それは面白おかしい“トンデモ”案件か
先日Twitterを眺めていたら、十数万人のフォロワーを抱える人気ライターのツイートが目に入った。
彼は「壱岐が面白いことになっている」といったコメントとともに、最近長崎県壱岐市で起きた、女性向けスピリチュアルビジネスがらみの騒動に触れていた。
10月、壱岐で大規模かつ高額のスピリチュアルイベント「縄文祭」が開催され物議を呼んだこと。その主催者であるブロガー・Happy氏や周囲のスピリチュアルリーダーたちが、奇抜な思想や主張――たとえば「引き寄せ」や「子宮系」――の持ち主であること。なおかつ、Happy氏が壱岐の観光大使にまで任命されていること……。
それらの紹介として、スピリチュアル界隈のネタを扱うブログ記事へのリンクも貼ってあった。
ちなみにそのブログは、「タレント○○は韓国人なのか」といったアクセス数狙いの国籍検証や、出典のわからない著名人のゴシップをまとめている典型的なトレンドブログであり、質の良い情報源とは言い難い。
しかし、最初のつぶやきは軽く1000以上RTされ、トレンドブログのリンクも100以上はRTされていた。つぶやきのリプライやRT先のコメントを追うと、皆やはり「ヤバい」「草生える」などのコメントで盛り上がっている。
「草生える」とはもちろん、ネットスラングで言うところの「笑える」だ。面白おかしい“トンデモ”案件として、この話はそこそこウケているようなのだった。
この光景を見て、しばらく考え込んでしまった。
昨今、「スピ系女子」が揶揄の対象になる機会が、以前より増えてきたように感じている。
SNS文化が盛り上がると同時に、スピリチュアル界隈にも「子宮系」「妊娠菌」など、見た目からしてインパクトのある言葉・考え方が増えてきたことが要因なのだろう。少し前には週刊誌などで、某女性芸能人がこの手のスピリチュアルに傾倒しているというゴシップも乱れ飛んでいた。
でも私は、こうした「スピ系」を笑いものにしている状況に対して、一抹の危機感をおぼえるのだ。
勘違いしてほしくないのだが、前述のライター氏や、彼のつぶやきに反応した人々が「草」を生やす感覚も理解できる。
実際スピリチュアルは、個々の主張を見ていくと、危うい面を持っていることが珍しくない。おかしなビジネスもしばしば見かける。だから、批判はあって当然である。
ただ、それでも思うのだ。だからといって、それらをやたらと揶揄し面白がることは、個人と社会にとって有益なのだろうかと。
むしろこれは、社会の分断を深め、ネガティブな感情の総量を増やす行為ではないだろうか。私には、そう思えてならないのである。本稿では、スピリチュアルを揶揄することに対して感じる懸念について、界隈の動向を追っている者のひとりとして少し書いてみたい。
※スピリチュアルという言葉の持つ意味は広く、本来ひとまとめに語れるものではない。本稿ではこの言葉を、近年の女性向けスピリチュアルでよく見られる、「アメーバブログなどでの情報発信で多数のファンを獲得し、セミナーや物販、出版でマネタイズしていく」タイプのスピリチュアルビジネスのこととして扱う。
それは本当に注意喚起か?
スピリチュアル系の人名や用語名で検索すると、大抵はその人物のブログがトップに出てくる。
しかし最近、一部の人気の人物や用語に関しては、「○○の本名や離婚・再婚相手は?年齢や子供の噂は?」といったおきまりの形式のトレンドブログや、批判的なウェブ記事も合わせて検索に上がってくるようになった。
それだけ、多くの人がこの分野に関心を持つようになったということだろう。Twitterでも、ここ最近本当に「アンチスピリチュアル」アカウントが増えている。
彼ら・彼女らが批判的情報を発信する目的は何か? 多くの場合は、「注意喚起」ということになっている。「この人はこんなヤバいビジネスをしている、ヤバい人間だから近づいてはいけない」あるいは「今ハマっている人はどうか目を覚ましてほしい」というのが大方の主張だ。
たしかに、実際に「ヤバい」ビジネスが行われているスピリチュアル現場もあるので、「注意喚起」自体が無駄だ、よくないことだとは思わない。中にはまっとうな批判もある。
ただ対象を否定するにあたり、「荒唐無稽であり、真面目に扱うに値しないもの=馬鹿にしていいもの」という扱い方をしがちなところが、いわゆる“アンチ”の見ていて不安になる点である。