その夜、彼女は静かに幕を下ろした




「今、好きな人がいて、付き合おうとしてるんだ」と話していた同い年の彼女は、
半年ぶりに飲んだ夜に「彼氏と別れたんだ」と告白してきた。
「細かく言えば付き合ってはいなかったんだけどね」と笑いながら。


そして、今回うまくいかなかったことではっきりと思ったという。
「私は恋愛に向いていない」と。同時に、
「もう、こういうことはしない」と決心したと。
「こういうこと」とは恋愛のことで、
30歳間近の彼女にすれば、結婚をしないということにもなる。




そのセリフは、恋が終わった人の常套句かもしれないけど、
この数年悩んで試行錯誤を繰り返してきた彼女にとっては、人生を決断する重い意味を持つ。
今回の相手は賭けだった。賭けというより、今まで成長してきた自分にとっての集大成だった。


彼女の理想は「一緒にいて落ち着く人」だ。だから、そういう人と付き合う。
けれど、一緒にいるうちに少しずつ違和感が出てきてしまう。
落ち着くときより、落ち着かないときが増え、いずれうまくいかなくなってしまう。


昔、彼女はそれを相手のせいにしていた。
そして「自分に合う人がいない」と、愚痴っていた。
だが、歳を重ね、現実と向き合ううちに、少しずつ自分側の態度を振り返るようになり、
相手だけでなく、自分にも落ち度があることに気づき出す。


最近では、相手にうまく合わせられない自分によく落ち込んでいた。
いい人だとわかるのに、自分が不器用すぎて、その人に合わせられないんだという。
「たぶんね、自分の奥底にさ、頑固だとか、子どもっぽいとか、そういうのがあるのよね、きっと。
 それが、その人といて安心するようになると、徐々に出てきてしまうんだと思う」




彼女はこの数年間、自分の性格を直そうとしていた。
性格というよりは価値観や考え方を変えようとしていた。
以前よりも、「奥底の私」はより、奥底に行っていたし、
以前よりも、他人とうまくかかわれたり、相手のことを考えられるようになっていた。
それは、これまで見ていた自分も驚かされたことで、人は変われるのだと、よく思っていた。


それでもなお、彼女はうまく恋愛することができなかった。
うまくいかなかったという結果には、いろんな要素があったと思う。
相変わらず性格が悪かったかもしれない。
見た目がよくなかったかもしれない。




でもね、思うんだよ。
性格なんて、良い悪いじゃなくて、合うか合わないかじゃない?
見た目だって、美人がいいという人もいれば、美人じゃ落ち着かないからイヤだという人もいる。
やっぱり、合うか合わないかだと思うんですよ。


今の彼女に合う男なら、きっと日本中にたくさんいると思う。
でも、彼女は「会えなくて」、「巡り会えなかった」。
会えないなりに、自分が会える人とうまくいかせるよう、自分を変えてきたが、それも、うまく噛み合うことはなかった。
八方ふさがりのあまり、途方に暮れてしまう気持ちは聞いてて痛かった。
どうあがいてもうまくいかない、「もどかしさ」が苦しかった。




彼女には夢があり、海外で働くという夢があり、
そこに踏み出すなら、もう時間が残り少ないのだという。
そして働くなら、一生懸命仕事に打ち込みたいと言っていた。
だから、この恋は最後のチャンスだったのだ。
本当は恋愛に生きたくて、そして私には恋愛と仕事を両立する器用さはないのよと苦笑いする、彼女の賭けだった。


「やー、ベタベタだけどさ。小さいときから結婚式とか、ウェディングドレスとか憧れだったんだよ。
 好きな人と結婚して、子ども生んで、家族で近くの公園に行ったりして。
 全然大したことなくていい。そういうの。そういうのに憧れてたわけですよ」





「そして、いつかはちゃんとそうなるんだと思ってたんだけどさ、
 歳を取るにつれ、あれ、あれってなって。
 今ではもう…、わからない。わかんないねぇ。私の何が悪かったのか。
 考え方とか、もっと男ウケするようにすればよかったのか。
 自分から積極的に行けばよかったのか、それとも控えめな方がよかったのか、
 いっそ、お見合いをしてれば、実はもっといい出会いがあったんじゃないかとか」


そう言われても自分もよくわからない。
運が悪かった、としか言いようがない。努力してなかった人ではなかったから。
強いて言うなら「好きな人と結婚したい」という思いが強かった気がする。
でも、それは責められることではない。


もっとわがままでもよかったのかもしれない。
昔のままの彼女の方が、もしかしたらうまくいったのかもしれない。
思いやろうなんて無理に思わず、自由気ままな彼女で良かったのかもしれない。
今となっては、結果論でしかないけれど。




しばらく泣いて、ごまかすように照れ笑いをして、
彼女は「恋をする自分」のやめた。
初恋は中学3年と言っていたから、15年間だ。
15年前、初めて恋をした彼女は、こんな結末を想像していなかっただろうにと、ふと思った。


他の人からすれば「30なんてまだこれからだよ」ということもあるし、
自分から決めつけてチャンスを失うこともないと言われるかもしれない。
あるいは、彼女が何遍と言われてきた「理想が高い」「妥協も必要」と、まだ、なお、言われるかもしれない。
「そう言われてしまえば、そうとしか言えないよね」と彼女は言う。
「もうねー、よくわからない(笑) わからなかった。なんだかもう、わからなかったな…」と小さく横に首を振っていた。




人が何かを諦める場面に立ち会うことがあるけれど、
最近はこういう話を聞くようにもなってきた。
一方で、結婚した人も自分の周りでは増えてきた。
何人かには子どもがいたりする。


でも、結婚している人たちのところには、こういう独り身の話はいかないんじゃないだろうか。
多少の負い目がある人だったら、話したくても、こんなことは打ち明けられない。
だから、結婚をした人たちは、
こういう、やるせない決断の話を見たことがないんじゃないかと思ったりする。


自分は結婚をしていないから、家族がいる楽しさや大変さは知らない。
逆に家庭を持つ彼らは、目の前の彼女が泣いた悲しみを、心底わかってあげることはできないだろう。




わからないでいてほしい、と思う。
人生は常に分かれ道で、自分が進まなかった道の話は、わかるはずがないのだから。