「ミソジニー」という言葉をSNSなどで目にする機会が増えた。が、厳密にはどういう意味の言葉なのだろうか。江原由美子氏が『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』(慶應義塾大学出版会)をもとに解説する。
ミソジニーがわからなかった
「ミソジニー」という言葉がある。「女性嫌悪」「女性蔑視」などと訳されたりする。女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視のことだという。男性が女性に対して持つだけでなく、女性が同性に対して持つこともあると言われる。
よくフェミニズムで使われるという解説もあるが、私は、フェミニストであると自認しているにもかかわらず、これまでこの言葉を使ってはこなかった。
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なぜ使わなかったかというと、素直に分からなかったからだ。この言葉を使うことで何か明らかにできると感じたことは一度もなかった。その言葉に、何かを明らかにしてくれる分析力を感じるよりもむしろ、来歴も機能もおそらく異なるはずの様々な現象を、一緒くたにしてしまう気持ちの悪さを、感じていた。
DVも、セクハラも、女性政治家の少なさも、会議での女性の発言権の少なさも、「ミソジニー」ゆえだと言われたとしても、「それはそうかもしれないが、ではそれは『男性支配』とか『性差別』という言葉とどう違うのか」という疑問に、即座に直面するだけのことだったからだ。
けれども、今回、『ひれ伏せ、女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン著、小川芳範訳、慶應義塾大学出版会、2019年11月刊)を読んで、この言葉に対する評価を大きく変えた。もし私たちが、著者(=ケイト・マン。以下同様)が言うような意味において「ミソジニー」という言葉を使用するならば、この言葉は、私たちの社会に広く行きわたっている現象を明らかにするうえで、かなり有効性があるのではないかと考えるようになった。