「お前たちの志願である」
太平洋戦争時、神風特別攻撃隊の志願者を募るとき、玉井浅一中佐はこう言った。
「お前たちは誰より可愛い。だから一番可愛いお前たちを日本の歴史に其の名を載せて、悠久の神として祭ってやりたいのだ。この気持ちをわかって欲しい。ただし、これは命令ではない。あくまでもお前たちの志願である」(神立尚紀、大島隆之『零戦 搭乗員たちが見つめた太平洋戦争』講談社)
すべては「志願」だった。命令は存在しない。志願である。だから、上官の責任は存在しない。特攻隊員は志願し、死んでいった、とされる。
実際のところ特攻が志願だったのか命令だったのかという論争は脇に置くが、少なくとも当時の軍隊に置いてそれが「志願」と扱われていたことは事実だろう。
この構図を現代に当てはめるとどうなるか。
新型コロナウイルスでは「自粛要請」が行われているが、残念ながら多くの識者が指摘する通り、十分な補償が行われていない。「自粛」を「要請」するという矛盾した言葉遣いに現れているとおり、「飲食店は勝手に休業しているから補償は必要がない」ことされてしまうのだ。勝手に自粛しているのだから補償は必要ない。勝手に休んでいるのだから、生活を支援する必要はない。みんなそれぞれ「自分の意志で」休んでほしい。
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政治が責任を負わず、国民・市民の行動は「志願」と読み替えられてこの国は回っている。