話半分

なんでも話半分で聞いてください

オタクとサブカルの話 1989年のこと

オタクがサブカルの人を嫌いな理由は「軽薄だから」で、
サブカルの人がオタクの人を嫌いな理由は
「すげーって尊敬するけどダサいから」
だよね。


オタクからサブカルへ

宮崎勤事件(1989年夏)の後、オタクへの風当たりが強くなったので
わたしはオタクぽさを封印してサブカル派に転じた。

それまでは前も書いたけど*1アニメを見て萌えたり、超ナマモノBLを書いてたりしたんだけど、
ちょうど高校入学で世界がちょっと変わったのもあって、
読む雑誌は月刊OUT(宮崎勤の部屋にあったやつ)からOLIVEとCUTiEへ、
聴く音楽はTM NETWORKとKANから有頂天へ(えー?)。

プラスチックスとか震えながら聴いてたんだけど、それはそれでなんかずれてる気もするけど、
ちょうどイカ天とかやってたからね。ずれる方向としては合ってる。

同じ年にフリッパーズ・ギターもデビューして、どっちも聴いてるっていう人、
いっぱいいたと思う。

レベルアップとかじゃなくて移動

あくまでわたしの場合だけど、
オタクからサブカルへは、レベルアップしたんじゃなくて、
サブからサブへ移動したんだと、思う。
クラスの変人枠なのは変わらない。

クラスの目立つグループからしたら、区別つかなかったと思う。
「あの地味なグループの、誰だっけ」みたいな感じで。
当時は「サブカル」っていう言葉は無かったので
(あったとしてもオタク対サブカルみたいな感じじゃなかった)
一般的じゃない感じ、ということで一括りにされていたと思う。


宮崎勤のことを考えると胸が痛かったから、
そうじゃない方向に行きたかった。
自分が、というのもあるし、
いわゆるロリコンのおじさんも知り合いにいたから、
想像がつきすぎたのもある。


オタクとサブカルの間で

オタクの友だちは、わたしを「薄い!」っていって排除したし、
サブカルの友だちは、オシャレすぎてついていけなかった。
MILKとか大好きだったけど、買いに行く服がないよって感じだった。


オシャレなサブカルの人にはたぶん「オタク」寄りだと思われてたと思うし、
オタクの人に対しては、ずっとずっと
自分の知識が薄いことを、いつも恥じていて、勉強しなくちゃって焦っていた。

それは今でも変わらなくて、サブカルの方に来てしまった人はきっとずっと悩むのかなとも思う。
もうオタクの人には絶対敵わないし、嫌われてもしょうがないなって思う。

うーん、なんかうまくまとまらないけど、
洗濯機が呼んでいるのでこのままアップします。

年代が違うとまた違うんだろうなー。


したっけねー( ´ ▽ ` )ノ



NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

NHK ニッポン戦後サブカルチャー史

*1:今読み返すと自分語りすぎで反省する。今回も同じだけどね…