「売春」は「絶対にしてはいけないこと」なのか…その答えを真っ二つに分けてしまう、誰もが知っているが「じつは超あやふやな概念」
価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。
法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。
※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
「人間の尊厳」って何?
立法が追いついていない、あるいは立法という方法が相応しくない問題領域というものがある。そういう分野での人々の行動指針を考える方法として自然法を捉え直すのが適切だろう(たとえば生殖医療技術、終末医療、AIと人間との関わり、クローン技術の適用、情報化の進展と共に生じる新たな犯罪など)。
今日自然法に理解を示す学者は、自分の体系的な理論を披露するというよりは、「基本的人権の尊重」や「人間の尊厳」を重視し、それらを現実問題への対応や政策決定、立法、法解釈にどのように活かすかという議論をしている。それはよいと思う。
ただ、その際気になるのが、「人間の尊厳」という概念である。
法学部では講義でもゼミでもあたかも枕詞のように頻用されている言葉だが、その意味がしっかり押さえられて使われているのかは怪しい。それは意味が曖昧なままで使用されると、一つの問題についてまったく正反対の答えが導き出される可能性のある言葉なのである。
まず、「尊厳(dignity)」という言葉をどう捉えるかが問題になる。dignityを英和辞典で調べると、「尊厳」という訳語と共に、「品位」、「威厳」などの訳語も出てくる。beneath one’s dignityという慣用句には「品位に相応しくない」という訳がつけられていることからみると、「尊厳」というわかりにくい言葉よりむしろ「品位」という言葉に置き換えた方がよいかもしれない。
そうすると「人間の尊厳」とは、(単なる動物とは違う)人間特有の品位という意味になるだろう。つまり人間が(単なる犬猫や家畜などから区別された)人間として認められるための品位ということである。
では、人間特有の「品位」の内容は何であろうか?
おそらくさまざまな内容が列挙されるだろうが、明らかにすべての人々が了解することは、奴隷化されないこと、つまり自由を剝奪され、他人によって支配されたりモノ扱いされないこと、であろう。
そして続いては、この尊厳(品位)と人間との関係が問題になる。人間と尊厳とを繫ぐ「の」の意味をどう解釈するかである。解釈には少なくとも2通りある。
ひとつは人間の中に備わっている尊厳という意味、もうひとつは人間が尊厳を所有している状態、という意味である。
前者のように解釈すると、(1)尊厳という価値が独立的に存在しており、人間はそれの容れ物ということになる。後者であれば、(2)人間が尊厳をもって行動すること、となる。
「人間の尊厳」を(1)の意味で捉えるならば、人間は容れ物として、その内にある実質価値たる「尊厳(品位)」を守らなければならない義務をもつことになる。これは人間より価値の方を重視する見方であるということで「価値志向型尊厳観」と名付ける学者もいる。
(”)の意味で捉えるならば、人間が「尊厳(品位)」をもって、つまりつねに他人に介入されることなく自分の理性を自分で使い、自分の意思で思考し行動できなければならないということになる。これは人間が自分の主体性を行使することこそを最優先するため「主体性志向型尊厳観」と呼ばれもする。