地政学が無視される3つの理由 |
さて、私は「地政学」(geopolitics)という学問を長年粛々と研究しているわけですが、その経験からつくづく感じるのは「国際政治の分析では【地理】の要素が軽視されている」ということです。
地理(geography)というのは、人間の生活のすべての分野において関わってくる必要不可欠な要素であり、これが国家や国際政治のレベルになると、さらにその重要性が増してくることは本ブログをお読みの皆さんならば簡単にご理解いただけると思います。
ですが、なぜかメディアや専門家の分析でも、この要素を意識したものをあまり見かけません。ではなぜこのように「地理」が軽視されるのでしょうか?
私は、大きくわければ三つの理由があると考えております。
▼理由その1:ドイツ地政学のイメージの悪さ
これはなんと言ってもナチス・ドイツと、それに協力したカール・ハウスホーファーや、彼の弟子たちの責任です。
ハウスホーファーが主導した戦前のドイツの地政学の一派である「ドイツ地政学」(geopolitik)の学者たちというのは、そのエッセンスだけ簡単にいえば、いわゆる「地理決定論」(geopolitical determism)という考え方に立った人ばかり。
これを簡単にいえば、「地理がすべてを決定する」という、かなり極端な理論なわけですが、それを彼らが悪用してナチス・ドイツの対外侵略に加担してしまったために、戦後は地政学までがまとめて完全否定されてしまったわけです。
ドイツ地政学は地理的な要素「だけ」に集中して理論武装をしていたために、ナチスドイツの人種差別政策との関連性から非常に嫌われたわけでして、これを最も嫌ったのがナチス・ドイツからアメリカに逃れてきたユダヤ系の優秀な学者たち。
その一人がハンス・モーゲンソーという、国際政治を学ぶ者でしたら誰もが知っている超有名なリアリスト系の学者なんですが、彼は地政学のことを、主著である『国際政治』(Politics among Nations)という本の第10章で、
「地理という要因が国家の力を、したがって、国家の運命を決定するはずの絶対的なものであるとみなす、似非科学である」
と述べているほど。
もちろん「ドイツ地政学」がダメだからといって、彼らが強調しすぎていた「地理」という要素まで完全否定するのは、まるで「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということと全く同じ過ちを犯すことになります。
さすがにその辺をわかっていたモーゲンソーは、地理が国家のパワーを構成する第一の要素であることを、同じ本の中でもしっかりと認めております。
もちろん国際政治や戦略では「地理」がすべてを決めるわけではありません。しかしだからといって地理の影響を無視したり、全く意識せずにものごとを分析するのは、やはり、決定的な間違いの元なのです。
▼理由2:国際政治の研究が「自然科学」よりも「社会科学的」に研究されはじめたから。
そもそも古典地政学の祖であるハルフォード・マッキンダーが「ハートランド理論」のような大戦略の理論を提唱した時は、彼自身は自分のことを「地理学者」として認識しておりました。
これはつまりその当時の彼のアプローチに「自然科学」のものが使われていたことになるわけで、たしかにここでは「人間」や「社会」という要素よりも、純粋に地理的な要素を強調する傾向が強かったわけです。
そしてそれを強調しすぎたのが、ハウスホーファー率いる「ドイツ地政学」の学者たちであったことはすでに述べた通りです。
その後、このような大戦略の研究は、主にアメリカを中心に行われることになったわけですが、この国の専門家たちが国際政治を分析する時に注目したのは、「人間」や「社会」という、いわば「流動的な要素」で、「地理」という固定的・自然科学的な要素は学問的にも注目されなくなってしまいます。
さらに50年代後半からはあのハーバード大学でも地理学者がいなくなってしまったり、60年代にはいるとアメリカの小学校でも地理が真剣に教えられなくなるなど、そもそもアメリカ自体が学問としての地理学そのものに関心を失いつつあったことも背景にあります。
結果的に、これはアメリカにおいて「社会や人間だけに注目しておけば、地理は関係ない」という風潮が出てきてしまったというのが、どうやらことの真相らしいのですが、国際政治学は「社会科学」の一派として考えられているため、その影響からどうしても自然科学的な発想はなくなります。
そうなると、地理というのはそもそも当たり前すぎて、あえて考慮しなくても良いという形にもなりかねませんし、実際にそうなってしまったというのが、現代の世界の学界(およびメディア)の全般的な傾向ともいえるわけです。
そして日本もこの例外とは言えません。
▼理由3:IT関連技術のめざましい発展
これを簡単にいえば、インターネットの普及とグローバル化によって、われわれが「地理の障害を克服した」という幻想を持ってしまった、というところに原因があると言えるでしょう。
たしかに、現在のインターネットの利用が常態化した生活は、地理の概念を無視出来るほどになっておりまして、たとえばアマゾンなどで本を注文しても、ほんの一週間ほどでイギリスやアメリカから本を届けてもらうことなど朝飯前。
極端な話、現在では家から一歩も出なくても、ネットで食料や水を注文して宅配してもらい、生き抜くことも可能です。
しかも安全保障の問題としては、まさに地理を完全に無意味化しているようにもみえる「サイバー紛争」などの議論が盛り上がってきており、"地理というのは重要性をかなり失って来ているのでは?"と考えてしまい兼ねない状態になっていることは確かです。
ですが、ここで「完全に地理を無視できる」と思い込んでしまうのは、やはり問題なのです。
一見すると、地理的な問題というのは重要性が下がっているように思えますが、「地理」という要素は、厳然としてわれわれの目の前にある現実です。
いくらグローバル化したとしても、われわれが消費するエネルギーや食糧や水は、相変わらずどこかから運んでこなければならないわけですし、その供給先の政治事情や運搬手段、それにそれをどのルートから運んでくるのかという点から生まれる脆弱性に関する外交・安全保障問題というのは、決してなくなりません。
ごく身近な例から類推してみても、たとえば、みなさんがアパートを借りようとしても、どの街のどの辺りに住むのかによって家賃に大きな差が出てくるのは相変わらずですし、いくら交通機関が発達したとはいえ、駅やバス停まで歩いていかなければならない状態は数十年前からなにも変わっておりません。
ちなみに、ひとつ大きな矛盾だなぁと思えるのが、日本の有名なIT関連企業の本社が、なぜか六本木ヒルズや渋谷周辺など、特定の場所に集中しているという事実。彼らは地理を克服した技術に則って仕事をしている存在のはずなのに、それでも地理的に近い場所に集中して会社を経営しております。見方を変えれば、ある意味で、彼らはまだ「地理に縛られている」とも言えるわけです。
さて、ここまで私の話にお付き合い頂いて、読者の皆さんは何を想いましたでしょうか?
われわれ人間が「身体」という物理的なものを備えた存在である限り、「地理」という要素からは絶対に逃れることは出来ません。いくら地理を無視しようとしても、その影響から一生逃れることはできないのです。
そして、冒頭で申し上げたことの繰り返しになってしまいますが、この「地理」という要素はもちろんですが、最近、よくメディアでも見聞きするようになった「地政学」という言葉。ライフワークとして「地政学」を研究している立場からすると、「え?」と思わず首を傾げてしまうような使い方をしている場合がしばしばです。
本ブログのポリシーでもありますが、「リアリズム」や「地政学」という概念の正しい理解は、これからの日本、そして、私たち日本人一人一人にとっても、非常に重要な意味を持ってくるのです。
より多くの人に「地政学」の本当の姿をぜひ知って頂きたい、というのが「地政学」の一研究者としての私の切なる願いです。
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