2014.12.20

トマ・ピケティ著『21世紀の資本論』のよみかた(その1)

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol050 読書ノートより

■読書ノート No.152

◆トマ・ピケティ(山形浩生/守岡桜/森本正史訳)『21世紀の資本』みすず書房、2014年12月

世界的に大きな影響を与えているトマ・ピケティ『21世紀の資本』について、今後、この読書ノート欄を通じて、30回くらいコメントしたいと思っている。本書には「資本」というタイトルがついているためにマルクスの『資本論』と関連づけて読む人が多いが、そのような読み方をしても、混乱を招くだけだ。

マルクスが賃金を生産論で扱っているのに対して、ピケティは分配論で扱っているので議論が噛み合わない。例えば、下記の記述だ。

<限界生産性や、教育と技術の競争という理論の最も目につく不具合は、まずまちがいなく1980年以降の米国に見られる超高額労働所得の急増を説明できないことだ。この理論にしたがえば、この変化は技能重視の方向に技術が向かった結果として説明できるはずだ。米国の経済学者の中にはこの主張を受け入れる者もいて、最上位の労働所得が平均賃金よりも急速に上昇したのは、単に独自の技能と新技術によってこれら労働者が平均以上に生産性を上げたためだと考える。この説明には、何やら堂々巡りじみたものがある(なんといっても、どんな賃金階層の歪みであっても、何か勝手な技術変化を想定すればその結果として「説明」できてしまう)。そしてこの説明には他にも大きな弱点があり、それゆえ私にはかなり説得力に欠けた主張に思える。

まず前章で示したように、米国における賃金格差の増大は、主に分布の一番上に位置する人々、つまりトップlパーセント、あるいはさらに0・lパーセントに対する報酬の増加に起因する。トップ十分位全体を見ると、「9パーセント」の賃金は平均的労働者よりも急速に増えているが、「lパーセント」ほどではないことがわかる。具体的には、年に10万ドルから20万ドル稼ぐ人々の賃金は、平均と比べて少ししか早く増加していないのに対し、年に50万ドル以上稼ぐ人々の報酬は爆発的に増加している(そして年に100万ドル以上稼ぐ人々の報酬はさらに急増している)。このトップ所得水準内でのはっきりとした断絶は、限界生産性理論にとっては問題になる。所得分配における各種グループの技能水準変化に着目すると、教育年数、教育機関の選択、あるいは職業経験といったどんな基準を使っても、「9パーセント」と「lパーセント」の間に何らかの断絶を見出すのはむずかしい。能力と生産性という「客観的」評価に基づいた理論が正しいなら、現実に見られるようなきわめて差の大きい増え方ではなく、トップ十分位内でだいたい同じくらいの賃上げが見られるはずだし、そうでなくともその中でのサブグループ同士で、賃金上昇にたいした差はつかないはずなのだ。

誤解しないでもらいたい。私はカッツとゴールディンが明らかにした、高等教育と訓練への投資の明確な重要性を否定しているわけではない。米国、そしてそれ以外の国でも、大学教育へのアクセスを拡大する政策は、長い目で見れば必要不可欠だしとても重要だ。しかしそのような政策の価値がいくら高くても、1980年以降の米国における最上位所得の急上昇に対しては、限定的な効果しか持たなかったようなのだ。・・・(以下略)

このテーマについて深く知るための「連読」3冊
・佐藤優『いま生きる「資本論」』新潮社、2014年
・宇野弘蔵『経済原論』岩波書店、1964年5月
・日高晋『経済学』岩波書店、1988年4月

佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」vol050(2014年12月10日配信)より

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