日本橋を出発点に、53の宿場を経て京都三条大橋を終着点とする東海道五十三次。
その約490キロメートルにわたる長い旅路の上には、四季の変化に富んだ美しい国土、泰平無事の世の艶やかな賑わいが確かにあった。
各宿場を舞台にした時代小説を解説しながら、江戸時代当時の自然・風俗を追体験する旅好きにはたまらない一冊『時代小説で旅する東海道五十三次』(岡村 直樹著)より一部抜粋してお届けする。
『時代小説で旅する東海道五十三次』連載第2回
『“イチモツ”を元気にするために旅へ…江戸・日本橋を舞台とした、女の愛憎渦巻くヤバすぎる「時代小説」』より続く
第1宿 品川
『月影兵庫 上段霞切り』(南條範夫)
☆宿場歩きガイド
宿場は北から歩行新宿、北本宿、南本宿にわかれ、旅籠の数は93軒、本陣1軒、脇本陣2軒。品川宿は、奥州・日光街道の千住、中山道の板橋、甲州街道の内藤新宿と並んで江戸の四宿とうたわれたが、宿場というより遊興街に近い。多数の飯盛女を抱えて、彼女らに春を売らせていた。
幕府は、いくたびも禁令を発して取り締まりに躍起となったが、効果は上がらなかった。どだい、飯盛女なしでは旅籠はおろか宿場の経営そのものが成り立たなかったのだ。天保15(1844)年には、規定の3倍近い1348人の飯盛女がいた。

だが、客の多くは江戸の住人だった。日本橋から品川まではわずか二里。東海道を上る旅人は「七つ(午前4時)立ち」といわれ、早朝に旅立つのだから、品川にさしかかるのは昼前。日の高いうちから飯盛女と同衾というわけにはいくまい。
という次第で、旅人は少数派なのであった。