2013年 03月 19日
ヨーロッパで高まる戦争の予感?その2 |
今日のイギリス南部は朝まで雨が降り続いておりましたが、昼近くになってから少し晴れ間が。相変わらず寒いですが。
さて、昨日の記事の要約のつづきです。ここ数日のキプロスの話とからめると、この辺りの話は興味深いところですね。
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●ここ数年の間に、メルケルが楽しんでいたフランスの右派のニコラス・サルコジとの親密な関係は、莫大な公共事業に投資のによる経済復活を公約して政権についた社会主義者のフランソワ・オランドの登場によって消滅した。したがって、独仏間にはイデオロギー面での深い対立があるといえる。
●ナチスの制服を着ているアンゲラ・メルケル首相の人形が燃やされるギリシャの苦悩はよく報じられているが、ポルトガルも同じく厳しい状況にある。2011年の780億ユーロの救済措置の後にポルトガル国民は国からの福祉援助資金をカットされ税金が上がっており、いくつかの祝日がなくなったほどだ。
●スペインでは失業率が25%に上昇して街角では暴動が起こり、反ドイツ感情が盛り上がっている。昨年メルケル首相がマドリード訪問を終える時には数百人がプロテストに参加しており「メルケルはとっとと帰れ!」「ドイツのヨーロッパにノーをつきつけろ!」という横断幕がかかげられている。
●プロテストに参加したあるスペインの経済学者は、「ドイツの金融マフィアがスペイン人を人質状態にしているです・・・メルケルは政治的にドイツの少数支配層に属しているんですよ」と述べている。
●イタリアでも同じような怒りが大規模なプロテストとなって起こっており、右派の新聞であるイル・ジオルナーレ紙は、見出し写真でメルケルの顔の下に「第四帝国」と書いている。
●官僚出身でEUからの緊縮財政案を飲もうとしているマリオ・モンティ首相の党は、最近の統一選挙でたった9%の票しかとれていない。その代わりに注目を浴びたのは、コメディアンであるベッペ・グリッロ氏に率いられた反エスタブリッシュメントの党であるが、彼も連立政権を成立させるキングメーカーだとはみられていない。
●終わりの見えない政治危機のおかげで、ドイツはヨーロッパの「救済者」ではなく、「抑圧者」だとみられるようになっているのだ。
●もちろん1913年に戻って考えてみれば、ヴィルヘルム二世皇帝のドイツ帝国はいまよりもかなりあからさまな軍事的な野心を持っていた。つい最近統一した自国は、アフリカやアジアで植民地闘争のチャンスを逃しており、彼はイギリスとの高価な軍拡競争を開始し、これは数々の巨艦の建造に象徴されるようになる。
●その当時の多くの人々も、戦争が起こることを警告していた。すでに1906年の時点でデイリーメイル紙(まだ創刊して10年しかたっていなかった)はドイツがイギリス南部を侵攻するのは避けられないと予測して、後に大ベストセラーとなったウィリアム・ル=キューの小説を連載している。
●すでに世界の展望を見越すことができた人々は、女性の参政権や蓄音機や自転車の普及、それに有名人のゴシップなどの国内的な議論の背後に忍びよる世界が、きわめて危険な新しい時代に突入していることを感じていたのだ。
●ヨーロッパの端ではオスマン帝国が崩壊しており、いままでヨーロッパ大陸を平和的に保っていた同盟関係を不安定化させていた。1912年の第一次バルカン戦争では、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、そしてモンテネグロがオスマン帝国に勝ち、バルカン半島を自分たちで分割していたのだ。
●1913年6月にはこの戦争の勝者たちが内紛をはじめ、ブルガリアが他の勝者たちとマケドニアをめぐって領土争いをはじめている。
●そしてその百年後の現在も、この紛争は民族紛争と不満が潜在的なヨーロッパの人々に破壊的な暴力をもたらすことを教えているのだ。
●もちろん表面的には、現在の状況はまったく異なるものだ。ドイツ首相のアンゲラ.メルケルはユーロの存在そのものがヨーロッパを戦争に突入させない保証になっていると宣言してきた。彼女によれば、このような手段こそが唯一「ヨーロッパの今後の半世紀の平和」を確実にすることができるというのだ。
●ところが実際のところは、ポルトガル、ギリシャ、フランス、イタリア、そしてドイツのように、それぞれ全く異なる種類の国家の経済を結びつけてしまうことは、古い敵愾心を燃え上がらせてしまうだけなのだ。
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●そしてもしユーロという壮大なプロジェクトを継続させることが、貧乏な国にさらに貧困になることを宣言し、地中海地域の国々の経済を崩壊させ、ネオナチがアテネの町を練り歩き、ベルリンとブリュッセルに不満をつのらせるという意味になるとすれば、「暴力はヨーロッパに絶対に復活しない」と予測するのは非常に困難になるのだ。
●それでは戦争はふたたびヨーロッパの各都市に忍び寄ることになるのだろうか?
●あいにくだが、歴史から単純な教訓を得ることはとても難しい。1913年の時点で、人類史上最悪の戦争がすぐ迫っていると考えるイギリスは少なかった。われわれのほとんどと同じように、彼らは平和と繁栄しか知らなかったのであり、「黄金の時代」が永遠につづくと想定していたのだ。
●国外でも嵐が迫っている考えている人々は少なかった。ヨーロッパはまったく知らずに崖のふちで踊りを踊っていたのだ。
●われわれも派手な暮らしを送り、昔の人々が考えられなかったほどの気楽な生活を享受している。もし1913年の話が一つの教訓を教えてくれるとすれば、それは現在のように財政的に厳しい時代でもわれわれが与えられた状況にはありがたく感謝すべきであるということだろう。
●われわれはよく「すべてはよい方向に向かう」と考えがちであるが、百年前の状況が悲劇的かつ破壊的に教えてくれたことは、それが非常い悪い方向に向かうこともあるということだ。
=====
厳しいEUとヨーロッパ全域における未来予測ですが、百年前の事態から本当に「歴史の教訓」が得られるのかというのはたしかに難しいところ。
シーパワー論者のジェフリー・ティルがどこかに書いていましたが、歴史というのは「教訓」や「答え」ではなく、むしろよい質問を考えるために有用なものだ、というのが本当のところなのかもしれません。
(Spegel Onlineより)
さて、昨日の記事の要約のつづきです。ここ数日のキプロスの話とからめると、この辺りの話は興味深いところですね。
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●ここ数年の間に、メルケルが楽しんでいたフランスの右派のニコラス・サルコジとの親密な関係は、莫大な公共事業に投資のによる経済復活を公約して政権についた社会主義者のフランソワ・オランドの登場によって消滅した。したがって、独仏間にはイデオロギー面での深い対立があるといえる。
●ナチスの制服を着ているアンゲラ・メルケル首相の人形が燃やされるギリシャの苦悩はよく報じられているが、ポルトガルも同じく厳しい状況にある。2011年の780億ユーロの救済措置の後にポルトガル国民は国からの福祉援助資金をカットされ税金が上がっており、いくつかの祝日がなくなったほどだ。
●スペインでは失業率が25%に上昇して街角では暴動が起こり、反ドイツ感情が盛り上がっている。昨年メルケル首相がマドリード訪問を終える時には数百人がプロテストに参加しており「メルケルはとっとと帰れ!」「ドイツのヨーロッパにノーをつきつけろ!」という横断幕がかかげられている。
●プロテストに参加したあるスペインの経済学者は、「ドイツの金融マフィアがスペイン人を人質状態にしているです・・・メルケルは政治的にドイツの少数支配層に属しているんですよ」と述べている。
●イタリアでも同じような怒りが大規模なプロテストとなって起こっており、右派の新聞であるイル・ジオルナーレ紙は、見出し写真でメルケルの顔の下に「第四帝国」と書いている。
●官僚出身でEUからの緊縮財政案を飲もうとしているマリオ・モンティ首相の党は、最近の統一選挙でたった9%の票しかとれていない。その代わりに注目を浴びたのは、コメディアンであるベッペ・グリッロ氏に率いられた反エスタブリッシュメントの党であるが、彼も連立政権を成立させるキングメーカーだとはみられていない。
●終わりの見えない政治危機のおかげで、ドイツはヨーロッパの「救済者」ではなく、「抑圧者」だとみられるようになっているのだ。
●もちろん1913年に戻って考えてみれば、ヴィルヘルム二世皇帝のドイツ帝国はいまよりもかなりあからさまな軍事的な野心を持っていた。つい最近統一した自国は、アフリカやアジアで植民地闘争のチャンスを逃しており、彼はイギリスとの高価な軍拡競争を開始し、これは数々の巨艦の建造に象徴されるようになる。
●その当時の多くの人々も、戦争が起こることを警告していた。すでに1906年の時点でデイリーメイル紙(まだ創刊して10年しかたっていなかった)はドイツがイギリス南部を侵攻するのは避けられないと予測して、後に大ベストセラーとなったウィリアム・ル=キューの小説を連載している。
●すでに世界の展望を見越すことができた人々は、女性の参政権や蓄音機や自転車の普及、それに有名人のゴシップなどの国内的な議論の背後に忍びよる世界が、きわめて危険な新しい時代に突入していることを感じていたのだ。
●ヨーロッパの端ではオスマン帝国が崩壊しており、いままでヨーロッパ大陸を平和的に保っていた同盟関係を不安定化させていた。1912年の第一次バルカン戦争では、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、そしてモンテネグロがオスマン帝国に勝ち、バルカン半島を自分たちで分割していたのだ。
●1913年6月にはこの戦争の勝者たちが内紛をはじめ、ブルガリアが他の勝者たちとマケドニアをめぐって領土争いをはじめている。
●そしてその百年後の現在も、この紛争は民族紛争と不満が潜在的なヨーロッパの人々に破壊的な暴力をもたらすことを教えているのだ。
●もちろん表面的には、現在の状況はまったく異なるものだ。ドイツ首相のアンゲラ.メルケルはユーロの存在そのものがヨーロッパを戦争に突入させない保証になっていると宣言してきた。彼女によれば、このような手段こそが唯一「ヨーロッパの今後の半世紀の平和」を確実にすることができるというのだ。
●ところが実際のところは、ポルトガル、ギリシャ、フランス、イタリア、そしてドイツのように、それぞれ全く異なる種類の国家の経済を結びつけてしまうことは、古い敵愾心を燃え上がらせてしまうだけなのだ。
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●そしてもしユーロという壮大なプロジェクトを継続させることが、貧乏な国にさらに貧困になることを宣言し、地中海地域の国々の経済を崩壊させ、ネオナチがアテネの町を練り歩き、ベルリンとブリュッセルに不満をつのらせるという意味になるとすれば、「暴力はヨーロッパに絶対に復活しない」と予測するのは非常に困難になるのだ。
●それでは戦争はふたたびヨーロッパの各都市に忍び寄ることになるのだろうか?
●あいにくだが、歴史から単純な教訓を得ることはとても難しい。1913年の時点で、人類史上最悪の戦争がすぐ迫っていると考えるイギリスは少なかった。われわれのほとんどと同じように、彼らは平和と繁栄しか知らなかったのであり、「黄金の時代」が永遠につづくと想定していたのだ。
●国外でも嵐が迫っている考えている人々は少なかった。ヨーロッパはまったく知らずに崖のふちで踊りを踊っていたのだ。
●われわれも派手な暮らしを送り、昔の人々が考えられなかったほどの気楽な生活を享受している。もし1913年の話が一つの教訓を教えてくれるとすれば、それは現在のように財政的に厳しい時代でもわれわれが与えられた状況にはありがたく感謝すべきであるということだろう。
●われわれはよく「すべてはよい方向に向かう」と考えがちであるが、百年前の状況が悲劇的かつ破壊的に教えてくれたことは、それが非常い悪い方向に向かうこともあるということだ。
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厳しいEUとヨーロッパ全域における未来予測ですが、百年前の事態から本当に「歴史の教訓」が得られるのかというのはたしかに難しいところ。
シーパワー論者のジェフリー・ティルがどこかに書いていましたが、歴史というのは「教訓」や「答え」ではなく、むしろよい質問を考えるために有用なものだ、というのが本当のところなのかもしれません。
by masa_the_man
| 2013-03-19 00:01
| 日記