日々是"吉"日

ゆるゆるなスピリチュアルでパワースポットやパワーストーン、原石、お香などを楽しんでいる日々の日記です。

名古屋お散拝 ~日泰寺・御嶽神社・大須~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

それでは年末年始の仕上げ、名古屋の帰省巡拝を順不同でふたつの記事に分けてまとめていきます\(^o^)/

 

まずはこちら、日泰寺舎利殿
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覚王山駅から参道を北へ進んだところに日泰寺本堂はありますがそこから東東北の信号を渡ったところにシャム王室(現タイ王室)より贈られた仏舎利が納められた奉安塔があるのです

 

釈尊遺形霊地の碑と参道
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御真骨については外交利用されていた過去がありまして、日本全国に留まらず仏教国各地に多く贈られていて おいおい、そんなに沢山の御骨無いだろう と突っ込みたくなるわけですが(実際にその御真骨がどの程度の大きさなのかは不明ですが)

 

過去には軍部などが外国の支援を取り付ける為に配布したケースもあるらしく、そういった御真骨は砕石だったりガラスだったりと様々だそうです(仏教においても神道と同じように形代と言いますか神様に降りて頂く御神体のようなシステム?があるのかどうかは不明ですが)

 

勿論、その中には本当の御真骨もあったかとは思うのですがシャム王国が成立して正式にお釈迦様の御骨だと確定してから贈られた御真骨、その安置寺として超宗派で建立されたのがこの日泰寺です

 

門の奥には柵で被ってしまいましたが涅槃像、さらに門があり奉安塔の下部だけが見えます
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日頃神道派な私ですがやはり時間が取れるのであれば年に一度は御挨拶させて頂きたいと感じる仏舎利、いつもこの国と民を見守ってくださる御礼をお伝えします

 

まるでジブリの世界に出てきそうなこちらは通りを挟んだ水道局の敷地内に建つ東山給水塔、もう長いこと場内工事中になっていて近くへ行くことは出来ませんが良き整備がされるとなかなかの人気スポットになりそう
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さて、日泰寺の近くに神社がある?!と気付きまして向かってみたのが初訪となるこちら、御嶽神社です
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こちらは自由ヶ丘駅から近く、マップで緑だったので山かと思っていたらとても広大な覚王山日泰寺墓地の一角になっていまして、その中にあってぎゅっと凝縮された小さな境内はとても濃密な雰囲気を放っています、まさに神仏習合
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違ったら怒られちゃうかもしれませんが、そもそも山岳信仰は神仏習合状態からスタートしたような感じですから 寄り としては仏教ですが神道的な部分もあって私的には神社という形よりも古来祭祀に近い部分もあるのかなという気がしています

 

様々な大師・霊神の碑が所狭しと安置される境内は墓地の中にあってもさらに独特な雰囲気があり穏やかな墓地部分とは明らかに空気が違います

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境内入ってすぐ左手が御山として御嶽神社が祀られています、御祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命
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そういえば富士山を模した山は富士塚といいますが御嶽塚というのは検索しても無いようですね

 

境内にはお稲荷様も祀られています、あまりに氣が混合し過ぎていてさすがにウカ様か荼枳尼様か分かりませんw が、ビシッとした神狐様が守られていることはしっかりと分かります
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手前の建物は社務所?だったのでしょうか、すぐそこまでが境内でその先は墓地だろうと思って引き返そうとしたら凄く 来い来い と引き寄せられるような感覚
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んー?と進んでみると境外を向いて並ぶ石像までがしっかりとフェンスで囲われていて境内を形成していてこちらにもお社が、三社殿になっていますが神狐さんが一体だけでどちらも御祭神は不明、でも凄く呼ぶのはその先

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と進んでみれば、、、で、出たー!(失礼) と思わず頭の中で言ってしまいました龍神軍団!! 運龍(雲じゃないんだ?!)、北龍、南龍、白龍、黒龍、八大龍王、金龍、薬龍、、、龍神様の宝石箱やぁ!ᐠ( ᐛ )ᐟ
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龍神様方に囲まれてしゃがむ...うーん、とても気持ち良い(*´ω`*)
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実は自由ヶ丘って初めて来たのですがしっかりと山ですねw しかも山頂辺り?がこんなにも墓地になっているとは知りませんでした、ここから覚王山駅まで降りていくとなかなかな高低差がありそう

 

いやー、ちょっとしたお堂がある感じかな?と思って来てみればこれほどとは思いませんでしたが心を鎮めつつ物凄く良い氣を頂ける素晴らしい神社でした

 

と最後に気が付いたのは石碑裏のお社、神道御祭神は天地創造神のひと柱である豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)だそうです
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日泰寺は自治体だけでなく住民達が私有地の多くを提供して御神骨安置場所として名乗りを上げたといいますがなぜこんなに素晴らしいこの場所にしなかったのだろう? と思ったほどですが、恐らく墓地は日泰寺建立後に広がったからでしょうか

 

日泰寺建立は1904年、当初はそれほど情報が拡散される時代ではなかった事もあって知名度がなかなか広がらなかったこともあった(という説)ことから大正に入って八十八カ所霊場などが整備されていった、恐らく墓地もその頃から広がっていったのでしょう

 

この山(丘)は高低差があって農地利用などにも不便だったとされていたことから開発されず提供されたのでしょう、境内に見られる文字から大正期の創建だと推定されていますがその期間でこれだけの氣が集まるとはとても凄い

 

いやー、今年はのんびり、と決めていなければ気付く事もご挨拶することも無かったでしょう、感謝

 

さて、続きましてはこちら、大須の萬松寺ですね
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昔は賑やかなアーケード街にあってここだけが薄暗い中に並ぶ蝋燭の火とモクモク上がる線香の煙と独特な雰囲気を醸し出し参拝しているのは年配の方ばかりというお寺でしたが一件パチンコ屋か?という大きなLEDモニターと和傘装飾で煌びやかになると若い人も参拝するほど参拝層も様変わりしました

 

こんなハイカラな見た目ですが一歩中へ入るとしっかりと お寺 でしかも十一面観世音菩薩、身代不動明王、荼枳尼天様の白雪稲荷とさすが織田家の崇敬を受けた寺という氣が充満しています

 

大須といえばその名の通り大須観音ですが足を運ばれたならば是非一度こちらへもご挨拶して頂きたいお寺です

 

私のオススメは矢場町側から萬松寺を経て大須商店街を抜けて行き大須観音を参拝したら仁王門通り側から上前津までの商店街を楽しむルートです(*´ω`*)

 

ちなみに地下鉄矢場町駅から大須へ向かうと久屋大通と若宮大通が交差する場所に出ます、これが全国唯一の100m道路交差点ですw

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道路上下線が挟む中央分離帯が公園になっているということで幅員が100mなので100m道路と呼ばれるのですが全国には3本しか存在せず他には広島の平和大通り一本しか無いので100×100交差点は全国でも名古屋のこの一箇所だけになりますw

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こうやって線を引いても分かりづらいほど遠い、なので当然ですが歩行者としては反対側まで渡りたいだけなのに最悪二回も信号に引っ掛かるというw ← この時もゆっくり歩くオカンが一緒だったので暇で写真撮ったのがこの記事に使われました(苦笑)

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ちなみに100m道路と100m道路が交差する中央には謎のピラミッドモニュメントがありまして、これがまた知らないと目立たないこと目立たないこと(そういうとこが名古屋っぽい)、折角ならばど真ん中にすれば良いのにね、あと上の写真に写る円錐型の噴水はピラミッド噴水という名前なんですね(それは初めて知ったw)
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当然ですが対角に渡る場合は僅か200mを歩くのに信号を四つも渡らなければなりませんので(全部に引っ掛かる事は無いけれど)歩行者には全く優しくありませんが、そもそも戦災復興都市計画として緑地帯と防火帯を含めて整備されたものですが調べてみれば意外なことに24本の計画から実現されたのは3本だけだったんですね?!

 

21本も実現出来なかった理由がGHQによる 敗戦国に立派な道路は必要無い だというのがちょっと面白いw  後に整備された大分いこいの道も幅員100mで倉敷の水島緑地は少し違うのかもしれませんが100m道路と呼ばれているようですね

 

 

さて、こちらは商店街の西寄り、浅間神社とお稲荷様です
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珍しいまねき稲荷ということもあってパワースポットとして紹介されていますがそれもそのはず、この左手、浅間神社社殿裏は古墳です
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実はこの北側にも古墳が残された公園があってほんと大須という街は古墳寺神社からThe喫茶店、オシャレカフェ、地味なソウルフードであるハンディお好み焼きやみたらし団子店に台湾カフェ、ベトナムカフェ、お洒落店、さらに電気街という混沌でありながら全てが融合している

 

もうね、毎年行っててさすがにもういいかと毎度思うのですがやっぱり行くかってなるんですよね(笑)

 

あ、ハンディお好み焼きは折り畳まれてこのサイズなので一枚でもずっしり、上手く食べれば手が汚れないので(口はソースが着くワヨ)その場で食べるも良し、持ち帰ってオヤツ、夕飯、ガッツリ朝ご飯にも良し、これが物価上昇続く今でも一枚350円ってんだからほんとみんな名古屋来たら一度は食べんと損よ!!
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そして北野山真福寺寶生院、通称大須観音です
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いーっつも凄い参拝者で行列が出来ているので私は下からご挨拶だけして普門殿の干支守護本尊様へ参拝するのですが今年は元旦なのになぜか行列が少ない?!?! という事でとても久々に本堂へご挨拶することが出来ました、本尊様も素晴らしいけれど右手のお不動様がやっぱり好き(*´ω`*)

 

持念仏様も暫くだなぁ、と新たに頂きました(*´ω`*)
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いやぁ、持念仏様も毎年新たにするのが本来かもしれませんがなんでしょう、御守りとかとはなんか違ってずっと持っていたい気になってしまうんですよねぇ

 

え? 深大寺の角大師様は毎年換えているじゃないかって? それはほら、やっぱ本厄の年みたいに色変わりするかしないかっていうのが気になっちゃってね(*´ω`*)

 

 

というわけで飯テロコーナー!!

 

来ましたよーーー味仙本店!!

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本店って何気に初めてです(*´ω`*)   2日夜から開いてたんでね☆

 

しかしさすがの人気ですね、30分前で既にしっかりと列が出来ていてどんどん増えて開店直前にはずらーーーっと!!

 

おいらは生!! おかんは水! 水はビール瓶w
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初めて食べたのは姫竹の炒め、控えめながらピリッと絡みが効いてこりゃビールが進む進む
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そしてこれは必ず食べたい酢豚、油淋鶏寄りですがこれがうんめぇのでございますよ、でも見た目からはわからないのに結構蓄積型のピリ辛なので油断しちゃダメですぜ
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そして今回は天津飯!!
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これがね、写真で伝わるかなぁ...なんていうんだろ、中華卵なの! なんて言ったらいいんだろう、これ卵を多めの油で揚げただけでこうなるのかツナギが入っているのか、レンゲではうまく切れなくて皿まで押し付けてグリグリしないとダメなくらいモッチモチの歯応えで表面はパリッとしてるんですよ、なんか意味わかんないけどこれぞ中華って感じ!!w もちろん美味しいです(*´ω`*)
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おかんは餡掛けかた焼きそばですね、しっかり具だくさんで満足

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味仙は三兄弟さんでやってらっしゃるので店舗によってメニューが違ったり看板の台湾ラーメンでもイタリアンとかエイリアンとかあったりなかったりなのでメニュー確認してお好みのお店へ行ってみてくださーい

 

ちなみに台湾ラーメン未経験の方、、、ノーマルで挑戦メニューに近いかなりの激辛ですから多少辛いのが好きな方だとただのネタ注文は泣きを見ますよ...

 

あと駅の売店とかで味仙シリーズがあれこれあったので買ってみました、お土産に是非w
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名古屋三大天満宮 山田天満宮 ~晴明神社~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

今回は山田天満宮です
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いやーお恥ずかしい、ほんと足元だった名古屋の事を全然知らなかったですね...名古屋で天満宮といえば上野天満宮だと思っていましたが、いやそちらも大人気なんですけど山田天満宮も大人気なんですね!

 

それがナゴヤドーム、、、バンテリンだっけ、のすぐ近くにあるというじゃないですか!! 元旦はどこのお店もやっていませんからドーム前のイオンで食べるのが最近の流行りというわけですが今回は元旦をのんびりするようにして大晦日に買い出しと夕飯へ行くことに、合流予測時間をオカンを伝えておき一人で神社へ向かいました

 

と、記事が始まるところですがここで今更ながらに嫌な予感がした

 

...二大天神ってなんかアレじゃない?もしかしてもう一社くらい凄いのがあったりして...って調べてみたらあんじゃん名古屋三大天満宮が(´;ω;`)  桜天神社がそうなんですってw  来年だな、うん

 

さて、大曽根駅から暫く歩く...と晴れているのに何か空から細かいものが...? 見上げれば雲はあるけれどガツンと晴れている、のに気付くか気付かないかの雨が
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雨は天、濡れたり傘さしたりにならない参拝前、中、後の雨は御挨拶が神へ届く予兆かね~(*´ω`*)

 

というわけでやって来たのですが oh(´・ω・`)... 凄い人だ、まぁ許容範囲内ですけれどもね、っていうかこちらも蕃塀(*´ω`*)
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撫で牛さんがどーんと構えてらっしゃいます
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ほうほう、1672年に二代藩主徳川光友によって創建されたんですね
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左手に手水舎、寒いからか行列を見て早く並びたいからかこの一角だけ全然人が居ない(笑)
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学問の神ですから筆塚がありますね  って...あれ? (´・ω・`)?
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行列が凄いのに全然人が居ない???
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と思ったら理由はこちらでした!! え? こっちもスッカスカじゃないかって?
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こちらは金神社、こがねじんじゃ、1983年に遷されたんですね
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御祭神は恵比寿神、大国主命(大黒天)、金山彦神と岐神、元々は1746年に国道19号線沿いに福徳円満商売繁盛金運招福街道往来を願って奉祀されたそうでだから岐神も祀られているんですね
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どうやら授与所→参拝というのが王道らしく時間の掛かる授与所での大行列だったようですw  みんなお金好きねーwww  昔というか古来より名古屋人はケチで溜め込む、と良く言われておりますがまさにその通り!! ですが、溜め込んだお金も大事な時にはドバッと使うのも名古屋人気質ですよね、だから派手w

 

私は授与所をスルーして金色の金神社へご挨拶しましたw そして年回り盤の先にもお社がありますね、そちらが御嶽神社で右手にも寄り添い石(と可愛いウサギw)があります
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御祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命で良縁を招き悪縁を断ち切ってくださるのだそうです(*´ω`*)

 

さらにその先には方向祈願牛、牛に乗った天神様?の石像がくるくる回転しまして、屋根に貼ってある方向へ向けて祈願するんだそうです
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そしてこちらは平成の竹取物語?! なんと社務所の壁を壊し始めた楠の大木を伐採した業者が素晴らしい木だからとテーブルに加工しようとしたら木の中から鋳物製の阿弥陀らしき坐像が現れたんだそうです
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恐らく窪みに安置されていたものがそのまま木に取り込まれてしまったのだろうということですがそれが発見されるのもまた凄いですね、っていうかそれほど古いものではなくてもそんなに埋まってしまうものだというのが木の凄い生命力ですよねf:id:hinoki_kaonashi:20250127204529j:image

 

こちらはこがね稲荷神社(*´ω`*)
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こちらは人形供養神
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そしてやっぱりいらっしゃった八大龍神社、ほんと名古屋で一定以上の大きさがある神社で龍神様が祀られていないところって無いんじゃないだろうかってくらい
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子供の頃はなんでドラゴンズなんだろうって思ってたんだけど名古屋は龍神様だらけの龍脈だからかー、と思いきや実は違って当時のオーナーが名前に虎が入っているからタイガースにしようとしたら既に大阪で使われていたから干支にしただけだったというなんじゃそらぁあ!!な理由でしたw が、そういった流れでも選ばれたのが龍というのがまた面白いですね

 

主殿への御挨拶がまだですが先に横から本殿を
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それではご挨拶
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各地でもそうですが名古屋って何気に天神様多いんですよね、だからかなんとなく特別感も無くいつでも近くにいらっしゃるイメージで特別意識をしていなかったのですが、京都の錦天満宮からかなぁ急に道真公との御縁を意識し始めたのは

 

さて、金欲渦巻く境内において(をぃw) って冗談は置いておき、とっても素晴らしい境内でございました、後ろを気にしてササッとしたご挨拶で済ませてしまいましたが金神社も金色ながらしっかりと御神威を感じるお社でしたし御嶽さんも、というか御神威を感じないお社は無かった

 

でもその中でも最も私が惹かれたのはこちら、そう、木です

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金神社の前あたりに来た時からずーっとずーっと私の気を惹いていたのがこちらの木です
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木自体が素晴らしくてまず惹かれたのですが

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視線を落としてみればこれですよ!!
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もうとっても円な瞳の鳥さんと目が合うというか、その横顔をずっと見ていたくなるような、なんとも言えない流れるようなこの。。。この。。。こういうのなんて言うんですかね? 洞みたいな、ここからとっても優しい氣を感じたんですよねー(*´ω`*)
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うん、上野天満宮も素敵ですがこちらも負けず劣らず素晴らしい天満宮でした(*´ω`*)

 

さてイオンへ向かお~っと歩いていたら懐かしい感じの文具店の店先にガチャガチャを発見、いやー6分の1はちょっとな...他のが出ても要らないし...と前を離れたところで、待て、龍神様に会って来たしここは名古屋ドームのすぐ近くぞ? って一回だけと決めてダメ元で回してみたらまさかのイッパツ!! すげー!Σ(゚д゚;)
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というわけでイオンに着いたのだが、ちょうど母親に予告しておいた時間とほぼピッタリ、しかも合流時間確定メールも入れておいたのに無反応...マジデカンベンシテクレ

 

実は帰名時も事前に時間は伝えてあったし予定通りの新幹線に乗ったと改めて到着時間を連絡しておいたのにまだ米原も通過してねぇぞっていうタイミングで まだ着かんの? と電話してくるし到着してからも電話しようがメールしようが反応無し

 

だからこそ家を出る時にしっかりと伝えてしかも重ねて連絡しとるのになんで電話出んわ!!(ダジャレ)

 

ほんとマジで勘べ...あれ?  いつの間にか空がどんより、しかもちゃんと小雨降って来た、、、確かに時折雲は流れてたけど雨振らせそうなのは無かったし雨予報でも無かった気が...
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オカンは連絡着かず目まで降り始める、大晦日、一年の締め括りにこりゃ一体どういうわけなんだか...

 

.........!?

 

実は買い物の後にすぐ近くの晴明神社さんへご挨拶しようと思っていたのですが、ここに来て急な雨、しかもオカンとは連絡が取れないとなれば早く来いってことですか???

 

我がブログでは何度も登場しています、京都晴明神社で到着と同時に滝のような雷雨が始まり15分ほどで止んで快晴、その後の名古屋晴明神社初訪でそれを思い出して雪でも降らせてみてよーなんて軽口を叩いていたら神社が見えた途端にマジで横殴りの雪が降りつけ到着と同時に止むという

 

二度目の参拝でも到着直前に突然雨が降り始めて境内に着くと止む、さらに参拝を終えると突然の豪風、それもすぐに止んでものの5分10分で星空が見えるというとんでもない神社ですから先に急な雨が来たとなれば呼ばれていると思い込むのも必然

 

イオンから晴明神社は徒歩7分ほどでしょうか、わかりましたわかりました行きますからw とイオンの中を通り抜けて反対側へ出ると...嘘やんなにそれ?!
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勿論それでも歩いていき神社前まで来るとやっぱり雨が降る...もう楽しくて仕方がないですねw 窓の反射見てください、背後は晴れてるんですw

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ほんと、晴明さんってば...と心からの御挨拶、でも何故先に来るように呼ばれたんだろう、と思いつつふと社務所を見ると当然閉まっているけれど(もう大晦日の夕方なのでね)御守りなどの見本が貼ってあるのでそれを覗く

 

と、急にガラガラっと窓が開いてこんにちはとおじさま、全然見えなかったけれど居たの?! で、いつも頂いているカード守りを頂こうとしたら、近年採れる数が減ってしまってすぐ無くなっちゃうんだよぅ、と昨年も言っていて今年はさらに減っているという無患子のお守りが僅かにまだあるという

 

有難いことに全身健康体だけどいただきまーす!!!

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これ、買い物した帰りだったら無くなってたかおじさん帰っちゃってたのかな、、、って気がする

 

でさっ、参拝中止んでたのに境内を出るとまた雨が落ちてくるわけよ、でもそれがさ、ほんの10秒ほど歩いたら止むわけよ、なんだそりゃ?と思って空を見上げるじゃん
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神社の上にしか雲無いのなんなん!!www  しかも結構風が強くて絶え間なく雲は流れていたはずなのに暫く立ってたけどこの雲だけ動かないのなんのってw

 

というところで漸くオカンから連絡来て、っていうか境内を出るタイミングまで計られてたのか?ってなくらいですが、オカン曰く寝てなかったけどアプリゲームやってて電話もメールも気付かなかったとか(そんなことあるかいや!!)

 

勿論、晴明神社からイオンに戻るまでの間はもう快晴でございますよw
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いやー、一度だけなら偶然、二度までもはさすがに凄い、三度目となれば凄すぎてそれが四度目となるともうなんとも言えないですよねw

 

いつかは途切れると思い続けて今のところ全く途切れないわけですが、それもこれも一番最初に 京都で雷雨だったから雪でも降らせてみてくださいよ なんて言ったからこいつが来るときゃなんかせにゃならんな、って晴明さんが思ってくださってたら嬉しいやね(*´ω`*)

 

何より、京都の大雨も売店で防げたし名古屋では濡れてしまうってほどでもないっていうのも凄く有難いです(*´ω`*)

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というわけで飯テロ!!!

 

ドームイオンに来たなら矢場とんだろって思います???

 

ぶっぶぶーーー!!

 

今回は若鯱家のカレーうどん!!(ミニ味噌カツは付けてしまったw)
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何気に名古屋ってカレーなんですよね、若鯱家だけでなくカレーうどんって結構昔から人気だし何よりCoCo壱なんて全国どころか海外まで行っちゃってますもんね、っていうかオリエンタルカレーって名古屋だったの知ってます? っていうくらいにはカレーなんですよ(オリエンタルカレーとほぼ同時にカレーうどんが広まったと言われている)

 

ちなみにオカンはきしめん、なんでしょうね、名古屋きしめんのカツオ出汁ってちょっと他の蕎麦うどん店とは違うんですよね
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まぁ最強は名古屋駅ホームにある 住よし のきしめんなんですが昔は在来線ホームにもあったのに今や新幹線ホームにしか無く、かなり話題になったこともあって帰りに食べようとしたら行列で諦めました、きしめんの為に早めに行けばよかったなーと思ったので次回は食べます(´◉ᾥ◉`)

 

ちなみに上りホームだけが大混雑で下りホームは空いているということに気付いた時は食べて戻って来るのに時間がギリギリそうだったという...時期やタイミングもあるかもしれませんが新幹線で名古屋へ行かれた(帰られる)際には是非ご賞味ください、もう長いこと食べていませんが味はそれほど変わっていないという噂です(*´ω`*)

 

さて、次の記事では年末年始お散拝として過去にも書いた寺社をざーっと紹介いたします

 

 

れきしのはなし ~日本最古の神社?~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

皆さんは 日本最古の神社 に興味を持たれたことがありますか?

 

そしてそれはどこだと思いますか?

 

 

というわけで、今回は最古の神社についての私見です

 

最初にザックリと言ってしまいましょう

 

諸説ありますが、そもそも 神社 という形式は途中から始まったものです

 

古来より日本では八百万の神を崇めており山に川に田に磐座や祠を祀って感謝し、畏怖していたのが祭祀自体の始まりだとされています、やがて神社という形式が取り入れられますが何も無い所から突如始まったわけではなく古来祭祀と融合したことで広く浸透したと思われます

 

古い神社の由緒を見てみれば、創始は〇〇に遡り〇〇の頃に社殿が造営され、と二段階に分けて書かれているのをよく見かけますがそれはつまり、元は古来祭祀の場(もしくは祠や磐座のみ)であって後に神社になったということです

 

さらにこれにも複数のパターンがあると思われ、元々山や穀物神、蛇神などを祀っていた神域へ新たに神道の神を祀った、つまり祭祀自体が変わった場合もあれば御祭神は変わらず祠から始まって神社形式へと進化した場合もあるでしょう

 

中には様々な合祀などを経ても古来祭祀を保つ神社もありますが途中で合祀された神が主祭神となり社名にもなっていつの間にか元の神様が配祀になっていたりそもそも表記すらされておらず由緒を深く見て漸く気付くようなケースもあったりします

 

 

ちなみに仏教伝来は538年もしくは552年とされていますが神道はいつ始まったと思いますか?

 

実は

 

最も古い説でも7世紀以降とされており律令制と共に整えられたとされているのです、つまり大きく影響したのは藤原氏ですね

 

ですが、それは恐らく拡がる仏教に対して(敵対という意味ではなく)しっかりと区別するために決まりを整えたのがこの頃であって神道の始まりはそれ以前だと考えられます(ちなみに神道という言葉が使われ始めたのは平安時代です)

 

自然発達ではなく秦氏が神道形式を持ち込んだという説を採用するならば、283年頃から鳥居や社殿といった形式が拡がったということになり上述のように単体で祀られたり古来祭祀に社形式が取り入れられていったと考えられます

 

いずれにしても古来祭祀型の創始と建築を伴ってからの創建とは意味合いが異なりそれによって年代が大きく変化する場合があるのです

 

ちなみに個人的にはもはや 最古 とは 最古級 という意味合いだと認識していまして、恐らく神社さんも「なにを!!そっちじゃねぇ!!うちが最古だ!!」などと張り合うつもりでおっしゃっているところは "ほぼ" 無いと思っています(そう思いたい←)

 

それに古ければ古いほど良い、凄い、という単純なものではないと考えてはいるのですがそうとはいえ、実際のところはどうなんだろう、という興味はありますよね、というわけでなんとなく整えてみました


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まず諸説を読みといていくと一番最初に出てくるのが熊野宮、こちらはスサノオの穢れを嘆いて建てた宮とされておりスサノオが住んだのか禊場つまり祭祀の場所としたのかによっても異なりますが、そういった由来からイザナミを祀るようになったと思われます

 

次に出てくるのが花窟神社ではないでしょうか、ただしこちらは伊弉冉の墳墓とされていますのでいつの段階から神社になったかによって創建が後世にズレる事になります

 

続いてイザナギが祀らせたとして福岡の住吉神社、宗像大社、さらに志賀海神社が伝わっており私の考察では治水をさせたという意味に解釈していたのですがこうして考えると祭祀だった可能性もしっかりとありますね、その中でも最初に名前が出ていることから住吉神社が最古ということになるかもしれませんがこちらも神社として整えられたのがいつかによって変わります

 

そのイザナギが隠れたとされるのがタガ、つまり阿波の伊弉諾神宮となりますがこちらもイザナミと同様、陵墓から神社になったタイミングがいつなのかによって考え方も変わってくるところでしょうか

 

ではよく名前の上がる大神神社、こちらは記紀においても社殿造営に関わらず最初から 祀る と出てきますがホツマでは二代目大物主の陵ということになるので神社の創始として相応なのか少し悩むところ、遅ければ崇神天皇の代に初めて祭祀が始まったのかもしれません

 

続いてこちらもよく名前の上がる出雲大社、こちらは国譲りで大国主が根の国に行ったとしても青森へ移ったとしても宮(住んでは居ない)を建てて貰っているので神社と同等だと言えるかもしれません、ホツマ式であれば大神神社よりも古いということになります

 

まだまだ挙げられますが主なところではこの辺りでしょうか、ちなみに石上神宮もよく名前が出てくるのですがこちらは神宮という呼称における最古とされていて伊勢の神宮と同様に崇神天皇によって宮外で祀られたとされています

 

さて、陵墓≒神社についても捉え方がとても難しいですね

 

神道としては御霊を祀るものですから亡骸が眠る墓所を参る事は祭祀とは異なりますが、、、そうはいっても上述のように神道という決まりは後に作られたものでそれ以前に亡骸と御霊を別としていたのか、はたまた別としながらも共に祭祀を行っていたのか

 

そうなると今度は古墳もヒントになる気がしますね、古墳時代は秦氏が渡来した後から律令制が始まる前という丁度合致する期間に当たります、、、おや?

 

古墳の興りについてはこれといった特定の説はありませんが最古とされているのは箸墓古墳です、つまり原因は別として3世紀後半あたりから陵墓と祭祀の両方が変化していったと考えられます

 

特に初期の古墳は前方後円墳で後円に遺体が埋葬され前方で祭祀を行っていたとされています、つまり遺体に対して祭祀を行っていたという証拠になります

 

もしかすると、御霊を祀るというよりも古くから洞に隠れるという記述がある事から御霊を祀るという祭祀自体が途中から導入された可能性もありますね

 

いやー、なんとなくひと筋の光が見えたような気がしたのですが結局のところはやっぱり分岐してしまい、亡骸に対する祭祀と御霊に対する祭祀は別と考えざるをえない感じになってしまいました(捉え方次第ですが)

 

 

というわけで個人的な結論です

 

現代における 神社 という概念で言えば、社形式が始まった最初ということになるかと思いますがどこが最初だったのかと言えばそれはやはりひとつには絞れません、なぜって、創始が古いからといって造営もその順番だったとは限らず、創始の時点で社形式だったか祠や磐座だけだったのかも分からないからです

 

そう、つまり、建築様式を伴って御霊を祀るという条件下とした場合に限ったとしてもどこが最古かはわからないのです

 

なんだそりゃぁぁぁ!! となられた方、ごめんなさいm(*_ _)m

 

でも、そういう事なのです

 

 

もし、、、まずは鳥居、次に社、さらに壁、と徐々に建築が増えていったとしたらどこが始まりなのか、さらにはそれをひとつ大きな物として完成させた造営が〇〇大社だったとしても、それまでに試験的に造営された小規模の神社はあったでしょう

 

最古、、、を突き詰めるとそういう事になる、と私は思います

 

 

逆説になってしまいますが、つまり、そういう事だからこそ夢がある

 

創建が最古だから、現存最古の建築だから、〇〇命が祀られているから、大きいから、絢爛豪華だから、御利益があると言われているから、御朱印や御守りが可愛いから、誰それが凄いパワースポットだって言ってたから

 

良いんです、良いんです、動機は人それぞれで良いんです、十人十色で良いんです(*´ω`*)

 

人様に迷惑をかけず、神様に不敬を働かず、各々の想いで元気を頂ける場所、それこそが神社であってパワースポットなのです(*´ω`*)

 

物部氏の武器庫 高牟神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

さぁ、名古屋に帰ってまいりました~

 

灯台もと暗し、産まれ育った22年間よりも多く広く名古屋を巡るようになりましたのは巡拝のお陰様々でございます(*´ω`*)

 

今回は昨年夕暮れになってしまったので一年持ち越し、此度唯一、名古屋での参拝を確定させていた神社、それがこちら、高牟神社です

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昨年の物部神社の記事は こちら

 

昨年、石神様とも呼ばれる謎多き物部神社(とその他)の巡拝により尾張が物部の地であり大和との繋がりが分かりました、その際に知ったのが物部の武器庫と言われるこちらでした

 

 

ナビに従って着いたのがこちら、なんとまぁ想定外の外見!!
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お分かりでしょうか、手前に建物があって神社は鳥居から入った奥なのかと思ったらその建物の壁面右側に 高牟神社 と大きな文字が彫られている?!

 

社務所、式殿? あとは住居でしょうか、もっとこう...物部神社的な雰囲気を想定していたので驚きました、がこちらは脇の参道でした、っていうか境内も広い?!  これは夕暮れにまぁ無理せず来年に回すかぁという判断は正解だったようです

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こちらが正面ですね、やー名古屋人ですね、蕃塀を見るとなんか安心するんですよねぇ
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知らない方の為に、、、大抵は鳥居を潛ったすぐの所に設けられる独立した壁を蕃塀と呼びまして不浄が社殿へ向かうのを止める、外から直視させないという意味合いで設置されます

 

規模や改築などによって設置されていない神社の方が多いのですが私の氏神様にもありましたし名古屋に住んだ私にとっては普通で特別意識するものでも無かったので設置されていない神社を参拝したからといって違和感を持つというようなこともありませんでした、各地を巡拝するようになって改めて名古屋の神社へ行って、、、あれ?そういえば各地には無いぞ? と気付いた次第であります

 

特に尾張地方で見られるそうですが改めて調べてみるとWikiに掲載されていない設置社がまだ名古屋巡拝社の少ない私ても今パッと浮かぶだけで4社はありますので実数はもっとあるはずなので実際は三重岐阜を含む尾張エリアだけには限らないかもしれません

 

ちなみに 蕃塀 は特に神宮の内宮外宮正宮に設置されているものを指すとされていますので正確にはそれ以外の塀を 透垣 と呼ぶべきかもしれません

 

元古井? ほぉぉ、古来より清泉が多く湧き出ていた地域なんですねぇ、って、、、常世の草香島? と調べてみたけれどこちらの事しかヒットしませんでした
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社紋は...橘?! とまだ意識していなかった昨年の物部神社を確認するとしっかり橘紋がありました、チラッと調べてもその由緒が見当たらないので先へ進みましょう
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境内左手、おや、撫で牛さんがいらっしゃるということは境内に天神様が祀られているんですね
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撫で牛さんの背後に境内社が二社、北野天神社と高牟龍神社ですね
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思い込みかもしれませんがやっぱり名古屋の龍神様はひと味違う、由来のわからぬ小さな境内社であっても何かこう巻き上がるというか吸い上げられるような不思議な氣を感じるんだよなぁ、と見上げると龍?のような木が掛けられている
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というか境内社用の屋根?! と思ったらさすが名古屋、こちらの龍神社の御祈禱を受けられる方が結構いらっしゃるそうです

 

龍神様の隣に手水舎、、、ではなく伝説の元古井!!(発祥地)
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いや、発祥というか今でも霊水!? しかも応神天皇の産湯にこちらの霊水が使われた?!
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...と調べてみればその伝承は生誕地とされる福岡の宇美八幡宮が中心のようでそれ以外にもあるはあるようですがさすがにここは...という気はしてしまいますが素晴らしい水であることには代わりありません、御祭神に因んでそういった伝承になってしまったのかもしれませんね(実際に使われた可能性もゼロではない、、、かもしれない、、、!)

 

と思ったらHPの方に少し詳しく書かれていました、このお水は礦泉水で思いがけぬ効果があったことから応神天皇の産湯として献上されたとのこと、であれば福岡のお水と共に産湯かその後のお湯として使われていても不思議はありませんね

 

ちなみに礦泉水ってなんだろう?と調べてみたら ミネラルウォーター と出てきました、そっか、鉱泉水か(*´ω`*)

 

 

境内左手に境内社が並びます、思っていたよりさらに広かった
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六社殿、左から伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る多賀社、大物主神、崇徳天皇を祀る金毘羅社、神名がちょっと読みづらいですが宗像三女神を祀る厳島社、天照坐皇大御神、豊受大神を祀る神明社、菊理媛命と諾冉を祀る白山社、建速須佐之男命、大己貴命を祀る津島社
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そしてびっしりと朱鳥居が並ぶ参道、境内社ながらこの馴染みある御神威はお稲荷様ですね
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ちょっと明暗のせいでぼやけた写真になってしまいましたがしっかりとした御由緒がありました、とても助かります
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箱根山に祀られていたお稲荷様から葵町(栄のあたりか)に勧請され後にこちらへ遷座されたということで良いでしょうか、徳川家と鬼頭義則が崇敬していたので徳義稲荷とのことですが鬼頭義則については調べても情報が見つかりませんでした

 

社名がわからないな、と諦めかけた時に石塔の外側、小さく貼られていました、こちらは祖霊舎
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そして朱鳥居のこちらは秋葉社
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こちらから本殿が窺えますがこの写真を撮った目的にお気づきになりますでしょうか
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この子です(めっちゃカメラ目線)
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境内社へご挨拶し始めた時から近くに飛んできてこちらへ移ったカラスさん、くゎーっ! っと控え目に鳴くその目はとってもつぶらで可愛い
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主殿が空いたからイケー、イケー、と言ってくれているのだろうか、そう、かなりまばらではありますがゆっくり参拝されているご夫婦さんとかがいらっしゃったのでのんびり境内社からご挨拶していたのです、もう故郷での新規参拝予定はこちらだけ(もう一社追加しましたが)で名古屋ではゆっくりとするつもりでしたから(*´ω`*)

 

稲荷参道から進みましたがこちら側にもしっかりと鳥居
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珍しい位置の百度石にはフクロウさんが乗っています
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それでは、ご挨拶!!
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こちらは拝殿手前にお賽銭箱がありましてこちらに御由緒が書かれております

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創始は131年、高皇産霊神、神皇産霊神が祀られ895年の造営時に八幡様が勧請される、その御神体は応神天皇の坐像なのでしょうか、やはり元は物部の武器庫だったとされており社名の高牟は 素晴らしい鉾 の意味だそうです

 

いやー素晴らしい、撮影はしませんでしたが拝殿内は荘厳で建物も素晴らしい、そして御神氣も素晴らしい、我が産土神らしい御神威は神社が違えど名古屋という土地で繋がっているからか初めてなのにとっても懐かしい感じすらある、、、と、揮毫が岸信介?!
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前後対比の表情が凄くいいなぁ、と撮影しておいた狛犬さんですがよく見たら手前は吽で奥が阿ですね?!
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御神威ありつつ凄く穏やかで落ち着く御神域、霊泉の氣は清らかでお稲荷様と龍神様の氣も強い、なんだか贅沢な神社だなーとここから境内を暫し眺めていました
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では少しだけ調べてみます(あまり情報は期待していない)

 

前回の巡拝で得た知識を今更ながらにちゃんと思い出しました

 

名古屋に物部神社が? さらに武器庫が? それもそのはず、尾張氏と物部氏は同祖を持つとされている、それが饒速日...ニギハヤヒ!! なんたることか、つい一年も経って細かくを忘れていたけれど今回の奈良巡拝とめちゃめちゃ繋がっているじゃないか...国造 乎止与の娘が宮簀媛で、と、この先は覚えていました、物部の武器庫でもあったこの地だからこそ日本武尊は草薙剣を預けて行ったのではないか、物部の地だったからこそそのまま三種の神器である霊剣が熱田で祀られることになったのではないかと

 

正直、なぜ物部が武器庫の神として二神を祀ったのかはわかりません、祀られたとされるのは131年と古く物部全盛期でもあったでしょうから経津主神などを祀っていても不思議はないのですがこれについては途中で書き換えられている可能性もありますね

 

さて、宮簀媛の祖先を遡ると饒速日に辿り着くとされておりますがとある説では饒速日の弟、つまり物部と尾張を繋ぐ祖は火明命ということになる(なにこれ、なんで全部バラバラに巡拝地を決めたのに普通に繋がってくるやつ...)

 

これやっぱり火明命と饒速日あたりをしっかりと調べなければ倭大國魂大神についての考察が一歩も進まないんだな...(´・ᯅ・`)ヒェ  でもそれこそが我が故郷 尾張 を知ることにもなるし強く惹かれている大和とも繋がるんだからやるっきゃない!!

 

そう考えてみれば、私の 優先して行きたいリスト に入っている東海圏の神社はめちゃめちゃその辺に絡んでそうな神社だ、今回も行こうとしたのだけれど見送ったのにはやっぱり意味があるのかなぁ...

 

と入れた気合いが急に萎んでますがw  だってそうなんだもん!! 諸説を織り交ぜたものですがもう頭がコンガラガッシャンシャン...あ

 

えーと、天照の後継が息子のオシホミミ、その後任が皆に愛想を尽かされていた櫛玉ホアカリ(ニギハヤヒでもありこの子孫が尾張氏)、その間も大物主や児屋根、太玉などと頑張っていた弟であるニニギが跡を継ぐ

 

ニニギの子は(櫛玉が付かない)ホアカリ、ホススミ、ホオデミの三人でホアカリの子が二人目のニギハヤヒ(子孫が物部)、ホオデミの子がウガヤウキアワセズ、つまりニニギの孫同士が戦ったことになりますね

 

まだホツマを読み進んでいないエリアなので想像も含みますが(この記事が出るまでに読みといていても記事はこのままでいきます)、そもそも天孫族はひとりの天皇を置いていたわけではなく地方分権であり一族を各地へ派遣してそれぞれの地を治めさせる形を取っていましたのでその中でも中心人物というのは存在しても各地を全部纏めるというわけではなかった

 

なので後継者ではなかった弟ニニギは大物主と地域を分担しつつ各地を巡ってそれぞれの土地の発展に尽くした(親戚ですし各地が発展すれば全体的な底上げになります)、やがて中国地方を経て九州を巡ったのが謎の天孫降臨伝説になったと思われる、だってどう考えてもあの道中は急ぐこともなくゆっくりと各地を視察、というかいろいろ教えて回っていますよね

 

今まではその土地の中だけで暮らしてきたけれど内地の話を聴いたウガヤの子イワレビコは 俺は中央へ出る! と決意して向かったのが大和、そこで出会ったのが長髄彦を従えていた二代目?ニギハヤヒです

 

どこぞのわけぇもんが来やがった!ながすね、やっちまえ!! と思ったらちょっと待っておくれよ、ニギハヤさんと同じ紋章付いてんで? なんてこったい誰だおめぇわ!!と思ったらわいの爺さんがおめぇの曾爺さんじゃねぇか!!ってことで年は上でしょうが若くて猛々しく勢いも知性もあるイワレビコを大和発展として担ぎその一旦を自分が担うことにした

 

傘下に入った同族としてニギハヤヒは重宝されたかもしれませんが東征で活躍した者達の功績もあったのでなかなか微妙な立場でもあったかもしれません

 

といった感じだと思うのですが、さぁ、そうなってくるともし倭大國魂がニギハヤヒだとしたらという説がどうなのかって話です(戻った)

 

子孫である物部がその後もしっかりと地位を保っていたことから親戚としてちゃんと重宝されていたことは分かる、ただし、ただしです

 

だからといってやっぱり皇祖天照と共に皇居内に祀られるほどの理由があろうか、だって天照はニギハヤヒの祖でもあるわけですから、ってあれ?またこの話になった←もうええて(爆笑)

 

ここでは物部の話ですね、先代ニギハヤヒと次代?ニギハヤヒ、その子孫同士に繋がりがあったのですから私の祖先はカムヤマトイワレビコに従ったニギハヤヒではありますが先代物部の移民も居たかもしれない

 

もしかしてもしかすれば私は先代ニギハヤヒの子孫かもしれないので大和巡拝はもしかしたら先祖の故郷を巡っているかもしれないのだ!(凄い飛躍)

 

いや、まぁ先祖を辿れば皆が天照大御神に行き着く、行き着かなかったとしても全国民が天照の子も同然

 

結局何が言いたいかって?

 

日本人、みんな仲良く助け合って生きましょうよ(*´ω`*)

 

 

調べても結局 なに という程ものまで辿り着けなかったのでこんな締めになったことは突っ込まないでください(*´▽`)

 

...と思ったら追加情報発見しました( ̄^ ̄)ゞ

 

尾張国造の乎止与の娘 宮簀媛は日本武尊の妻となりましたがその兄 建稲種命も景行天皇と成務天皇に仕えていただけでなく日本武尊の東征に副将軍として従軍していたというのです、さらにその息子は応神天皇の大臣となり娘は景行天皇の皇子に嫁いでいたという、、、めちゃめちゃ天皇家と密接じゃないですか!!

 

となれば本当に古井の霊水を献上していたって全く不思議はなく、ただ贈っただけでなく実際に使われていた可能性だって結構高い

 

尾張...すげぇ...いやぁ、我が故郷ながら確かに三英傑や前田家など錚々たる偉人を排出した地域ではありますがそれ以外では地味、なんなら私の物心着いた頃には三大都市ツアーからも外れ七大都市から外されることもあり、W杯会場からも外される

 

所謂 東京と京都大阪の間 なんてどうでも良い扱いとなって関西からは仲間外れ、関東からは関西扱い、だってうちら東海だからね!! なんて凄い微妙な立ち位置だったんですよねw  尾張徳川家だって一度も将軍出してないしね!! 中日だってグランパスだって中途半端ですよえぇ!!

 

でも古来天皇家の重臣や后を送り出し戦国の世において再び波乱の中心となった、家康は城下作りの基盤を名古屋で作った、つまりそういう土地なんですね、素晴らしい(*´ω`*)

 

ちなみに名古屋で誇れるような観光地はあまりないと思っているのですが名古屋港水族館はマジでオススメです、ついでに南極観測船ふじも見てってください、あと地味ですけど東山動植物園だって動物園と植物園が合体しててとんでもない広さだし、、、あとは、、、あとは、、、熱田神宮!!

 

あ、ご飯はおいしいのでちゃんと調べて食べてね!!

 

ってなわけでこんな最後に飯テロ!!(いつものですが)

 

奈良京都を経て帰名した夜に決まって食べるのが山本屋の味噌煮込み
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しかも今回は贅沢に名古屋コーチンだぎゃ!! 高い、高いけど弾力あって旨味もあってうみゃーでよ!!
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子供の頃以来使うことも無くなりましたが土鍋+味噌でずっと熱いからフーフーして食べたかったら蓋をお皿代わりにして食べてね、その為に土鍋に必須なはずの穴が無い仕様ですからお行儀悪くないですからね

 

あとうどんが生茹でじゃない?ってくらい歯ごたえあるけど土鍋+味噌の熱さで食べるの遅くなって長いことぐつぐつされてものびない為の特製麺だから間違えんといてよ!!

 

ってことで次の記事いってみやぁー!!(名古屋弁下手になってるw)

 

飛鳥想妄想物語

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

 

さて、ちょうど年末年始巡拝の記事が全て上がったタイミングになっているかと思いますが、ホツマツタヱを読み解いているうちにとある空想、いや、もはや妄想が思い浮かびました(´・ω・`)

 

ホツマツタヱがフィクションなのかノンフィクションなのか、はたまたその両方なのかはわかりません

 

なのでそこから空想する以下の内容については完全無欠のフィクションでございます(笑)

 

何かと言うと、、、飛鳥坐神社の御祭神についてですね、記事を書く際とは違うといいますか発展した考えが突然浮かびまして、それについて勝手に深掘りしていったらなんか面白い結論(ただの想像)に辿り着いたので記事にしたくなってしまいましたw

 

空論だけで組み立てたものですから、まずはそれをざーっと書かせて頂き、その後に公式HPなどの情報をまとめ、ホツマツタヱに毒された(w)私の頭で考えたただの空想が社伝(?)とどのくらい近くどのくらい掛け離れたものになるか、を公開検証してみたいと思います

 

それで何がしたいのかって、いや、思いのほか良いストーリー(自画自賛)が出来上がったのですがそれはそれでただの空想、でももしこの空想が諸資料と併せた時になかなか筋が通ってしまったとしたら?

 

その場合は、ホツマツタヱがなかなか真理をついている、もしくはど素人が少ない知識から空想で組み立ててもそれなりの形になる、つまり知識を増やせばホツマツタヱのような偽書が創作困難とは言えないというどちらにも寄る事が分かるのです(結局どっちにもならへんやないかい!!)←(いやそれは仕方が無いんです、実際の証拠が発掘されない限りはどれほど凄いと思われる資料だとしても証明にはなりえないのですから)

 

というわけで、ご興味お持ち頂けた方向けの超ニッチな記事になりますが、第一として御祭神の整理と感じた違和感、第二にそれを元にした私の空論、第三で公式情報のまとめ、そして第四でそれらを照らし合わせるという形で進めたいと思います

 

(私にしては珍しく筋道を立てていますがこれから行き当たりばったりで書いていくのでどういう結論になるのかは自分でも分かっていませんw)

 

 

ー 序 飛鳥坐神社 最低限の情報とその違和感 一

 

飛鳥坐神社  あすかにいますじんじゃ、創建年と由緒は不明ながら元伊勢との伝承がある、現在地鳥形山には829年に遷座された

 

御祭神

本社:八重事代主神命、下照姫命(飛鳥神奈備三日女神)、高照光姫命、建御名方命

中の社:大物主神、素戔嗚尊

奥の社:高皇産霊神、天照皇大神

 

まず、記紀をはじめとして多くの書物において混同されやすい下照姫と高照姫が両方祀られていることに驚きました、さらに高皇産霊神、天照大御神と素戔嗚尊が併せ祀られていることも珍しいし、それ以上出雲系と天孫系が由緒ある神社に併せ祀られていること、それだけでなく建御名方神も?! なのに大国主が居ない!!

 

これはいったいどういうことか、それがキッカケでした

 

 

ー ① 記紀とホツマツタヱ、公式における御祭神の整理(要約)ー

 

八重事代主神

記紀:大国主と神屋楯比売の間に生まれた神だけれど国譲りにおいて承知したと答えると縁起の悪い天逆手を打って踏み付けた船を青垣に変えると消えてしまったという、建御名方神が敗れると大国主は他の子達も事代主に従って背くことは無いと言ったが以降は登場しない

ホツマ:主に武力を司る大物主を補佐する役職が事代主で初代はクシヒコ(クシキネの子)、二代目はツミハ(クシヒコの孫ミホヒコの子)が務めた

公式:於天事代・於虚事代・厳之事代主神という尊号を持ち御神徳は天地・宇宙・目に見えぬ世界まで拡がり八重に積み重なる神、神々を導く統率神で国民を幸せに導く

 

下照姫命

記紀:出雲に降りた天稚彦が妻とした大国主の娘、天稚彦の葬儀において兄が死者と間違われ激怒して出ていったので彼はとても素晴らしい味耜高彦根だと歌を詠んだ、本名が高照姫だともされている

ホツマ:金山彦の孫天稚彦の妹で兄の葬儀において味耜高彦根への歌を読んだ事から妻となったオクラ姫がヒルコに仕え下照姫の称号を得た

(飛鳥神奈備三日女神) あすかのかんなびみひめのかみ

諸記録には登場しない

公式:下照姫は御魂である賀夜奈留美命と共に祀られており、その御神名が飛鳥神奈備三日女神であるとし、事代主の妹としている

 

高照光姫命

記紀:下照姫の別名または本名であるとされている

ホツマ:クシキネの娘でクシヒコの妹タカコ、オクラ姫と同じくヒルコに仕えて高照姫の称号を継いだ、つまり初代はヒルコ

公式:五穀豊穣家内安全事業安定国家安泰の神

 

建御名方命

記紀:大国主の子、国譲りにおいて建御雷と戦うも敗れ諏訪へ逃れこの地から出ないと約束して許された(日本書紀には登場しない)

ホツマ:クシキネの子、カシマタチ(国譲り)に抵抗するもシナノで捕まって降伏した

公式:大国主の御子神武勇掲揚の神

 

大物主神

記紀:大己貴命が三輪山に祀った御魂として大国主=大物主とするが記述によって大物主単体での記述が多く一貫性に欠ける

ホツマ:クシキネがアマテルより初代大物主を賜る、大国主になると子のクシヒコが二代目、クシヒコが身罷るとその子ミホヒコ(コモリ)が継ぐ

公式:解説無し

 

素戔嗚尊

記紀:天照大御神の弟で度重なる粗暴により追放され出雲にて礎を築き息子オオナムチが国を造る、後に国譲り同意して大宮を建てて貰い幽界へ行く

ホツマ:同じく粗暴により追放されるが後に改心しアマテルに仕える、子のクシキネはアマテルの娘タケコを娶り代々アマテルに仕えた

公式:解説無し

 

天照皇御神

記紀:イザナギイザナミの子で太陽神の女神

ホツマ:ハラミ(富士)で生まれた太陽神(男神)で高皇産霊に育てられ君として各地を子をに治めさせ所謂出雲系を含め全ての神々が崇敬する存在

公式:解説無し

 

高皇産霊神

記紀:造化三神のひと柱で天御中主神の次に高天原へ出現した神とされているが後に天照大御神や天孫降臨に対する指示を出す神として登場する

ホツマ:代々日高見を治める者の役職名で主に七代目タカギが登場するが、五代目トヨケはイザナギイザナミの産んだアマテルを育てた養父であり師でもある

公式:天照皇大神と共に天上界を主導される造化三神の一柱

 

注:高照姫と下照姫について、ホツマツタヱを読むにおいて9のアヤを読み解いた際、真っ二つに割れていた訳の中で悩みながらも私はヒルコが下照姫でオクラ姫がそれを継いだという説を採用したが、その尊名からしても高照姫の方が尊称であり、読み直してみるとヒルコ自身が高照姫でその主をタカコに継がせ、その一部をオクラ姫へ継がせた、それが下照姫だと解釈すべきと改めた(いずれ再読解する機会に改めようと思う)

 

まず気になったのは、元伊勢とされるほどの地に祀られる由緒正しき神社において天孫と出雲系が祀られている、しかも出雲系が勢揃いであることに驚いたのだが、そこに三つの謎があった

 

①これだけ出雲系一族が集合しているのに重要な大国主が居ない

②高照姫と下照姫がふた柱とも祀られているだけでも珍しいのに下照姫が居ながら味耜高彦根が居ない

③上記二つの謎がありつつ建御名方が祀られていること

 

つまり整合性というか一貫性が全く無いのです

 

三輪山には大物主が祀られる、その大和の地として出雲系を中心に祀ったとするならばなぜ大国主が居ないのか、葛城で賀茂大神とされる味耜高彦根が居ないのか、一族ではない下照姫と高照姫が同時に祀られる理由は?

 

こうなると記紀が頼りにならないので全体的にホツマ脳で考えます

 

まず元伊勢として天照大御神が祀られるのは当然、その師である五代目高皇産霊神(トヨケ)は伊勢外宮の神なので併せ祀られるのも当然

 

では中の社と本社の神々を並べてみるとある事に気づいた、ホツマを読み解いているとついつい大物主=クシヒコ、事代主=コモリ(ミホヒコ)と考えてしまい、大物主神がスサノオと共に中の社に祀られているのは三輪山の神として絶大だったからだと思ったのですがそうではない、中の社は親神、本社は御子神で揃えられているという当たり前の事に気付かなかった自分が恥ずかしい

 

ここでの大物主神は大国主、つまりクシキネの事なのだ

 

整理すると、スサノオ、クシキネ、クシヒコ、オクラ姫、タカコ、タケミナカタが祀られていることになる

 

んむ、①はクリアしたけれど②と③の謎は消えない

 

アマテルから見てスサノオは弟、クシキネは甥であるが娘婿になった、つまりクシヒコとタカコは孫になるがタケミナカタは血族として薄い、さらにオクラ姫は孫嫁だがその夫が祀られていないのになぜ祀られたのか

 

はっ...下照姫だけ御魂である賀夜奈留美が併せ祀られると書かれ、さらに飛鳥神奈備三日神であるという神名まで書かれている、これはただ事ではない

 

賀夜奈留美について調べてみると当社以外に記述はないがどうやら皇室守護の女神として神奈備に祀られたという

 

オクラ姫が皇室守護女神?!?!

 

実はこの記事を書き始める前まではヒルコ=下照姫でオクラ姫がそれを継いだと思っていたので上で整理していて違うと気付きました、和歌女神ワカ姫は琴を二姫に教えました、その琴を授けたのはタカコ、つまり高照姫が後継者だと考えるのが妥当です

 

さぁ、早くも当初と変わってしまいどこへ着地出来るのか分からなくなってきましたがそのまま続けています(さすが私)

 

下照姫の謎は一旦置き、この皇室守護神というところが突破口を開く

 

いつ祀られたか分からない飛鳥坐神社、なぜこの神々を祀った? わざわざ注釈を付ける必要のあった皇室守護女神が鍵だ

 

一般的な神社においては奥が重要な神でありつつ本社(本殿)に祀られる神が主祭神である、つまりクシヒコが主祭神なんだ! それが皇室守護神と共に祀られる理由、それはつまり大神神社がキーワードだ!!

 

となれば...タケミナカタがなぜ? アヂスキタカヒコネはなぜ?

 

 


ー ② これを元に私が独創した創建経緯の推論 ー

 

まず元伊勢ということに注目した

 

元伊勢であれば天照大御神を祀るところ、なぜ出雲系がこれほど祀られたのか、、、その答えを想像するならひとつしか無い

 

宮中から出された神は二柱、天照大御神と日本大國魂神である

 

では元伊勢というのが神奈備なのか鳥形山なのか、下照姫が飛鳥神奈備三日女神とされるのと関係がありそうだ、、、と思ったけれどそれ以前の問題だと気付いた

 

天照大御神が一時的に鎮まったから元伊勢なのにそれが神奈備で後に鳥形山へ移ってしまえばそれはもう元伊勢ではないじゃないか!!

 

つまり、鳥形山が元伊勢である、そこへ神奈備に祀られていた下照姫が合祀された、ではその他出雲系はどちらに祀られていたのか

 

下照姫は出雲系というには少し遠い、ではなぜ鳥形山に出雲系が祀られていたのか、、、元伊勢であれば天皇側が祀るものであってこんなにも出雲系を祀る理由が無いのである

 

それはつまり、三輪山の麓、磯城瑞籬宮から出された二神はまずそれぞれに鎮まる場所を整える必要があった、崇神天皇はとにかく畏れ急いでいたのだ、その地は現檜原神社と大和神社の地、そこを最低限整えるまでの間、神域である鳥形山へ一時的に祀られた、つまり鳥形山は元伊勢だけでなく元大和でもあった!!

 

だからこそそれぞれが遷座した後も天照大御神と日本大國魂神が祀られた、この日本大國魂神については私はホツマツタヱにおいてクシヒコがアマテルよりに最後に賜った称号 ヤマトオオコノミタマカミ こそがそれだと考えている

 

アマテルが自らに次ぐ神としたほどだったので宮中で並び祀られており、その陵墓である三輪山は大切に祀られていたのだ

 

であれば!! 注目すべきは御祭神名である

 

アマテルとクシキネを祀った、配神にはトヨケひと柱と出雲四柱(プラス下照姫)、圧倒的に出雲が多い、それはなぜか、大物主ですよ大物主、疫病飢饉に乱を鎮める為に三輪山の祭主に大田田根子を指名した大物主です

 

つまり、大物主の御神威に頼った崇神天皇は元伊勢・大和に大物主、つまりクシヒコに連なる神々を祀った、これで三つ目の謎が少し解けた!

 

クシヒコが大物主ではなく事代主でなければならなかった理由は? 大神神社に大物主として祀られているので混同せぬように? ...否! クシキネが大物主である事が重要だったんだ

 

スサノオ、クシキネ、タケミナカタに共通し、アヂスキタカヒコネだけが仲間はずれになる理由は何か

 

罰ですよ、罰

 

スサノオは後に復権しているけれど追放という罰を受けている、クシキネはカシマタチによって青森へ左遷という罰を受けている、そして抵抗したタケミナカタは諏訪への蟄居という罰を受けている、つまり偉大なるクシヒコの一族において罰を受けた事のある神々を併せ祀ることで皇室が追うその責任を禊ごうとしたのではないだろうか!! これは後の御霊信仰にも通ずる考えである、その理由はこの後にまとめるとして

 

では高照姫と下照姫は? 二女神に共通するのはヒルコ、ヒルコは高照姫として太陽神天照大御神を姉という立場から支え続けた女神です

 

そう、皇室守護女神としてこれ以上の存在は無い!!

 

でも祀られるのは高照姫と下照姫で共に本社に祀られています、これは一体どういうことか、それを紐解く鍵こそが日本大國魂神です

 

というわけでストーリー仕立てにまとめます

 

元伊勢大和である鳥形山にはそのまま天照大御神と日本大國魂神を祀る事とした、ただしそれだけでは足りなかった、なぜなら日本大國魂神を祀らせた皇女渟名城入姫は髪が抜け落ち痩せこけてしまったからである

 

同じく皇女である豊鍬入姫は天照大御神を祀ることが出来た、その違いは歴然としている、子孫であるかどうかです

 

つまり日本大國魂神は皇祖ではない、後の信託により大神神社は大田田根子に、日本大國魂神は市磯長尾市に祀らせることで疫病は治まったのである、この市磯長尾市については様々な考察があり多く見受けられるのは豊玉彦の子孫だという説

 

だがしかし、ちょっと待ってくださいよぉ~

 

市磯長尾市が倭国造の子孫だった事から日本大國魂神は倭氏の祖であると考察されているが、果たしてそうだろうか?

 

市磯長尾市は椎根津彦の子孫とされておりさらに椎根津彦はニニキネの子彦火火出見の子孫とされている、つまり皇族です、渟名城入姫が祀れなかったのになぜ同じ皇御孫に祀ることが出来たのか、それはつまり皇族の子孫では無かったからでは無いだろうか

 

特に、大和神社の主殿御祭神三柱は日本大國魂大神、八千矛神、大年神であり八千矛はホツマには出てこない名前ですが記紀ではオオナムチの事として書かれている、そして御年大神はスサノオの子だとされている、つまり出雲系なのです

 

その神託をしたのは大物主の妻(巫女か)となって百襲姫、この百襲姫も大和国造の子孫だった事から日本大國魂神が大和国造の祖だとされたのではないだろうか、でも配神を考えたらおかしいのである

 

さて、鳥形山へ戻りましょう

 

この時点で祀られた高照姫はヒルコの事であり、皇祖神天照大御神を支えた姉と養父を併せ祀ったのではなかろうか

 

では下照姫は?

 

皇室守護神である賀夜奈留美は先んじて飛鳥神奈備に祀られていた、賀夜奈留美は大国主の娘だいう説も伝わっている、つまりタカコなのだが遷座の際には下照姫とされてしまっていたと考えられる

 

そんな無理やりな、と思いますよね

 

でも公式の説明が物語っています、高照姫には五穀豊穣家内安全事業安定国家安泰の神としか書かれておらず、概念神のような扱いで他との差が大きい、つまり本来の高照姫が分からなくなっていた可能性が高い、いや、それは後世のことで当時はまだ取り違えに留まっていたかもしれない

 

ちょっと待てよ? オクラ姫は素晴らしい女神ではありますが皇室守護神として祀られる可能性は高いとは言えない、では賀夜奈留美はヒルコだったのかそれを受け継いだタカコだったのか、、、初代高照姫だったヒルコの方が可能性が強い、となればタカコが二代目高照姫として鳥形山に祀られていた可能性が高くなります、だから出雲系兄妹が揃う本社なんだ

 

そして後に賀夜奈留美が合祀される頃にはヒルコの存在は消えさらに高下の混同が進んでいた為に大国主の娘下照姫とされてしまった、当然大国主の娘として本社に祀られた

 

あれ?高照姫が元々祀られてるぞ? だからと言って別々に祀られていて一応神名も違うから外したり併せる訳にもいかない、ということで共に祀られる形となり、さらに後世にそれぞれの神について説明するのに困って由緒ある神社に祀られる神として相応しい御神威だけが記されたのではなかろうか

 

記紀が編纂された時点で完全に混同されているのでヒルコの存在も別の話になり大国主の娘は下照姫(高照姫)となっているわけで合祀時にはその説に則るのは当然のこととなる

 

さて、後でまとめるとした御霊信仰について

 

崇神天皇は二神の神威を畏れ宮中などではなく相応しい地で祀るべきだとした、その理由は世が鎮まらないからです、つまり神々の怒りによって混乱が起きていると考え、神々を祀ることで怒りを鎮めようとしたのです(かなり信心深い天皇だったことがわかっている)

 

天照大御神、日本大國魂神、大物主、最もキーになっているのが大物主(なので日本大國魂神=大物主と考えた訳ですが)であり、子孫を探し出して祀らせています

 

そう、崇神天皇は大物主神の力を畏れていたのです

 

御神威と言えば聞こえは良いが祟りと言い換えても良い、それを鎮める為に祀るのですから許しを乞うわけです、言い方は悪いですが出来る限り媚びたいわけです、それが罪を被った家族を共に祀るという考えに至るのは自然だとは思います

 

また、そこで祀られる御祭神名も意味があると考えます、寧ろこの御祭神から思い付いたストーリーなのですが、クシキネが大物主、クシヒコが事代主である時代

 

それはつまり、タカギ、ヒルコ、スサノオ、クシキネ、クシヒコが揃いタケミナカタも諏訪へ行くこと無く皆でアマテルを支えていた時代、それは太陽神とされる君の治世によりとても平安だったと思われます

 

その時代に戻りたい、その頃のように神々の力でこの混乱を治めて貰いたい、そんな切実な願いが込められていたのではないだろうか

 

(ホツマによる)実際にはスサノオも許されているしクシキネは青森へ移されるもしっかりアマテルに仕えていたし、タケミナカタも宮へ上がりアマテルの詔を聞いていた場面が描かれていますが、そういう事じゃない、皆が一番良かった頃を願ったからこその御祭神名なのです

 

という考えだったのですが、ここまで纏めていて新たな考えが浮かんでしまいました(をぃ!w)

 

賀夜奈留美は本当に高照姫(下照姫)なのだろうか

 

いや、皇室守護神としながら大物主の子、とされるのにまだ違和感が残るのですよ...恐らく賀夜奈留美は鳥形山よりも前に祀られていた気がする、でなければ最初から鳥形山に祀るべきだし大国主の娘とするならばなぜわざわざ別の神奈備に祀ったのかということになる!しかも後に合祀されるわけですから(800年も経ってますけどね)

 

他に大物主の娘とされる皇室守護神になりうる女神は...と考えて思い浮かんだ女神が一人だけいました

 

媛蹈鞴五十鈴媛!!!

 

書により大物主の娘とか事代主の娘とされていますが年代が合いませんよね?そりゃそうです、神武天皇の御代ですからそれこそ役職名でクシヒコでは無い!

 

ホツマによればミホヒコの子ツミハの娘でツミハは事代主に就いていた、だから事代主や大物主(混同)の娘とされているわけですが、皆さんご存知のようにイワレビコ、つまり神武天皇の后となった女神です

 

後に皇室の守護女神とされても不思議では無い?! 

 

と、まぁこれに関してはふと思いついただけでそれを後押しする素材は何も無いのですけども(苦笑)  もしそうであれば、鳥形山に祀られた高照姫はそもそもタカコの事で、神奈備に祀られるイスズヒメが事代主(大物主)の娘として下照姫(高照姫)と混同されてしまい鳥形山への遷座に繋がった可能性も考えられます

 

もしこの説が当たれば、タカギ、アマテル、スサノオ、クシキネ、クシヒコ、イスズヒメ、タカコ、ミナカタが祀られていることになり、いずれにしてもアマテルとスサノオの一族という括りはそのままです

 

どうでしょう( 'ω')?  一旦ここを忘れ、次で色々難しくてサラッと流してしまった公式を中心としたもう少し細かな由緒を見直してみます

 

 

ー ③ 飛鳥坐神社公式HPの由緒に書かれる情報 ー

 

・日本書紀(720年)673年七月の条「吾は高市社に居る、名は事代主神」

・同686年七月の条「幣を紀伊国に居す国懸神、飛鳥四社、住吉大社に奉る」

・出雲国造神賀詞(8世紀成立)「事代主命の御霊を宇奈堤に坐せ、賀夜奈流美命の御霊を飛鳥の神奈備に坐せて皇御孫命の近き守神と貢り置きて」

・日本紀略(11~12世紀と想定されるが成立時期不詳)「829年3月10日、神託により高市郡賀美郷神奈備より現在の地鳥形山に遷座」

・鳥形山は天照皇大御神が伊勢の地に鎮座されるまでに一時祀られたことから「元伊勢」と呼ばれ、境内の摂社(奥の社)に天照皇大御神をお祀りております

・延喜式(927年)「飛鳥坐神社四座並名神大 月次 相嘗 新嘗」

ー全国式内社3132座のうち71座しか対象とならない中、当社が4座指定されている

・初代神主 太宗直比古命が崇神朝より「大神朝臣飛鳥直」の氏姓を賜って以来「飛鳥」姓を名乗り創始以来代々神社を守った、初代は天事代主命から数えて七世に当たると新選姓氏録(815年)や世系図に記され現宮司は87代目である

 

ーとされています

 

公式が採用する情報をまとめると、少し難しい(これが参拝記事でスルーしてしまった理由w)

 

まず事代主が主とされていますが高市社が取り上げられているが高市社に比定されているのはどうやら天太玉命神社の南、現河俣神社だという...あれ?  続いて宇奈堤と書かれているがそれも河俣神社の地(現雲梯町)だという...あれれ?

 

続いて高市郡賀美郷より鳥形山へ遷座というが、賀美郷は明日香村に比定されている...およよよよ? あ、これは賀夜奈留美が祀られた場所が鳥形山の近くということですかね、つまり同じ郷の中での遷座ということになります

 

つまり、事代主と賀夜奈留美は鳥形山とは別に祀られていたということになりますね、これはやはり不思議だ、なぜ829年の遷座は神奈備からしか書かれていないのか

 

そして最後が何気に重要です、神主は初代より大神朝臣飛鳥直を賜り事代主から七世、現宮司は87代目という

 

ざっくりそれっぽく平均20年で考えると87代で1740年、25年だと2175年、その間であれば紀元前後となりますのでまぁ諸説ある神代の年数算定内に収めることが出来ますね、では七世という部分はどうか、これは事代主が誰なのかによりますがここからは検証になるので次に回しましょう

 

 

ー ④ 妄想はどうなのか ー

 

まず公式の記載は引用を集めただけなので何とも言えませんが鳥形山は元伊勢で事代主は宇奈堤に、賀夜奈留美が神奈備に祀られていたが829年に賀夜奈留美が鳥形山へ遷された事は書かれているのに宇奈堤から遷されたとは一言も書かれていません、これは同じ神であるという意味合いだと解釈出来ます

 

未参拝の神社に関してはあまり調べたくないのですがここはやむ無し、Wikipediaを調べてみると壬申の乱において大海人皇子を守護する神託を授け史上初の神位が授けられたのだという、、、嗚呼! 村屋神社での伝承にあった神社ですね!

 

...あれ? なぜその説明を...? とりあえず置いておこう

 

初代神主が誰の子孫かが問題です、これがなんと大神朝臣飛鳥直で検索しても飛鳥直で検索しても飛鳥坐神社に関する記述しか出て来ないんです、飛鳥氏に至っては全然関係ない人物しか出て来ない、これは一体...?!

 

で、諦めて大神朝臣で検索すると九州に集中している!? なんだそりゃ?! ですが! その祖は568年に豊前へ移り住み、以降宇佐神宮の創始に関わっていったという(Wikipediaです)

 

ではさらにその祖は...?! 大神良臣説というものの系譜によれば、飛鳥という分岐は記されていないものの大田田根子を通ってしっかりスサノオまで繋がっている!!

 

では飛鳥直というのはこの中の誰なのか

 

七世というのが事代主を一とするならば、大神良臣説では大御毛主ということになる(大田田根子が九になる)、ちなみに大神良臣説の系譜では事代主がふたり居るのだが都美波八重事代主神がタカヒコネ、タカヒメ、タケミナカタの兄弟つまりクシヒコとされており、その子ミホヒコ(コモリ)が天事代籤入彦命となっている、ちなみにミホヒコの子に媛蹈鞴五十鈴媛命と五十鈴依媛がいる

 

勿論これは一説ではありますが、、、八重事代主神=クシヒコ説を後押ししてさらに御子も事代を継いでいることが書かれている(大物主という役職名は存在していない)

 

さぁ、これが何を意味するのか

 

ざっと調べても当神社以外では全く出て来ない以上、飛鳥直というのは身内での呼び方だということになります(存在しないとは言わない)、ただし、飛鳥坐神社の初代神主が直系子孫である可能性は残されています

 

つまり、天照大御神、日本大國魂神、大神神社と共に飛鳥坐神社も大物主の直系子孫が神主になっているということは崇神天皇代の創建ということになります!!

 

おいおいおいおい、妄想が現実的に?!

 

事代主についてはあらゆる混同の可能性もあるとは言え系譜からすればクシヒコに違いない、その宇奈堤の事代主が遷座されぬまま鳥形山に祀られているということはふたつにひとつしかありません

 

賀夜奈留美と共に神奈備に祀られていたか、創始つまり元伊勢となった時点で鳥形山に祀られていたか、です

 

前者においては可能性は低い、なぜなら、もしそうだったらそう書くでしょ!? なのに神奈備については賀夜奈留美にしか触れていないだけでなく宇奈堤に祀られる神とする理由がありません

 

ではなぜストレートに大物主としなかったのか、これは私の空想が的を得ていたとすればですが、祀る際にどの時代背景を重視したかによって祭神名が異なるのではないでしょうか、また後世になればなるほど混同が進み訳が分からなくもなったかと思いますが、大物主=強大な御神威の神で事代主=発展の神的な現代に通ずる感覚はあったでしょう

 

つまり、クシヒコ=大物主でコモリ=事代主なんです、でもクシキネを大物主としたらクシヒコが事代主になるんです

 

でもちょっと待って、三輪山にクシヒコ、日本大國魂神もクシヒコだとすれば、鳥形山は元大和なのになぜ事代主としたんだろう??? やっぱり日本大國魂神はクシヒコでは無いのだろうか...いやー、可能性は高いと思うんだけどなぁ

 

強引に言えば、大和神社の日本大國魂神、大神神社の大物主、そして鳥形山の事代主とそれぞれの名で祀った(しかも北から南に! って一直線では無いから関係ないかw)

 

えーと...えっ、ちょっと待って

 

いやね、勿論ただの空論なんですよ、なんの確証も無ければ推測の域から1ミリも出る事の無いただの妄想なんですけどそれは仕方ないですよね、だってこの辺りを一部でも完全に記した書物なんて無くて全てがそれぞれに伝わっている話で共通する伝承や由緒、記述はあれど基本的にバラバラなんですからどの説をとっても一理あって微妙な部分もあるんです

 

にしては、、、完全妄想が結構なかなかに的を射てません?!?!

 

あ、そうそう、忘れてた

 

天照大御神だけでなく日本大國魂神も最初共に鳥形山に祀られた、というのを後押ししているのは初代神主です! ちょっと直接は追えませんでしたが大神朝臣というキーワードからはしっかり出雲系に繋がった

 

元伊勢なのに出雲系を神主にしてクシヒコ他出雲の神々を祀る理由は皆無です、出雲系神主だから出雲系の神々を祀るというのは当然ですが元伊勢の神主を出雲系にする理由が無いんです、だって倭笠縫邑から天照大御神を祀り続けたのは皇女二姫ですし、当然ながら子孫なので二人とも失敗はしていないんです(適地はなかなか見付からなかったけれど)

 

  でもね、これも繋がるんです

 

日本大國魂神はクシヒコ、大和の地ですから適した地は直ぐに決まったと思うんです、だから子孫では無い渟名城入姫は可哀想なことになったけれど鎮座地は点々としていない、する必要が無いんです、だって子孫はその縁の地に居続けていたので分かっていたんです

 

でもアマテルはそうでは無かった、ニニキネ以降国々はバラバラになり、再び君を立てた神武は九州の出、そこから10代経っているわけですからアマテル縁の地も分からなくなっていたんでしょう、それを探して転々とし、漸く見つけたのがイモセの地、伊勢なんです

 

うわー自分で言ってて自己満足過ぎますが、めっちゃ繋がってる!(苦笑)

 

 

というわけで、如何でしたでしょうか

 

ただの自己満足ですかね? それとも、なるほどそれもありうる! と思って頂けましたかね?

 

古代の歴史はわからんですよ、私からすりゃ何でもかんでも記紀をベースに史実だ国史だと頑なな人、信じらんないですもん...いや、凄い書物なのは認めますけど、ひとつの書の中であんなにあっち行きこっち行き筋の通らない事が書かれているのに完全無欠の国史と扱える意味がわからない

 

いやね、しゃーねーじゃん!他に資料ねーんだから!って言ってくれるならそれはそれで良いんですけどねw それならそれで、怪しいホツマツタヱ、和田家文書、あとなんだっけ、竹内文書と正統竹内文書でしたっけ、他にも沢山あるわけですが、記紀の不都合を無視して他の書物を偽書扱い出来る神経がわからん!!!

 

本気で日本の歴史を解き明かしたいんだったら全部の書物を疑いつつ信じて最も合理性のある説を導き出せ!ほんでもってそれに従って調査して証拠を発掘しろ!!  と思うわけです(*´ω`*)

 

まぁつい最近話題にもなりましたが古墳を崩して都が造られたり、現代でも掘れば何か出て建築が止まるからモゴモゴとかいろいろあるようですしなかなか難しいとは思いますけどね( ´・ω・` )

 

分かることにも夢があります、でも分からないからこその浪漫もあるって事で(。-_-。)b

 

って締め方が違うっ!

 

改めまして、はい! 如何でしたでしょうか!

 

様々な説がある中、知識の浅い私が勝手な妄想で考えたストーリーでしたが、ホツマツタヱという大きなヒント?があったとはいえ結構良い組み立てになったかなという気がします

 

そんな事を言いながら、以前記紀を勝手に解釈したものも今では違うなー!ってなってるくらい適当なのでね...今回のもきっと、ちょっと新しい情報を知ったら ちげーーー! ってなるのでしょうが、いくつかのキーワードがあればそこからストーリーを紡ぐ事は出来る、それはつまり記紀にもホツマツタヱにも当てはまるわけで、つまりはみんなもっとホツマとか読み解いてみようよ!って事です(*^^*)

 

読む人が多ければ多いほど、それぞれの視点で解釈が出来てより良い読み解きが生まれるかもしれないじゃないですか

 

そう、最近知った和田家文書なんて全文読もうにも読めないんですよ、その点ホツマツタヱは読める訳ですから(*^^*)b

 

 

 


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日本大國魂大神鎮まる 大和神社

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

長尾神社から始まり香久山、三輪山を経て辿り着いた地

 

大巡拝24ー25 を締めくくるのはこちら!! 大和神社です
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こちらもまた、三輪泊が決まるとすぐに 大神神社→村屋神社→大和神社(古墳は後に追加)と二日目を歩き倒すことげ早々に決まっていた神社です(本当はさらに石上神宮まで行こうとしていたのだから無謀である)

 

大和神社は おおやまとじんじゃ と読み、御祭神には日本大国魂大神(やまとおおくにたま)、八千戈大神、御年大神の三柱を祀ります

 

日本大国魂大神は倭大國魂とも書きます、と言えばピンと来る方もいらっしゃるでしょうか

 

そうです、宮中に祀られ崇神天皇の御代に天照大御神と共に宮外で祀られることになった神、それが日本大國魂大神です、つまりとんでもない神様です

 

村屋神社からどうしたものかと周囲を検索した時に発見しその御祭神を知って即座に参拝を決めました、勿論、元伊勢とされる檜原神社を参拝するのであれば併せ参拝出来ればこの上ないという考えもありました

 

日本大國魂大神(大地主大神)は日本書紀にしか登場せず、崇神天皇の命を受けた皇女 淳名城入姫命が宮外にて祀ろうとしたが髪は抜け落ち身は痩けてしまい祀ることが出来なかったとされるが別説としてその後、百襲姫、大水口宿禰、伊勢麻績君が同じ夢を見たことから市磯長尾市が祀った神ですがここでしか神名が登場せずなぜ宮中で祀られていたのかもわからなかった神です

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では...いざ!!

 

広く長い参道にはほぼ人が居らず、またこの規模の参道なのに巨木に囲まれているわけではない、どこか不思議な感じがします
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二の鳥居、から先もまだ長い参道!!
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二の鳥居を潛ったすぐ左手に増御子神社

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増御子? と思えば猿田彦大神と天鈿女命夫妻を祀る?!

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なるほど、みちひらきの神として渡御でも先頭に、つまり参拝でも最初にということなのですね

 

夫婦神で祀られるお社にご挨拶させて頂くのはずいぶんと久しぶりな気がします、この二日間の、そしてこちらへのお導きに心から感謝
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おぉ、これまた美しい巳の大絵馬ですね(*´ω`*)
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しかしなぜ増御子なのだろう...? と思っていたのですが調べてみればHPには神武天皇の功臣にして椎根津彦の子孫である市磯長尾市氏命を祀る、と書かれています、、、御子!!

 

氏という一文字が入っているのは斎主を務めたその子孫も併せ祀る祖霊舎的な意味合いなのだろうか、それとも誤植だろうか

 

二の鳥居の写真をご覧いただけばお分かりかと思いますが鳥居から暫く歩いても社殿はさらに先、物凄く縦に長い境内はまるで戦艦大和のようです
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にしても、こういった広い参道では大体左側を歩いていく癖があるのですがなぜかずっと右を歩きたかった(参道出前では左側に人が居たからですが)、そして手水舎に向かおうと思ったのにそちらへ足が進まない、なぜだろう???と森を眺めていると立札がありました

 

星塚...古墳...? 古墳だったのっ?! しかも伝承として媛蹈鞴五十鈴媛命の御陵だと言われている?!Σ(゚д゚;)
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参道で感じていた神社御神域とは何か違う不思議な感覚はこれか!!

 

マジでなんなんでしょう...私には古墳センサーでもあるんかいな

 

ということは村屋神社にも古墳が...? なんてことはさすがに無いでしょうね( ノ∀`)タハー

 

ですが神武天皇の皇后がここに? 調べてみると媛蹈鞴五十鈴媛の実家は狭井神社の脇を流れる小さな狭井川の畔だったという、、、!? とするとつまり狭井神社の御神水はある意味で狭井川の水とも言える?!

 

勿論古墳ですから家などの居住区に埋葬するわけはなく、また当時は天皇の墓から一定の距離をおいて皇后を埋葬していたようなので畝傍山からの距離も不自然ではないし狭井からの距離からしても可能性は十分にありますね

 

大阪八尾と生駒に跨る山間にも媛蹈鞴五十鈴媛の墓であるという伝承があるそうですがさすがにやや遠いかなという気もしますし饒速日や長髄彦の地に埋葬するだろうか?という気もしますがどうなのでしょう、宮内庁による比定古墳は無いようです

 

いやー...びっくらこいた...というわけで手水舎で心身を清めます
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全然人が居ないのですが主殿前に人が見えたので周りから、と右奥へ進んでみると戦艦大和ゆかりの碑、そう、戦艦大和の由来はこの地域の旧国名であり艦内には当社御祭神が祀られていました

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そしてその奥には祖霊舎、大国主神、国津神珍神(椎根津彦命)、市磯長尾市命、大和宿禰長岡命、大和神道御霊之社祖霊、そして戦艦大和第二艦隊戦没英霊等が祀られています
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金の御幣が一層神聖な気持ちを高めます、心を込めて参拝、f:id:hinoki_kaonashi:20250124214215j:image

 

でも祖霊舎に大国主が祀られているのはなぜだ?

 

そしてさらに驚いたことが二つ、まずこの規模の神社で氏子までもが祀られていること、そして凄い氣があると思ったらこちらの社殿は本殿に使われていたものだそうです

 

面白い と言ってはなんですが、こういうところが巡拝をしていてとても興味深いんです、こちらの社殿は見た目で元本殿だとわかるほど規模や装飾が凄いわけでもなく、勿論しっかりとしていますが質素ですから

 

その先(授与所裏)には御神域がありましたが祭祀用でしょうか
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では、主殿へ
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なんと大きいのだろう、とても広く暖かい氣に包まれて、御神威は確実に強いにもかかわらず物凄い心地良さは癒しというよりも安心感に近いような

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拝殿にも素敵な巳の大絵馬がありました
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いやー凄いなー...どういった神様なのかもわからないのにこれほどの安らかさを感じるとは、と暫しぽわーんとしてしまいましたが別の参拝者が来てくれたので漸く動けました(苦笑)

 

でも不思議ですね、渟名城入姫は髪が抜け痩せ細ってしまうほどだったと描かれているほどの、ある意味物凄い神なはずなのに? と、これは後述ですね

 

主殿左手に並ぶ朱幟はお稲荷様かと思ったら高龗神社?!

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なんと渟名城入姫が祀った?!
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その磐座がこちらなんですね、そして雨師
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石柱に宿られる雨師神に祈って磐座へ龍神様に降りていただくのでしょうか

 

参道を進むとすぐに大黒様
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そしてこちらが御社殿、いやこれがまたもの凄い御神氣です
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社殿周りは特に凄く、ここでも次の参拝者が来てくださらなければずーっと立っていたかもしれない、、、w 主殿での安らかさとはまた違って厳密でビシッとした氣なのです

 

そしてこちらから伺える本殿三殿の美しさたるや息を飲みます、奥は千木と鰹木の少ししか見えていませんが手前に御年大神、中央に日本大國魂大神、奥に八千戈大神が祀られていますf:id:hinoki_kaonashi:20250126123613j:image

そして別の参拝者が来てもまだ離れたくなくて少し拝殿の手前に居たのですが細くもとても良い氣を放つ高木を眺めていたら、こちらをじーっと見つめるひとつ目と目が合いました

 

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目ですよね(≧∇≦)

 

いや、ふざけているわけではなくてこの節なのか瘤?なのかよくわからない部分も何か凄いしこの木は一体なんなんだろう、と思ったら榊だってんですから驚きです、こんな大きくなるの?! いやーそりゃ素晴らしい氣を放ってらっしゃって当然ですね
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雨師・磐座の隣には三社の境内社
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右手は朝日神社は朝日豊明姫命を祀り、事代主神社はその名の通り
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そして市杵島姫命を祀る厳島神社です
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この三社に共通して書かれていることから水産、織物、交易の神として祀られているのでしょうか、ただ朝日豊明姫とは? こちらがまた謎の女神で様々な考察がされているようですがこれぞと思えるような説は見当たりませんでした

 

そして最後にこちら、戦艦大和展示室

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多くは大小様々な戦艦大和の模型や戦艦大和を描いた(モチーフにした)奉納絵が展示されています

 

やはり、私はもう 若者 という年齢ではなくなってしまいましたが、我々が生きる今は彼らが生きたかった未来だという言葉がずっしりと重かったです

 

 

いやー...凄かったな、今回の奈良巡拝を締め括るのにもとても相応しい凄い神社でした、ただ調べることがいっぱいだー(>_<)

 

媛蹈鞴五十鈴媛命の墓という伝承がある星宮古墳を眺めつつ駅へ向かいます
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と、すぐの所に神社が、こちらは兵庫町牛頭素戔嗚神社、こちらの周囲には多く牛頭天王信仰が広がっていたようですね
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そして長柄駅に到着!!
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そして乗り換えの奈良駅で...いたーーーっ!! いたーーーーーっ!
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せんとくん、会いたかったんですw  なんか近鉄京都駅に居る写真を見て期待してたら居なくてがっかりしたのでw
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ほんとはねー、時間に追われながらだった春日大社ももう一度行って次は鹿さんともゆっくり触れ合いたいんですけどね(´・ω・`) でも絶対時間無いんだろうなぁ(苦笑)

 

というわけで二日間の奈良巡拝を終えてこの後は京都へ移動、伏見さんへご挨拶をして終えました(初午の記事として先に書きました)

 

この後は名古屋の巡拝、といっても今回はゆっくりしましたので数社ですがそちらの記事になります(*´ω`*)

 

 

さて、、、やりますかっ!!(気合い) と言ってもここまででなんとなく勝手な思い込みが出来てしまっているのですが

 

日本大國魂大神とはどういった神様なのか

 

御由緒においては大地主(おおとこぬし)大神ともされています

 

初出があることから崇神天皇が祀ったとする説も見られますがいつから祀られていたのかは不明、居所にて祀るのがダメなのだと天照大御神と共に宮外で祀らせた

 

天照大御神は笠縫邑で祀られ後に伊勢へ鎮まるがそれまでに御神威によってなんらかの問題が発生したとは書かれていない、一方の倭大國魂大神は渟名城入姫がボロボロになってしまう

 

やがて大物主神の霊夢により市磯長尾市を斎主としたことで漸く鎮まった、この市磯長尾市は倭国造の祖と書かれており、他にも直系子孫でなければ祀れないという例が多いことからも日本大國魂大神が倭国造の祖だと思われ、その事からも大和地主神だとされいます

 

はて、大和の地主神とは? 大きく言ってしまえば土地の神ですが直系(と考察出来る)子孫が存在するからには所謂八十萬神ではなく特定の神が存在すると思われます、それが誰なのか

 

最も考えやすいのが大國魂大神とも呼ばれる大国主、つまりオオナムチでありその可能性も高いと思ったのですが祖霊舎に祀られていることからもそれは無さそうな気がする

 

では大物主が霊夢に出ていることから大物主なのか、といえばそれはそもそも三輪山に祀られていたわけですからそんなはずもない

 

では、大物主が霊夢を見せたというのであれば大物主もまた地主神の直系子孫なのではなかろうか? とすれば思いつくのは唯一人ではないでしょうか

 

 

改めて言っておきます、なんの根拠もない勝手な推論です!!

 

 

まず、大和の地主神となれば大和を治めた神と考えてしまうのが間違いではなかろうか、例えば各地の地主神はその地で生まれ育ったり直接治めたわけではなくても祀られている場合がある、それは開拓した祖神ですよね

 

長髄彦だったら都市伝説として非常に面白いですがそんなはずもなく、饒速日も宮中で祀られるにはちょっと違う、だってその後には大きな開きがあるものの天照大御神と同等の扱いをされているわけですから

 

つまり、天照大御神に並ぶほどの存在であって大和を治めた神の祖神だからこそ宮中で祀られていたと考えるのが自然でしょう

 

ではその神の名は

 

素戔嗚大神!!!(しつこいですが勝手な推論です)

 

大国主も大和に居たかもしれない、やがて息子に任せて出雲へと帰っていった、となれば大物主が祀る祖神は? 素戔嗚尊です

 

ただ、ホツマの説でも大物主が賜った地が滋賀だと言われていたりしますが少なくとも隠れられたのは三輪山ですから特に無縁だった土地だとも思えません

 

素戔嗚であれば天照と共に祀られていて不思議はない、皇祖神ですから子孫に当たる皇女が祀るのが相応しい、ですが兄弟とはいえ一度追放されてから戻った身である素戔嗚はそれこそ出雲族とか国津神と言われる別系統とも言える、その祭祀を皇孫が行うことはやはり許されることではない

 

粗暴だった素戔嗚だからこそ、皇女は髪抜け痩せこけるような祟りを起こしたと伝えられたのではないだろうか

 

勿論、大和神社の近くにやたら素戔嗚を祀る神社があった事も少しは考慮しましたが、それは後の牛頭天王信仰があったからであって地域として流行れば多く祀られますのでそれはそれと除外したとして考えました

 

まぁ全然見当違いかもしれませんが(というかその可能性の方が高いw)、もし倭大國魂が素戔嗚だった場合、その息子が大国主、つまり大國魂であることからその上の存在としての敬称だったとも考えられます

 

が、ホツマツタヱにおいては三種の神器である八重垣剣がオオクニタマ神霊として宮外で祀られたと書かれている...剣?! となればそれは石上神宮の方が相応しい気がしますが祀られたのは大和神社だという推察の方が多い

 

日本大國魂大神の御神体は剣だった?! その場合、後に大和神社から日本武尊へ下賜されて熱田へと移ったことになるのですがそのホツマではヤエガキとムラクモは別の剣として書かれているので、、、あれ? そうなっちゃうと実際の三種の神器は大和のヤエガキで熱田のクサナギ(ムラクモ)は...違う?!

 

まぁこれ以上先をガンガン創作していっても意味が無いのでここで留めておきますが大和神社の御神体は三座とも1118年の火災によって焼失し新たに造られたそうです

 

一般的には地主神として大和を守る神とされていますので、そこから考えれば平城京遷都の710年以降に祀らるようになったか、または比較的近い飛鳥京、藤原京辺りから既に祀られていたのかという感じでしょうか

 

まだまだ続きます、実は当初主祭神だけが祀られていたと考えられていてふた柱は延喜式成立前あたりに祀られたのではないかという説があるようです、また八千戈大神ですか名前からオオナムチを想像してしまいますよね、公式ではそうだという説を掲載しており御年大神は異母兄弟という説があります、いずれにしてもその一族ということになる

 

ちなみに境外末社である大和若宮神社の御祭神は大國魂大神の母 伊怒比売 だとされていたようですが現在は本社と同じ三神が祀られているという、、、若宮で若の母君、となればやはり主神は素戔嗚ということに???

 

さぁ良い具合に混乱してきましたね!!

 

当初一座だったというのはその通りでしょう、宮中において祀るには祖神ひと柱以外も祀るとは考えづらい、よって後に相応しい神々が合祀されたと考えるのが自然です

 

選ばれた大国主は勿論のこと、御年大神は葛木御歳神社の主祭神でもありましてなかなか関係性が分かりやすくなって来ます

 

ただ、元も子もない事を言ってしまえば、本来違う意味の神だったのが宮中から出た事で大国主や大国主の祖という混同を受けてそういった祭祀に移り変わったという可能性も排除出来ません、ということだけは付け足しておきたいと思います

 

他に見掛けた説では火明命だというものもありました

 

オシホミミとチヂヒメの子でニニギの兄とされており妻は村屋にも祀られていた御炊屋姫、アスカを治めていたとされており地理的にもピッタリではあります、とこれはなかなか難しい話です

 

ホツマではオシホミミの後継者として斑鳩に降り立ったがすぐに遷宮しようとして大物主が不吉(というかそれはアカン)と諌めるも聞き入れられず飛鳥宮へ遷る決定をしてしまったので諫言の責任を感じて隠棲した、言い換えれば ダメだコイツ と帰ってしまったということになっている、つまりルールや周囲への影響、予算など気にしない駄々っ子に君主なんか務まるかいや、というタイプだったようです

 

ニギハヤヒと混同されますがこれもまた役職名によるものと思われ、長髄彦の娘 御炊屋姫を后として後に神武天皇と戦うのはニニギの孫であるニギハヤヒとされています、やはり拠点が白庭山なので飛鳥(大和)地域を治めるニギハヤヒという職があったということかもしれません

 

で、天皇から見た祖先としてはどちらのニギハヤヒにしても確かにこの地域を治めては居たけれどわざわざ単独で皇居に祀るほどの祖霊だったのかといえばとてもそうは思えない、恭順を示した後もこの地域を治めていたとはいえそれでも地神として皇祖神天照と共に祀り共に恐れて宮外へ出す程の御神威があっただろうか

 

しかも諸説ありますがニギハヤヒが治めた地域はそれほど広くはなく、それこそ生駒山麓周辺から白庭台辺りだけだったとされていますから大和の地主神とするには無理があるのです(史跡はふたりのニギハヤヒ関連が混ざっているかもしれない)

 

というわけで私的にはやっぱり素盞嗚説を推したいところですが、さてでは似たような考察をしてらっしゃる人が...? ポチポチポチ...全然居ねぇ!\(^o^)/   まぁつまり誰もそんな事を思わねぇよっていう突拍子もない考えだってことですね(爆笑)

 

えぇえぇ、良いんです、既に確立されている筋に無理もない説があるならば話は違いますが、学者さんや歴史家、考察屋さん誰もがまだ核心に辿り着いていないのであればそれこそ僅かな可能性だって考えても良いと思うのです、私、タダの素人ですしね←開き直る

 

その ド素人 としてついでに記しておくと、社殿前で感じたあの感覚、御神威・威厳よりも強く温かい慈愛に満ちた優しさ、正しく最強の父性と言っても良いような、、、を過去の巡拝で同じように感じた事があったのか?と思い返してみたのですが、、、無いんですよ!*o_ _)oバタッ

 

スサノオさんだ!論をここまで展開しておいて過去に参拝したいかにもスサノオさんらしいという感覚とも違ったんですよね(爆笑)  アタマよりもカンを信じるならば、スサノオ

 

 

最後に朝日豊明姫について少しだけ

 

調べてみると桜井市の東大谷山に祀られており社名は日女命神社で社記では稚姫命(稚日女)だと書かれているという説もあれば媛蹈鞴五十鈴媛命だという説もあるし天照大御神だという説もある

 

つまりよく分かっていない女神です

 

稚日女尊とすればホツマではヒルコということになり、不浄日に身篭った(産んだ)子として禊(船に乗せて川に流す)をした後にしっかりと育てられサホコを治めるなど天照の補佐として活躍しており確かに産業の神として祀られていても不思議はありません

 

が、やはり稚日女尊と同定されるのであれば、というに留まりますね

 

 

ー 追記 ー

 

この記事を書き終えて半月の後、巡拝記事の全てを書き終えてホツマ解読を再開させたわけですが、徐々に読み解き方のコツを思い出し進めていたところで日本大國魂大神について書かれている事に気が付きました

 

ホツマによれば、やはり日本大國魂大神はクシヒコ、つまり大物主である可能性が高い

 

でもなぜ近くに大神神社があるのに?という話ですが、三輪山はクシヒコの陵墓(洞に入った)でありその山を御神体として祀ったもの、その御神霊をアマテルと共に宮内に祀っていたのが遷って大和神社になったという解釈が出来ます

 

まぁホツマが真実かどうかはわかりませんが、一説としてはとても大きな繋がりが見えました、そのホツマツタヱ23アヤの読み解きは既に書き終えていますので順を追ってアップします(*´ω`*)

 

大和お散拝 ~笠神社と素盞嗚神社~

 

 

どうも、ひのきですm(*_ _)m

 

今回の大巡拝唯一のお散拝回、お散歩と参拝を掛け合わせた お散拝 はこれまでの怒涛のような記事から少し休憩しましてゆるゆると綴ってまいります(*´ω`*)

 

 

村屋坐彌富都比賣神社を後にした私ですが次の目的地までは徒歩1時間ですw
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次の目的地までは徒歩1時間(*≧艸≦)

 

いやー、もうね、ほんと、バスとか一旦三輪というか巻向とか柳本とかの最寄り駅に...も考えたのですがそれでも徒歩40分w

 

我ながら笑うしかないルートですが、どうしても村屋神社を参拝したかったんです、なぜって? わかりませんが、出来るだけ大物主様に縁のある神社を巡りたかったんですね(*´ω`*)

 

さて、相も変わらず予定より1時間押しのまま、つまり元の見込みがかなり正確だったということですね(*´ω`*)

 

自画自賛スタイルですが、この積み重ねが私の巡拝を支えております

 

よし、ナビで1時間もあるならばサクサク歩けば10分、上手く行けば15分は短縮出来るはず!!

 

というわけで歩き始めた矢先、ポツンと祀られたお社、手前の木がとっても素晴らしいですね
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こちらから礼をして先へ...ん? 違うな、ご挨拶した方が良いっぽい、勘には素直に従う主義←但したまに間違える

 

看板があって助かる!! と見てみれば須佐之男神社!! 素晴らしい巨木は樹齢400年程の栴檀という木なんですね
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最古の記録は1722年の牛頭天王社とのことですが恐らく習合されたのがその頃であってそれ以前に素戔嗚尊が祀られていたのではないでしょうか、もしその頃が創建であればそれも一緒に記録されるでしょうからね

 

創建不明由緒不明ではありながらもこの木が歴史を見ていたはずで氏子が祖先の祀った社を守っている事を幸いと書くこの案内板のセンスはとても素晴らしいと思います

 

というわけで田原本町須佐之男神社です
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周囲の環境のままにとっても穏やかでありつつもやはり玉垣の内はぴりりと引き締まり、御社殿は二社!? ← 実は案内板の年表を飛ばして読んでたw

 

どちらがどちらかはわかりませんがもう一社は天児屋根命を祀る春日社なんですね

 

いやー、とても良い御神氣で特にやっぱり栴檀が周りを包み込む氣は格別、しっかりと木の命が境内と周りの土地を守っている、そんな気がします(*´ω`*)

 

うん、参拝して思いました、やっぱりこちらは牛頭天王社としてその頃に祀られたんじゃないかって気がする!(根拠は無い)

 

 

よし!! 歩くぞぉぉお!!

 

時刻は13時、というわけで前日に続いてまた歩き飯でございますw

 

じゃん!!  わさび葉寿司!!
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橿原神宮前駅で買っておいたのです、実は昨年もこちらを頂いてとても美味しかったので事前に決めていました

 

歩きながらの米は辛いと前日で知っていたけれどやっぱりこれが食べたかったんです(≧∇≦)  柿の葉寿司と迷いますけどわさび葉寿司って物産店とかでもあんまり見書けないですからね(*´ω`*)

 

腹拵えも済み(ふたつ食べてひとつは後にした)、ゆっくりだった歩速を元に戻してガシガシと歩いていく、、、とちょっと面白い雲が流れてきたな~と一枚パチリ
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薄雲は広がっているけれどそれが逆に太陽を少しだけ弱めてくれていて風もほぼ無く、まるで年末とは思えないほどの好日を楽しんで歩いているといつの間にやら磯城郡から天理市へ入っておりました

 

消えていた暈がまた出て来た(*´ω`*) しかもちょぴっとだけ、ほんのちょぴっとだけ幻日も出てくれてる!!
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と思ったら再び神社発見!!
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川沿いは裏参道?で道沿いの参道向きに社号標がありました、笠神社
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どういった神社なんだろう、わからないけれど物凄く涼やかな氣が流れている、なんだろうこの気持ちよさは
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川と道の三角地が境内になっていて思ったよりも広い、御社殿は覆屋で内部にお社が祀られています
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とーっても有難い、御祭神 少彦名命 と書いてくださっていました、だからちょっと疲れが出始めた心身が癒される気がしたんだ!!(さすがにこれは思い込みw)
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こういった氏神様はその地域で受け継がれ守られていくのでこうした神名表示とか由緒板などは必要無いのではないか、なんて思ってしまいますが時代の流れか、しっかり書いておかなければ忘れられていってしまうんだろうなぁ

 

私も子供の頃いつも氏神様の境内で遊んで居てお祭りも楽しんでいましたが当然ながら白山神社ということはしっかり認識しながらも御祭神が菊理媛様だとはこうして巡拝を始めるまでは意識していませんでしたし(´・ω・`)

 

 

いよし!! あと半分!!!

 

あっるっこぉ~っ! ┏(  ˙꒳​˙ )┛ あっるっこぉ~っ!

 

ぅわたっしぅわぁ~! ┏(  ˙꒳​˙ )┛ げぇ~んきぃ~ぃい!!

 

 

っと、、、よし、曲がる!

 

目的地はあちらです!!  ...思っていたよりも広そうだ
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近付いていくと、、、木々の隙間から鳥居が見える!!
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そう、じつはこちら、ルート作成の時に素盞嗚神社と地図に出ていてご挨拶しようと思ってはいたのですがよく考えたら境内社なんじゃないか、とナビ通りに正面参道へ回り込もうかと思っていたのです

 

が、その手前で こっち行った方がいいんじゃないか って思ったんですよね、境内社じゃなくて境外社だった!!

 

鳥居が隠れるほどの鬱蒼とした森、ですがここから見てもすぐ分かりますよね、確かに氣が濃密で凄いのですが素晴らしい氣ですしこれだけ囲まれた森なのに見える範囲に目立つ枝葉が落ちていない、どれだけ大切に守られているかということですよ
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これはこちらに来ていなればきっとそのまま駅へ向かってしまっていただろう、来て良かった!!とまだ参拝前なのに確信しました

 

境内がこちら、境内周囲にベンチが並んでいる、さらに落ちてる枝葉がなんか不思議だと思ったら雨とかのせいなのですかね? どこか鱗模様のようになってる?!

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さすがにこれはもう見た目からのイメージを拭いきれませんが、とにかく周囲から隔離された境内ですが神秘さに満ちていて凄い

 

それではご挨さ.........呼ばれる、凄い引っ張られる、のは左手
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そちらには石碑が
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金止乎? ことお? ことよ? ことよ...こと...平!! ことひら!!

 

こちらでも大物主さまぁぁぁぁぁぁぁあ Σ(゚ω゚ノ)ノ

 

当初から何故かこちらの素盞嗚様にご挨拶しなければと思い、境内社だと思って(地図状では外側ですがそこまでしっかり見ていなかった)ルートを変えたのに直前で行かなきゃと思い、そしていざご挨拶と言う時に先に引っ張られたのが大物主様

 

つまりそういうことですよ、うん

 

この地域であって特に金刀比羅信仰の拡まりもありますから大物主様にお会いする可能性が高いのは勿論ですが、ほんとしつこいながらも昨年夏以降からの大物主様率がとんでもないことになっている

 

でもね、ひとつだけ思っていることがあります、ちょっと確信に近い

 

なんだこれは???と謎の集中的なお呼ばれを連発を経て稲荷講に加盟したらそれまでが嘘のようにピタリと止まった(御神威はちゃんとあります!)お稲荷様の実例がある

 

つまり、ひのきも歩けば稲荷に当たる時期よりも短期間に濃縮された大物主参りを経て大神・狭井さんの神札を我が家へお迎えしたことで一連の激流が落ち着くのではないだろうか

 

あ、もしかしたら...この流れからこんぴらさん?! でもそれこそ、行こう行こうと思いながら機を逸し続けて今に至るわけで、「だから行かなきゃ」ではなく「行かねばならぬ」になるまでは待つつもりですが強引にでも引っ張って頂ければそれほど嬉しいことはありません

 

なーんて書いてしまうとそうならず、ずるずる...といってしまう可能性もありますが( ̄▽ ̄;)  っと脱線しました

 

こちらが素盞嗚神社御社殿、とても厳かで素盞嗚らしいといいますが覇気を感じますね、これは凄い
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しっかりとご挨拶をし、お賽銭を入れようとした時...?!
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こちらは一体...?  一願、と書かれていますが石はとても不思議な、それでいてとてもとても魅力的なお姿をしてらっしゃる、よく見ればひとつ目と口に見えるような見えないような
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一願といえば一言主が思いつきますがどうなのでしょう

 

右手には境内社、こちらについては不明です
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いやー、凄い氣だったなぁ、とダメ元で調べてみましたらしっかりと調べてくださっている方がいらっしゃいました!!

 

こちらは現在隣接している大和神社の境内社で坤の鎮守だったそうで元はもっと西南に祀られていたのだそうです、そりゃもの凄い御神威なわけですよ!!

 

城の鎮守などであればそのまま残されることもありますが社地が縮小された場合は境内に遷されるのが多いかもしれませんがそのまま住民が受け継いだということなのでしょう、野神祭り保存会があったりするようなので地域の方々にとっては長く守ってくださる大切な氏神様ですね(*´ω`*)

 

 

大物主様もいらっしゃったし、何より素盞嗚様の覇気によってまたしても疲れが消えておりとても清々しい想いで先へ進むことが出来ました

 

ほんとちょこちょこ書いていますが今旅は今までに無いほど疲れを蓄積することなくその都度その都度消えていった、今までこれほどの事はありませんでした

 

さて、次の記事は二日間に及ぶ奈良大巡拝の大トリとなります

 

大和神社でございます!!

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