2021.06.13

「何者かになりたい人々」が、ビジネスと政治の「食い物」にされまくっている悲しい現実

「何者かになりたい」。多くの人々がこの欲望を抱え、日々を奔走し、消耗している。そして、モラトリアムの長期化に伴い、こうした問題は高齢化し、社会の様々な面に根を張るようになった。

新刊『何者かになりたい』を上梓した精神科医・熊代亨が、現代人の揺れるアイデンティティに迫る危機を暴く。

古くて新しい悩み

「何者かになりたい」「何者にもなれない」──こうした願いや悩みは古くもあり、新しくもある。

今、ツイッターで「何者かになりたい」と検索すると、たくさんの人がこの願いを投稿しているさまがみてとれる。「何者にもなれない」で検索すると、さらに多くの人のつぶやきが見つかり、「何者にもなれない○○」と名乗るアカウントも複数見つかる。

〔PHOTO〕iStock
 

こうした願いや悩みは、人々のアイデンティティが定まりづらい時代ならではのものだ。たとえば江戸時代の武士や農民は、身分やイエによって「何者か」になるか決まっていたから、こうした願いや悩みとは無縁だった。

正反対に、90~00年代にかけては、こうした願いや悩みが時代の気分となり、いわゆる「サブカルチャー」の通奏低音となっていた。

“一億総中流”の幻想が遠ざかり、生まれた家庭や地域による格差が取り沙汰される昨今は、こうした「何者問題」は沈静化したとみている人もいるかもしれない。だが実際には現在も「何者問題」は存在していて、スマホやSNSが普及した時代ならではの悲喜劇を生んでいる。

この文章では、そうした2020年代ならではの「何者問題」について、ビジネスや政治の現象と照らし合わせながら紹介する。

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