ばらいろのウェブログ(その3)

ひびのまことの公式サイト→ https://barairo.net/

「フェミニスト、および、そうフェミニストでないかもしれない先達と友人のみなさまへ」の質問と、ひびのの回答


『季刊ピープルズ・プラン』という雑誌があります。その第51号で「【特集】ジェンダー平等は日本でなぜ進まないのか」という特集記事が組まれています。その一部に、『「フェミニスト、および、そうフェミニストでないかもしれない先達と友人のみなさまへ」の質問と寄せられた回答』というのがあり、それに私も回答し掲載されたので、その紹介です。
 なお、特集の意図は以下で読めます。
ジェンダー平等は日本でなぜ進まないのか
  ――特集のねらいと概要/青山薫


『季刊ピープルズ・プラン』
第51号


◎定価1300円+税
 A5版184ページ
 発行・ピープルズ・プラン研究所
 発売・現代企画室


http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=55



「フェミニスト、および、そうフェミニストでないかもしれない先達と友人のみなさまへ」の質問と寄せられた回答


1. お名前/ニックネーム/匿名
ひびの まこと


2. 年齢層
若者


3. 性別
不明


5. 関心分野

  • 社会運動
  • 社会運動の内部における暴力/差別/抑圧/権威主義/ご都合主義


6. ご自分はフェミニストだと思いますか?
 はい。
 ちなみに、一定年齢以上のリブの人が「私はフェミニストではない」と大切な思い(お学者フェミへの違和感)を込めていわれるのは、話は分かるのですが、私の個人的な感覚としては、ひとつながりの大きな流れてとして受け取っていて、ほぼ一緒くたにして感じていますし、話しています。


7. 何がきっかけでフェミニストになりましたか?
 大学1回生の時に、釜ヶ崎の越冬闘争の際、運動現場で起きた女性差別を告発する人がいて、その時から数年かけていろいろ考えたことが直接的なきっかけです。
 今から考えると、父親との離婚を求めて私たち子どもを連れて別居した私の母親の生き方は、リブそのものだし、もっともっと背景には、職場で労組を作ったり60年安保反対運動をしていた父親の行き方などにも、影響は受けています。「社会にどうやって同化するか/受け入れてもらうか」を考えるのではなく、「社会」というのを自分の外部においた上で、「どうやって社会に働きかけるか」というスタンスをとることに慣れていたことが、私の生き方の最も基本的な地盤になっています。だからこそ、女性差別という社会的構造の存在に対して、フェミニズムを支持する/フェミニストになる、という形で「社会に働きかける側の主体」になることは、私には自然で当然のことでした。
 更に、私自身が「バイセクシュアル」であったことが、典型的な「男女という制度」への違和感にも繋がっていたので、その「男女という制度」を問うてきた運動としてのフェミニズムやリブには、自然と親和感や関心を持ちました。


8. フェミニストであることは自分にとってどのような意味をもちますか?
私が左翼活動家であるということと同義。
フェミニストでない者は、左翼ではない。
また、フェミニストであることは、人として当然のこと。
当たり前すぎて、特に意識も定義も自覚もしない感じ。


8-2. 他人にはどのような意味をもたれていると思いますか?
  具体的なエピソードなどがありましたら、合わせてお答えください。


●ゲイ系のコミュニティーの内部において
 ゲイ系のコミュニティーの内部で、フェミニストとしてあるということは、その場に隠された「暗黙の前提」となっていること(男性中心主義や、男性特権への無関心と開き直り)を、あえて言語化して批判し続けるという役回りになります。コミュニティーが存在しているその基盤や意図に対して批判をするということは、(当然ながら)嫌がられることが多く、私的にも公的にも、あんまりいい思いをしません(苦笑)もちろん、それこそが「男性として生きた生活経験を持つフェミニスト」としての私の仕事の一つだと思っているので、その場に受け入れてもらうために黙るということはなく、最終的には必ず政治的な争いになります/します。
 なので、「男性特権」の存在に鈍感な人からは、私は「裏切り者」「よそもの」にみえるはずです。


●女子系のコミュニティーにおいて
 女子系のコミュニティーにおいては、わたしの存在自体が「ひびのの性別は何か」ということに関連しての最初の踏み絵になります。
 私自身は、思想信条の問題(フェミニズムを支持すること/フェミニストであること)と、女性であることとを完全に区別していますが、その点を無自覚に曖昧にしたまま場や運動を創ろうという人たちに対しては、その点を可視化する存在になります。またその点を「敢えて曖昧にしつつ」場や運動を創ろうとする人にとっては、鬼門になります。
 私自身は、「典型的な女性文化」をあまり共有していませんし、必ずしもそれに同化しようとも思わないので、「典型的な女性文化」を自明のものとして扱いたい人とは、かなり大きなトラブルになります。ふぅ。


9. 日本社会でジェンダー平等を妨げてきたもの、妨げているものは、端的に言って何だと思われますか? またその理由は?

  • 私的な場でこの問をされたときに直接答えるのなら、【「バカな男達」と「そのバカな男達との人間関係を維持するために言うべき事を言わない女たち」の存在】と答えます。でも、これは公的な場の答えとしては不適切なので、言い換えます(笑)。
  • 60年代末から70年代の大きな社会運動の中で、本来起きるべきだったパラダイム転換が未だ日本では起きていないこと、がその理由だと思います。女性差別が社会構造的に存在するという事が社会運動の内部に於いてすら「常識」になっていません。従って、当然もたらされているべき「中心的な問題の一つとしての女性差別」という認識も、ありません。
  • 女性差別の問題が中心化するという事は、それまで運動内部で「無意味だ」と思われていることが中心に来るわけですから、運動の内部でのヘゲモニーが根本的に変革されます。その経験(運動内部の革命の経験)は、例えば少数派の尊重/多数派としての横暴の抑制といった知恵の獲得や、運動内部における多様性の問題/運動内部の抑圧の存在の可視化に繋がるし、そもそも「大きな正しくて必要な目的のために、少数派が我慢する」ような発想とサヨナラすることになるし、自分の訴えたいことだけ考えて権力をとればいい、というタイプの旧型の運動観の破棄にも繋がります。そういった一連のパラダイム転換が日本ではまだ起きていない。だから、運動全体がいまだに権威主義的です。どこに行っても。
  • 左派の運動がこの低落ですから、社会全体が変革される可能性が、かなり厳しいです。
  • そしてそのベースには、日本の人たちが主権者としての自覚がそもそもゼロで、いまだに臣民としての意見と行動しかしない、というのがあると思うけど、もう既に長々と書きすぎているので、これくらいでやめます。


13.今人びとが連帯しなくてはならないと思う緊急の課題がありますか?それは何ですか?

  • おそらくほぼ全ての「課題」は、当事者にとっては「今人びとが連帯しなくてはならないと思う緊急の課題」だと思います。なので、この序列を付けるという設問自体が、私に不快感を抱かせます。
  • 私が考える「今人びとが連帯しなくてはならないと思う緊急の課題」とは、【全ての人にとって同意できるような「今人びとが連帯しなくてはならないと思う緊急の課題」が存在しうる】という発想や考え方を社会運動の中から一掃する、という課題です。


14.ここまで答えてきて、ふだん自分で矛盾してることやってるなぁ、と思うことがあったら教えてください。


素敵な設問!
私が公的に社会運動として行っていることは、全て例外なく、意図や善意の問題としてではなく原理的に、「かくあるべき正しさ」には反する矛盾したものである、と考えています。
映画の上映会をすることは盲人にとってどういう意味を持つか。
日本語のテキストでものを書くことが、文字を読まない人や日本語を知らない人にどういう意味を持つか。
どのような善意で最大限の努力をしても、それは必ず少数派の中の少数派を作ることになりますし、また、何もしなくても、大きな不正が幅をきかせます。
暴力/差別/抑圧の存在しない社会は「原理的に」あり得ず、どうやってその中で生き延びるか、どうやって少しでもよりましにするか、しかできないと思います。何か運動をしても、しなくても、自分自身で不正に加担し、不正を黙認容認し、不正の中で生きることになります。




 なお、この特集に対して、斉藤正美さんが以下の批判的コメントを書いています。船橋さんを批判するあたりは、なかなか説得力ありな感じでした。
 私としては、これと同様の論理構成の批判を、伏見憲明を目の前にして伏見のミソジニーやゲイ男性中心主義の批判をしなかったくせに、バトラーを解説したりする(ことができると誤解している)クィア学会の某関係者(たち)に対しても言いたいところ(笑)

いつも自分のよって立つ位置や関わりを明らかにすることなく安全な位置から、一般市民や政策・制度など他者を批判する。自分が関わったこと、してきたことの責任を問うことのないその批判のあり方こそ、90年代以降国や自治体の男女共同参画政策に深く関与してきた女性学者がもっとも問われなければならない課題だと思う。


『季刊・ピープルズ・プラン』51号(2010)「ジェンダー平等」特集を読む