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科学的で現代的な「人を動かす」──『事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学』

事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

事実はなぜ人の意見を変えられないのか-説得力と影響力の科学

事実では人の行動は変わらないという。議論をしたときに「これこれこういう事実がある」という主張をしても相手の意見が変えられなかった、ということは多かれ少なかれみな体験しているものではないだろうか。たとえば、アメリカではワクチンを摂取することで知的障害などが発生するリスクがあるというデマが拡散して、そのせいで百日咳やおたふく風邪が今更蔓延するというアホくさい状況が発生している。

ワクチンによって知的障害リスクが上がるのは完全にデマなので、科学的な事実の啓蒙を行えばいいでしょ、と思うかもしれないが、実はこれには全然効果がないのである。ある実験では反ワクチン思想を持つ親を集め、麻疹にかかった子どもの痛ましい物語を聞かされたグループ、ワクチンと自閉症の関係を否定する情報を見せられたグループなど、異なる形でワクチンを打たないことの危険性を伝える4グループに分け、ワクチン接種をしたいと考えるようになったかを調査したが、どのグループも考えは変わらなかった。科学的にどれほどワクチンが安全で、風疹や麻疹の恐怖を伝えようとも、無駄であるどころかさらにワクチンを拒絶するようになったのである。

そもそもなぜ多くの人がワクチンが自閉症を誘発すると信じてしまうのかといえば、それを信じ込ませようとする人々の手法によるところが大きい。たとえば、医療従事者らによる科学的な主張は「知性」に訴えかけてくるが、公の場で何度もワクチンと自閉症の関連について述べているトランプのような存在は、知性以外のあらゆる部分に訴えかけてくるのだ。通常、人の不安に訴えかける手法は説得のアプローチとしては弱いが、次の二つの条件下では不安がうまく機能すると著者は語る。

ひとつは、「何もしないように」仕向けること。ふたつめは、説得する相手がすでに不安定な状態にあること。トランプは予防接種を「受けない」ようにすすめ、当然ながら子どもにワクチンを摂取するかどうかで悩む若い親は不安定な状態にあるから、彼の感情に訴える反ワクチンへの誘導は科学的知見よりも人を動かすことになる。

 実のところ、今日の私たちは押し寄せる大量の情報を身に受けることで、かえって自分の考えを変えないようになってきている。マウスをクリックするだけで、自分が信じたい情報を裏づけるデータが簡単に手に入るからだ。むしろ、私たちの信念を形作っているのは欲求だ。だとすれば、意欲や感情を利用しない限り、相手も自分も考えを変えることはないだろう。

人は事実で意見を変えない

ワクチンの例に加えて、人は事実で意見を変えないことを示す、気候変動に関する実験をご紹介しよう。世界が人間の活動によって気候変動を迎えつつあるのは事実だが、人為的な要因による気候変動それ自体を信じていない人も多い。なので、それを信じている人/いない人にグループを分け、気候科学者の予測によれば地球の平均気温がこの百年で約10度上がると伝え、自分たちならどう予測するかを考えてもらう。

重要なのはここからで、予測を決めた後参加者の半分には「最新の研究成果によると以前考えられていたよりも気温の上昇は抑えられる」、もう半分には「気温の上昇はさらに悪いことになる」と伝えられ、予測を修正するよう求めた。普通専門家の判断を受けて自分の予測を修正するだろう、と思うのだが、実際には参加者らは、もとから自分が持っていた世界観に合致した情報を得たときだけ、意見を変えたという。

たとえば人為的な気候変動を信じない人たちは思いのほか気温の上昇は悪くないと聞かされた場合は予測を二度下げたが、逆のニュースを伝えられても一切影響を及ぼさなかった。つまり自分の思い込みを強化する情報しか受け入れなかったのだ。『実のところ、自分の意見を否定するような情報を提供されると、私たちはまったく新しい反論を思いつき、さらに頑なになることもある。これを「ブーメラン効果」という』

じゃあ、どうしたら人を動かせるのか?

じゃあ、どうしたら人を動かせるのだろう? といえば、本書で取り上げられていく手法のひとつは「感情」に訴えかけろ、というもの。陽気でいれば周囲の人間も陽気になるし、逆にしかめ面をしていれば周囲にストレスを与えることになる。これはインターネットでも同様で、フェイスブックで50万人を超えるニュースフィードをあるユーザ群にはポジティブな投稿を、別のユーザ群にはネガティブな投稿を表示するようにしたら、後者のユーザは否定的な投稿をする傾向が高まったという。ちなみにこの実験、完全にサイレントで行われたのでユーザは怒ったという(当たり前やろ)

とはいえそれってなんかポジティブとかネガティブとかそういうざっくりとした傾向の操作の話でしょう? もっと具体的に人の意見に干渉する方法ないの、と思うだろうが、これもある。そのひとつが、「期待が行動を導く」というもので、誰かに行動をしてもらいたいとおもうならご褒美を約束して喜びを予期させるほうがいい。

配偶者をジムに行かせたいのであれば、なぜ行かないのか、と叱るよりもたまにジムにいったときに「鍛えた筋肉が素敵」と褒めるフィードバックをしたほうがいい。子どもに勉強しないとまともな仕事につけないよ、と脅すのではなく、勉強したら最終的には素晴らしい職を得て、素敵な人生をおくることができるようになるよ、とポジティブに伝えるべきだ。これは脳がそもそも機能的に「前向きな」行為を「ご褒美」と結びつけているからで、不安で煽り立てるよりも(トランプが使ったような特定の状況下以外では)基本的にはその方が人間の動作は早くなることと関連している。

一方で、人に行動をさせたくない、抑制したいときには罰則を与えたほうが良いという結果も出ている。たとえば子どもにクッキーをあまり食べさせたくない、機密情報を口外させたくない、といった時には警告を与えたほうが良い。差し迫った脅威は、我々を凍りつかせる機能を持っているからだ。

おわりに

と、ざっと紹介してきたがこれで全体の35%ぐらい。本書はここから「権限を与えて人を動かす」といって自分で自分の人生をコントロールしている事実がどれほど人の幸せに連動しているのか、人が意見を聞き入れるときはどのような時か、脳に直接電気的な刺激を与えて行動に干渉することができるようになったら──という「未来の影響力の科学」など、多様な観点から「人を動かす」ことについて語られていく。

「事実で人は動かない」というのは要するに「それ以外のもので人が動く」ということでもあり、その前提から「我々は人をどのように動かしていくべきなのか」という問いかけも必然的に出てくるわけだが、これはとても重いテーマだ。グレタ・トゥーンベリさんの気候変動に関する感情的な演説も、あれはあれで一つのやり方だと認める一方で、そういう感情に訴えかけるやり方は勘弁してくれよ、とも思ってしまう*1

が、こうやって抵抗を覚えてしまうことそれ自体が、「事実が人の意見を変えられない」ひとつの証左なのかもしれない。どのような干渉がいいのか、これから模索していかなければならないのだろう。

*1:トーン・ポリシングと言われようとも。というか、トーン・ポリシングという思想それ自体はありとしても、それを無敵の矛みたいに振り回されるのには本当に嫌気がさしているのだが。