2014.11.25

「階級史観」の復権──「格差社会」に批判の矢を放つために

『〈階級〉の日本近代史』

1970年代の二度のオイル・ショックを克服した後の80年代に、日本における「階級史観」は、急速にその影響力を失っていった。

1990年前後のソ連と東欧における社会主義体制の崩壊に先立って、日本は一億総中流の社会で、「階級」などというものは今や存在しない、という議論が支配的になったのである。

故村上泰亮氏の『新中間大衆の時代』(1984年、中央公論社)は、この変化を象徴する著作であった。

1980年代の日本がもはや「階級社会」ではなくなったとしても、幕末から太平洋戦争までの約90年の日本近代までが「新中間大衆」の時代だったはずはない。しかし、歴史の観方というものは、眼前の社会の流れに影響される。戦前日本が極端な階級社会だったという事実に、人びとは関心を無くし、研究者の方も、読者が関心を示さなくなった過去の階級社会に、関心を失っていったのである。

それではこの短文を記している2014年の日本は、どんな社会であろうか。約1億2800万の総人口のうち、65歳以上の高齢者が3200万、20歳未満の未成年者が2400万で、この両者を除いた成年男女が7200万である。この7200万人のうち、非正規雇用者は約2000万人いる。

7200万人の成年男女から専業主婦と失業者を除けば、仕事に就いている者の総数は6000万人ぐらいになるかもしれない。この約6000万人のうち2000万人が、すなわち三人に一人が、非正規雇用者なのである。2014年の日本は「新中間大衆の時代」ではなく、立派な「階級社会」なのである。

もし、歴史観というものが眼前の社会状況に強く影響されるものならば、そろそろ「階級史観」が復権してもいいのではなかろうか。今回、『〈階級〉の日本近代史』(講談社選書メチエ)を書くにいたった動機である。

しかし、戦前戦後を通して日本の近代史研究を支配してきた「階級史観」には、「二段階革命論」という弱点があった。第一段階の革命は絶対王政を倒して資本主義体制を成立させる「ブルジョア革命」であり、その達成の上に、今度は資本主義体制を倒して社会主義社会を実現する「プロレタリア革命」が来る、と言うのである。

250年余にわたる幕府と諸藩の支配を倒した明治維新は、素直に考えれば立派な近代革命だった。しかし、その結果として現出したのは、天皇を官僚たちが補佐する統治機構を、農村地主がほとんど唯一の有権者となって支える体制であった。「ブルジョア革命」の結果天皇制が成立するのは変であり、「ブルジョア革命」の結果農村地主が新体制の支持基盤となるのも、奇妙な話である。

そこで、戦前戦後の「階級史観」は、明治維新を「革命」とは見做さないことに決め、天皇と官僚と農村の大地主による新体制こそが、「半封建的な絶対主義体制」であると判断した。その結果、250年余にわたる徳川幕府を倒し(1868年)、300弱に分かれて全国を支配していた大名制度を廃した(1871年)明治維新は、血湧き肉躍る「革命」ではなくなってしまったのである。

この歴史観からは、1880年代の国会開設請願運動も、1882年の福島事件、1884年の加波山事件や秩父事件などの激化事件以外はほとんど注目されず、研究者の関心は近代天皇制の社会的基盤である「寄生地主制」の確立過程に集中された。大地主が集積した土地を自分では一切耕作しないで小作人に耕させ、高額の小作料を納めさせていたことから「寄生」地主制と呼ばれたのである。近年の筆者の著作では「田舎紳士」として紹介しているのが、それである。

筆者が最初の著作『明治憲法体制の確立』(東京大学出版会)を刊行した1971年頃には、この「寄生地主制」の確立の時点を1890年とするか1900年とするかが、日本近代史研究の中心的な論点になっていた。

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