であり「日本」の現在地の象徴であるiPS細胞のポテンシャルを炸裂させたかのような構造である。

あーもうこれ見たらまた万博行きたくなったんですけど(つ ヘ`)

分かった上で会場を彷徨い歩きたかったし、桜島からバスで夢洲に入り、西ゲートに向かうときに車道沿いに沢山のデザインが施されていて、あの「異世界へ入った」感じが、まさにこれらのデザインによって催されていたのが、今や懐かしく、ちょっとまた行かせてほしいんですけど(泣いてる

 

カラーバリエーションも海、野山、光と3系統用意されていて、本当に自由度が高いことに驚かされた。

こうしたコンセプトシートが展示され、冊子状でも置かれていて、デザインまとめ本とか売ってほしいですねほんと。

後半ではそれらデザインを以って、万博というものを夢洲会場の外へと広げ、繋げていくことの思考・企画が提示されていた。

本展示の最大の効能は、「夢洲」の認識が刷新されたことだろう。それまで、夢洲を単なる「パビリオンのあるイベント会場」とまでしか認識していなかった。実際、入場からバスからパビリオンから、予約奪取バトルをいかに勝ち抜くかにあまりに終始していたので、大局的な視野を持てずにいたのだ。

だがデザイン=生命、生物種と見たとき、「夢洲」はそれら新しい生命の発生源であり、発信源であったのだ。

 

2020年8月に万博ロゴマークが決定し、2022年に公式キャラクター「ミャクミャク」が決定(2月にデザイン、7月に愛称)してから、それらの大阪・関西万博デザインは大阪府のみならず関西の至る所に総力を挙げてばらまかれてきた。上掲の写真にある同心円状の図は、これら万博的な「何か」が、どこからやってきたのかの認識を大きくスイッチさせるものとなった。

開幕前までそんなデザインの拡散は、大阪府吉村知事、大阪維新の会という「政治」によって、上から拡散され(強要され)たとしか感じられなかった。だが展示によって、これらのデザイン群が、「夢洲」という無の人工島から自然発生し、新時代の超可変的生物として都市の隅々へと行き渡っていったというストーリーへと、ようやく気持ちと想像が追い付いた。

 

あのとき会場でアプリの挙動にイライラしながらも、私達は命のコアに触れていたのか。それどころじゃなかったんだがアプリが本当に糞で・・・生命とか進化とか高尚なきもちになるよりもっと現実的な手続きと通信環境にあがいていたんすよ。やはり通期パスで何度も通うべきだったのか。

 

はいようやくミャクミャク様。

ミャクミャク様は道ばたでお金を拾ったりお好み焼きの大食いをしたりはしません。

あれ何だったんだ。

imadoki-railsite.com

ミャクミャク様の生まれについてはファンの皆様の方が詳しいと思うので割愛。

開幕前は本当にかわいそうだった。私は心底同情していた。なんていうかまだ誰も「大阪・関西万博」を肯定も賛成も応援もできない時代、吉村知事/大阪維新の政策を全肯定するために、イメージ戦略の先兵として、大阪府下のあらゆる場所へと丸腰で送り込まれた、ボランティア兵士のように見えたのだ。うちの地元のような大阪府かどうかよくわからん市町村の、商店街かどうかもわからん通りにすら垂れ幕やポスターが配されているのを毎日見て、心底、ミャクミャク様が気の毒だった。

 

それが今や、ここまで愛されるキャラクターになるとは。

皆の意識下にもうっすらと大量動員された不遇・下積み時代のミャクミャク様の姿が残存し、積み重なって、開場・来場とともにやっと感情の閾値を超えたのかもしれない。

www.expo2025.or.jp

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wired.jp

 

◆こみゃくの展開

万博デザインのトータルの話から、会場内での「こみゃく」の活躍・生態が解説されていった。実に夥しい場所で、現地で数えきれるわけがないほどのパターンの「こみゃく」が配されていたことが分かる。パス買って何度も行くべきだったんや。泣いてる。

この時点でかわいい。

来場者が多くてポスター全体が撮れないのでこれは一部。こんなに「こみゃく」のパターンがあったのか。しかも場所ごとに特徴や役割がちゃんと持たされている。あの細胞核から湧き上がってくるような有象無象を孕むデザインがあってこそ、分化した先の多彩な姿に必然的な繋がりが生まれる。このデザインのコンプリート本やっぱり世に残されるべきですよ本つくってください本。

 

机上のシートでは主な展開場所が紹介されていた。

うそやん・・・ こんな多かったん・・・

 

(つ ヘ`) 全然しらん。見てない。

 

会場でのデザイン展開については万博公式サイトではなく「大阪・関西万博 OPEN DESIGN PROJECT」サイトに概要がまとまっている。このサイトがあるのは知らなかった。

expoworlds.jp

実際、あんだけ来場者で混雑してたら、地面が見えませんです。

それに、各施設の混雑状況、行列の最後尾を常に注視しつつ、スマホでアプリを注視し予約チャレンジし失敗し表示の不具合(既に満員なのにまだ満たなくてワンチャンいけるかのように表示されるアレ)や通信エラーと戦いつつ、地面のこみゃくを追うことは、不可能なのであった。泣いてる。

 

夢洲会場を新型生命体の発信源としてしっかり認識できるためには、やはり来場者の少なかった4~5月にどれだけ万博に通えたかが決め手になっただろう。これは私のふとくといたすところです。

すごい低位置の記念撮影顔ハメ用バス型こみゃく。こみゃくが人類に仕えるのではない。人類がこみゃくの棲息の水準に合わせるのだ。いいぞこれだこういうことだ。わたしはよろこびました。わはは。

 

 

◆その他_音響、企業コラボ、派生ファンアートなど

こうしたデザインの届いた先からのレスポンス、反響であったり共鳴というものがあるわけです。この会場で起きていること自体がもうまさにそれで、みんな真剣に一つ一つの展示を観て撮影している。感染により遺伝子にミャクミャクが入っているから自分の一部だと思っているのだろう。

親しげなそれは偶像というより親類縁者的な距離感であり、いやもっと「わたし」の可能性的な残影でもあるのだ。

 

万博会場内のBGM、音響についても触れられていましたね。写真とか視覚芸術については少しわかるけど目に見えない分野は全然わかりません。ていうか万博会場内で何が鳴ってたか全然知らない。鳴ってた??? ウェーー( ´ q`)

万博会場のサウンドスケープデザインは、「いのちのアンサンブル」というコンセプトのもと、人間や自然・テクノロジーという異なる存在たちの”音”を響かせ合い、それぞれのエリアの魅力を高めるとともに、会場をひとつの「生態系(地球)」に見立てて、音を基調とした全体の調和を生み出します。

会場は命・祭・街・森・水・空・地というテーマを持つ複数のエリアに分かれて構成され、7名のコンポーザーが参加。

サウンドスケープのクリエイティブチームとともに、多様でありながらも調和した音の生態系を奏でていきます。

 

知らない話が多すぎる。泣いてる(つд`)

なに7つのエリア設定と7名のコンポーザーがそれぞれサウンド??

音鳴ってたのか・・・

 

これも万博公式ページとは別に、「大阪・関西万博 OPEN DESIGN PROJECT」サイトに概要がまとまっている。

expoworlds.jp

soundcloudリンク貼っててBGM聴けるのが神です。

こっちにもはっとこ。

soundcloud.com

めっちゃいいんですけどこれ。めちゃ多いし。

視覚情報で捌かないといけないことが多すぎておざなりになってたけど、音か、、、そうすか、、、

 

そして皆さん大好きな映像。

QRコードが提示されていましてね、家でゆっくり見れるんすよ。


www.youtube.com

よくまあこんな異常な祝祭の場を実現させたものだと改めて思います。

少なくとも私は一ミリも想像できなかった。想像を完全に超えた場があった。人は自分の想像できる範囲の要素と視野からしか判断できず、その物差しがあてられないとき、ヒステリックに批判するか無視をきめこむしかないのだということがわかった。悲しいことです。

で家やスマホでプレゼン資料や動画を見ていても、たぶん臨場感がなくて楽しくない。臨場感。祝祭の変な熱気、情報過多で情緒がバグることを皆求めている。空間に情報、デザインがわちゃわちゃしていて、人が多くて、みんな熱に浮かされていることが重要なのだ。

万博ロスの正体は熱気の喪失、それも消費し尽くせない膨大な量の熱気を目の当たりにしつつ、その場を失ったことで引き起こされている。「こみゃく」「ミャクミャク」によって生命エネルギー循環系が形成され、人間はその中に浸かることで熱を得る。

 

そして万博(デザイン)に感染した民が、自発的に生み出した派生デザイン・コンテンツの数々。

ミャクミャク様折り紙を考案した人はマジえらい。異常ともいう(誉め言葉です

デザイン利用・二次創作の縛りの緩さと、キャラへの愛、万博ロスの情緒とがこうした庶民と万博との多彩な交流を生み出していた。

楽しい万博の思い出とともに・・・

知らないデザインが多すぎて泣いてる。大屋根リング、東西ゲートくぐった後あたりに大量に棲息していたようだ。パビリオン攻略に終始しているレベルではエンカウントすることが困難すぎます。ああん。

 

最後は企業とのコラボレーション紹介。「乃村工藝社」が万博の50以上のプロジェクトに関わってデザイン・コンセプトの実装化に尽力したと。

乃村工藝社のサイトを見ると、グッズ制作どころではなく、「大阪ヘルスケアパビリオン」や「null²」「GUNDAM NEXT FUTURE PAVILION」をはじめとする各種パビリオンの設計や施工、空間デザインなどに携わっている。すごい!

www.nomurakougei.co.jp

 

その中に紛れて紹介されていたのが、読売新聞社の万博報道写真集。

www.yomiuri.co.jp

10/7に発売したところなのに、なんかもうAmazonでは売り切れ状態だし、人気なのかな。買いたいがどこにあるのか・・・。

 

 

◆万博会場内のクリエイター作品

会場内のいたるところに天井から吊り下げられている展示物が、万博会場内でアーティスト・クリエイターが展開していたイラスト作品の写真である。

会場内のパブリックアートについては公式サイトでまとめられているが、こちらのイラスト作品のまとめは先述「大阪・関西万博 OPEN DESIGN PROJECT」サイトの一番下、「Co-MYAKU'25」コーナーにある。

www.expo2025.or.jp

expoworlds.jp

25組のアーティストの作品なので、万博会場25カ所に点在してたわけです、これも偶然出会えるかどうか。むりやで。場所明示されててもコンプ狙いにいけるわけがない。私は僅かな数しか出会えていなかったので、この展示で数に驚いた。たくさんありますね(棒読み)

Zennyan『Sync』

みてない。かっこいいなこれは見たかった。大屋根リングエスカレーターか。

simo『OBJECT #14』

みてない。何の形状なんだろうこれ。

水江未来『惑星』

みてない。こみゃく詰め合わせ球体か。いいな。ただ目がやや気持ち悪い。。

原田ちあき『脈々とワクワク』

みてない。これいいな、リキテンシュタインをもっと漫画に寄せた感じでたいへん好みです。意味深な台詞がまた良い。涙がこみゃくとか発想がすばらしい。

オートモアイ『future suit』

これ見た。エジプト館の隣の壁にあったやで。ヒト型と化したこみゃくには感動を覚えた。こういう進化・変性の自由度が異様に高いのが、こみゃく、大阪・関西万博のデザインの特徴であり、成功の要因であると思う。

杉野ギーノス『ルミナス』

みてない・・・と思う。自信がなくなってきた。写真を撮っていないだけでどこかで目にしているかもしれないと思い始めてきてキョドっている。記憶が・・・あいまいなんだ・・・

カワグチタクヤ『表裏一体』

み、、て ない・・と思う、 たぶん、。、、自信がない、、

いや 部分的に見てた! 書道みたいなトライバルタトゥーみたいなこれ。見たわ。

大河紀『コイコイ』

見てない。こみゃくがネコ科動物になっているのは良いですね、ネコ科なのかこれ。妖怪?妖怪もいいですね日本ですからね。

 

あ、見てたわ。

東ゲートの受付窓口壁面にあった、四角いこみゃくか。

何かに並んで座ってる人の列があったから、獣部分が見えてなかった。

ムネアツシ『桃太郎』

見てない。と思う。こみゃくの鬼ヶ島戦か。昔話をもってくるのもいいな。

ぬQ『ポップ☆コーンミャク』

見てない。パワフルな絵だ、これは見たかったな。ポップコーンにこみゃく混じっててかわいい。

稲葉秀樹『ゆきかう』

見て・・・ない・・・と思う・・・自信がない、、

emma『大地の息吹』

見た。火炎モードでエネルギッシュですね。

はくいきしろい『細胞と水』

見てない。見ててもおかしくないデザインだが、、スタイリッシュさが際立っている。

宮内紗也果『rett』

見てない。とても「デザイン」だと思う。掛け軸にして飾っておきたいな。和だ。

田中かえ『これから』

見てない。猫耳女子か。90年代みもあっていいな。こみゃくと女子。

KAMI『つながる脈動』

みてない。みてないもんばっかりやないか。鯨ぽくてかっこいいなこれ。

みんな『WORLDs』

みてない。見てなさすぎて草。

横山裕一『ネオ万葉』

見てない。これは見たかった・・・私は横山裕一ファンでしてね、「ニュー土木」という新境地を切り拓いた作家として私は痺れておるのです。見たかったわ。

みんな『WORLDs』

み、、てない・・・と思う、たぶん、、、 自信がない。

前田豆コ『浪漫、ここにあり』

見てない? いやどっかで目にしてる気がしている、このピンクの丸い巨人みたいなのなんか見覚えるんよな、美味しそうな・・・

Summer House『ポップアウト』

微妙~に見た。東ゲート側、夢洲駅階段上がってきてすぐの受付、大河紀『コイコイ』とドア・窓を挟んで反対側に描かれていた絵だ。謎の行列ができていてちゃんと見れてないし撮影どころではなかったんや。行列がデザインを殺してるパターンが多いと思う。

CASPER『EXPER』

見てない。ストリートアートの流儀でこみゃくか。かっこいいな。夢洲の車道の虚無を埋めてほしい。

MASAGON『いのちへの』

みてない。どこにあるのこんなデザイン・・・。

牛木匡憲『エキスポーズ』

見た。場所がいまいち分からないがセルビア館やらベルギー館やらがあるあたりの壁です。どこか「太陽の塔」の顔を想起させる面立ち、そしてヒト型。下半身のボリュームが大きくて迫力があり、素晴らしい。

conix『共生』

みてない。見たかった・・・。昔「日本酒マニアック」(梅田loft)というイベントでconixさんデザインの酒瓶を見て惚れたんすよ。良い味してる。

 

 

という感じで振り返りをしました。25組の作品が判明して良かった。

 

 

◇おまけ_会場の外、ポスターなど

最後に、デザイン展会場の外などで見かけた万博関連のポスターなどを。

うっうっ(※展示を観に行ったこの時点で10/10(金)、11(土)~13(月)は旅行で関西を離れるため、もう万博が生きている間に大阪をうろつけるのはこの日が最後だったのである。看取りだ。うっうっ)

まずデザイン展の入口のカウンターに貼られていた、いにしえのミャクミャク様。

このシンプルさが鋭かった。無駄な情報がない。

ミャクミャク様が主役であり、そのデザインを含めた「万博」が主役というポスター。

もっと愛でればよかった。

 

enoco1階の階段の方にいくと、

出た、クソダサ広告ポスター!なつい!

これはさすがにダサかった。「としまえん」の例のポスターを焼き直したパロディか、それとも何なのか? なぜ年齢不詳の女性はたこ焼きを食っているのか? 「来場予約受付中!」のフレーズが懐かしい。

 

地下鉄・阿波座駅へと帰る道中にも

伝統的なミャクミャク様ののぼりである。嬉しい。

ミャクミャク様がにこやかに、スケートで滑るように歩いているのがすばらしい。

これ

街からなくなるの辛いなあ・・・

もう大阪の都市風景の一部なんですけどね・・・。10/13閉幕後なくなるんですかね・・・?

 

そして地下鉄駅に入ってもなお、万博関連のデザインは地味に続いているのである。

見よ。カスハラだのマナーだの人権だのと非常に紛らわしいテイストで「行こうよ万博へ!」と訴え、小さくミャクミャク様が滑っています。逃げ出してるのかな。

 

阿波座駅は地下鉄・千日前線と中央線とがあり、千日前線ホームには「万博会場へは中央線ホームに行ってね」との案内貼り紙があります。

地下鉄が来ましたね。

万博だよ。

ホームドアも万博のバス案内がPRされており。

大阪メトロは全ての自動改札に「くるぞ、万博。」シールが貼られており、これを見るだけで泣けてくるものがあります。ミャクミャク様はよく頑張りなさった。うっうっ。

 

デザインで好奇心が満足した反面、より深刻なロスを実感したのであった。

 

(つд`) ※このあと入れないのに夢洲駅に行って例の車内アナウンスを拝聴して巨大阿部寛を拝んで帰ってきました。深刻だ。