いつか電池がきれるまで

”To write a diary is to die a little.”

豊崎由美さんと『けんご』さんの諍いと「書評」についての雑感


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 長年「老害系文学賞選考委員」や「大家のつまらない作品」に対しても臆せずに「書評家」として筋を通してきた豊崎由美さんには、僕自身、ひとりの本好きとして、敬意を抱いているのです。
 この件に関しても「まあ、こういうことを言うのも『書評』というものに全身全霊で向き合ってきたトヨザキ社長らしいな」という気持ちにもなっているのです。
 長年の盟友である大森望さんにもこのTwitterでの発言に対しては批判されているみたいですが。
 大森さんは「出版社側、編集者としての視点」、というのもあるのかもしれません。
 

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 正直、僕は「けんご」さんのことを知らなくて(TikTokもほとんど見たことがない)、今回の件で、見たこともないものをあれこれ言うのは良くないな、と、いくつか動画を観てみたのです。


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 この「本のオビ棒読み」みたいな短い動画と、自分が長年向き合ってきた「書評」を同列に語ってほしくない、と言いたくなった豊崎さんの気持ち、なんか想像してしまうな……
 長い動画なんて観ているのはまだるっこしい、と僕も最近よく思うのですが(しかもその「長い」は「15分以上」くらいなのです)、若い男性がなんか熱心にあらすじを語っているな、というだけのこの動画で、「これを読もう」と思う人が、そんなにいるのだろうか? 
 いや、すでに「けんご」さんはカリスマであり、「どう紹介したか」ではなくて、「何を紹介したか」が重要視されているのではないか。
 冒頭のエントリには、豊崎さんが『本屋大賞』を批判しているツイートもあるのです。
 「売れそうな本を売るためだけの『書評』や『文学賞』」と、自分は一線を画したい、という豊崎さんが、僕はやっぱり好きなんですよ。
 ……と言いつつ、僕自身はけっこう「商業主義寄り」の本の感想ばかり書いている、という自覚もあるんですけどね。ミーハーだからさ。
 
 
 「書評」「批評」とは何か、というのは、解釈が分かれるところではあるのです。


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「批評」というものには本当に難しいというか、多彩な考え方があって。
「テキスト(となる本や感想)をどう読み、解釈しようとも、それが受け手の率直な意見であるかぎり、自由なのだ」
 そう考える人もいれば、
「やはり、ある程度対象となるテキストへの予備知識を持っているべきだし、『まっとうな解釈の範疇』というのはある」
 と主張する人もいるのです。

 この本では、学術的な世界での「批評のプロ」である著者は、こう述べています。

 ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。
      (谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』11ページ)


 涼宮ハルヒの子の発言はなかなか的を射たものです。実のところハルヒ同様、ほとんどの人はただの人間には興味がないので、あなたが宇宙人、未来人、異世界人、超能力者とかでないのであれば、書いた批評を他人に読んでもらうのは大変です。たまに「感動した」とか「これが良かった」みたいな一言だけで作品がバカ売れするようなインフルエンサーがいますが、これはその人自身が宇宙人レベルで特別かつ有名な人と見なされているからそうなるのです。テスラ社のトップであるイーロン・マスクはTwitterでつぶやくだけで株価が上下するそうですが、そんなマスクは宇宙人ではないかという冗談があり、本人もこのふざけた噂が気に入っているようです。宇宙人だという噂を立てられるくらいの著名人でないと、単純な一言二言だけで人を動かすことはできません。
 あなたが自分の作品を紹介する時に「感動した」とか「面白かった」とか「考えさせられた」みたいなぼんやりしたことを言ったとして、あなたを知らない人はその作品に手を出してくれるでしょうか? たぶん手を出してくれないと思います。あなたをよく知っていて信用している友達であれば、一言「感動した」と言って薦めれば見てくれるかもしれませんが、世の中の人間のほとんどはなあなたの友達ではありません。さらに、友達であってもその程度の一言二言では興味を持ってくれないかもしれません。娯楽が多い21世紀に、自分が見て欲しい作品に人の注意を惹きつけるのは大変です。批評を読んでもらうため、薦めたい作品に興味を持ってもらうために大事なのは、「感動した」とか「面白かった」みたいな意味のない言葉をできるだけ減らして、対象とする作品がどういうもので、どういう見所があるのかを明確に伝えることです。

 
 「本や映画の感想」っていうのは、ネットで比較的書きやすい、続けやすい一方で、大勢の人に読んでもらうのは難しいコンテンツだよなあ、と僕も悩み続けてきたのです。
 20年くらいやっていて、本や映画の感想を書いているブログのPV(ページビュー)数は、現在、ピーク時の3分の1から4分の1くらいまで減っています。
 やっている側からすれば、同じ人間が同じように書いているのに、ネット人口は増えているのになあ……と愚痴を言いたいところではあるのですが、客観的に考えてみると「個人ブログをわざわざ開いて読む」「しかもそこそこ長い」というのは、2021年のインターネットでは、かなり敷居が高いというのもあると思います。
 まあ、飽きるよね、読むほうも書くほうも。

 「気になったらもう自分で読むから、タイトルだけ挙げてくれ」あるいは「読むことそのものがめんどくさいから、全部あらすじを教えてくれ」という人が増えるのもわかります。世の中には「タダもしくはタダ同然で読める文章」が溢れているし、ハズレを引きたくはないよね。他にやることもたくさんあるし。「話すときのネタにできるような『みんなが読んでいる本』がいい」というのもありそう。

 大勢の人に「届ける」「読んでもらう」って、本当に難しいんですよ。
 そんななかで、これだけ多くの人に認知されることに成功した「けんご」さんと、あのTikTokの動画をみて、「あんなのでいいのか?」と言いたくなる古参なのは僕も同じです。
 でも、時代の流れを考えると、「ああいう伝え方だからこそ、みんなが観てくれる」のだよなあ。


 「流行ったから」「売れたから」正しいのか?というのは、僕には疑問ではあります。
 ただ、売れなきゃはじまらない、ネットのコンテンツでも「PV至上主義」は叩かれるけれど、「誰も見ない素晴らしいコンテンツ」は「観客のいない映画館に流れる名作」みたいなものですよね。

 「本」の歴史においても、「ケータイ小説」なんて、賛否両論のなかバカ売れして、このままでは書店がケータイ小説に占拠されるんじゃないか、と危惧していたら、あっという間に消えてしまいました。
 その一方で、一昔前は本好きからはバカにされていた「ライトノベル」は、アニメや(スマホ)ゲームなどと結びつくことによって、今や、立派な「ジャンル」として成立しています。
 個人的には、「そんなにみんな異世界転生とかいきなり自分がスゴくなるような話ばっかりなんだ……」とはやっぱり思うんですけど。


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 これが13年前ですよ……『恋空』とか、ガッキー(新垣結衣さん)が主人公の女の子役で、ミスチルがテーマ曲歌っていたんだよなあ……


 実際のところ「質はともかく、売れなきゃ業界は成り立たないんだから、しょうがないんじゃない?」というスタンスは、「理解がある」ようにみえて、「消費者、ユーザーをバカにしている」とも感じるのです。
 「書店員のPOP推し」は、最初は「現場の生の声」が聴けるようで面白かったけれど、「売れる」ということで、出版社や書店が「売りたい本を売る」ために濫発されるようになりました。中には「お前本当にこれを読んで『うずくまって泣いた』のか?」と問いただしたくなるようなものもあります。というか、最近のPOPってそんなのが多くて、僕は「POP本警戒モード」で書店に行っています。

 そういう点では「けんご」さんのTikTok書評は、コメントの内容はさておき、紹介されている本はけっこう良質なものの割合が高い、とも感じました。そもそも、小説(物語)の書評、感想って難しいんですよ。内容を語らないと「面白かった」「つまらなかった」だけになってしまうし、内容を語りすぎると「ネタバレ」になってしまう。究極的には「小泉今日子の愛読書」とか「柴咲コウが泣きながら読んだ」というような「属人的な紹介最強!」とも言えます。

 たぶん、「けんご」さんは、ちゃんと読んだ上で、「TikTokで伝わりやすい手法」を使っているのでしょう。
 
 でも、「これまでの先人が積み重ねてきたものを踏まえての批評(書評)」をやってきた人が、「ああいう『TikiTokに特化した手法』と一緒にしないでほしい」と思うのも僕は理解できます。
 それを口にすることが、出版業界や豊崎さんのメリットになるのかどうかはさておき。
 いや、「口は禍の門」になることは百も承知で、それでも言わずにはいられないのが豊崎さんなんだよね。
 「老害」かもしれないけれど、こういうのって、「伝統的な『書評』っていうのは、ああいう流行りものとは違うんだよ」と誰かが言っておくのは、悪いことではないと思うし。
 世の書評が、「TikTokでリズムよく本のオビを読む」ようなものばかりになったら、僕は悲しい。
 伝わりやすいものは、忘れられやすい、という気もします。


 「売れるのが正義」「とりあえず稼がないとはじまらない」というのはわかるよ、業界の立場としては。
 それでも、「出版社側の人たちの言葉」をみていくと、業界が苦しいのはわかるけど、「良いものを届けたい」というより、なんでもとにかく売れればいいや、という本音が透けすぎていて、しかも、そのことにみんなが無自覚なまま胸を張っているのが薄気味悪いのです。

 僕はテレビゲーム大好きですが、「クソゲーをうまくプレゼンしてたくさん売る人」ばかりになったら、ゲーマーは幸せになるだろうか?
 ゲーム業界は「発展」していくだろうか?

 「うまく売る」ことは大事だけれど、「品質」が悪ければ、長い目でみれば、その業界は先細りになっていくだけでしょう。


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 箕輪さんは「時間をかけて、きっちりした本をつくる」よりは、いま、みんなが求めているものを、求められているときにつくりあげる、というスピード感を大切にしている人で、内容よりも、その「勢い」みたいなものに多くの人が惹かれているのだろうと思うのです。

 編集者の仕事を一言で言うと「ストーリーを作る」ということだ。
 いまの時代、商品の機能や価格は大体似たり寄ったりだ。
 これからは、その商品にどんなストーリーを乗っけるかが重要になる。
 例えば、このTシャツは、どんなデザイナーが、どんな想いを持ってデザインしたのか、そこに込められたメッセージは何か。そういった消費者が心動かされるストーリーを作ることが、洋服でも家具でも食品でも必要になってくる。
 実はそれは、編集者の一番得意なことなのだ。
 これからはあらゆる業界で、ストーリーを作る編集者の能力がいきてくる。僕はお客さんが買いたいと思うようなストーリーを作ることで、アジア旅行で買った、タダでもいらないような大仏の置物を数万円で即売させることができる。
 今、僕が本以外の様々なプロデュース業をやっているのも、この力を求められているからだと思う。


 この『死ぬこと以外かすり傷』という本も、まさに「箕輪厚介というストーリー」を売っているわけです。
 こういうのって、売る側の論理としては、正しいと思うし、みんなが「箕輪さんみたいになりたい」と言うのもわかる(見城さんや箕輪さんの仕事への没頭ぶりをみていると、そう簡単に真似できるようなものではないだろうけど)。
 ただ、僕は消費する側として、「タダでもいらないような大仏の置物を数万円で売りつける」ことへの罪悪感はないのだろうか、と考えずにはいられないのです。
 売る側も、その大仏にそれだけの価値がある、と思い込んでいるのなら、仕方がない面はある。
 でも、箕輪さんは、石ころであることを知りながら、「これはダイヤモンドだ」と顧客に感じさせ、それを売ろうとしているように思われます。
 そういう売り方こそが「現代的」であり、今の時代を生き抜くための戦略なのだ、ということなのかもしれませんが、それを買わされる方の身にもなってみてほしい。

 本をつくる人、売る人がみんな箕輪さんみたいになるのなら、出版業界なんか、ぶっ潰れてしまえばいい。
(箕輪さんみたいな人は絶滅しろ、とも思いませんが)

 豊崎さんは、自分には石ころに見えるものは、「これは石で、ダイヤモンドじゃない」と言い続けてきた人です。
 かなりめんどくさそうな人ではあるけれど、「老害」で片づけていい存在ではないはず。


 
 最後にひとつ。
 僕は豊崎さんのツイートは「老害っぽい」かもしれないけれど、長年「書評」という仕事をしてきた人として、言わずにはいられなかったのだと感じています。
 「けんご」さんが紹介している本は、(僕の感覚では)良質なものが多いと思うけれど、その手法や(TikiTokでの内容に)に対して、「書評なめんな」という意思表示も、ひとつの「批評」のはずです。


 率直に言えば、「けんご」さんは、インターネットというものをよくわかっているな、と思いました。
 いまのネットでの影響力を考えれば、そして、多くの人が豊崎さんを批判している状況をみれば、「けんご」さんはスルーして今まで通りの活動を続けても、何も問題はなかったはずです。
 ところが、「もうTikiTokでの発信はやめます」という意思表示をした。
 本好きであれば、有名な書評家にこんなふうに言われたのはショックだったし、傷ついたというのもわかります。
 でも、「本を紹介する場所」になっているという矜持が「けんご」さんにあったのなら、なぜそれを「捨てる」選択をしたのか。
 「もうやめます」というのが、豊崎さんへの最大の「復讐」になる、「悪者」「時代錯誤の老害」を見つけてバッシングしたくてしょうがないネットの人たちの駆動スイッチになるのを見越していたのではないか。
 「お前のせいで『けんご』さんはTikTokをやめてしまったじゃないか!」と、今まで『けんご』さんの動画も、豊崎さんの書評も知らなかった人たちが、面白半分で事を大きくしていく。
 
 この件に関しては、プロゲーマーが有野課長に「なんであなたはゲームが下手なのに、そんなに人気があるんだ!」と言及するようなもので、「同じ『本』を扱っているというだけで、価値観もターゲットも違う人に『嫉妬して』しまった豊崎さんのミス」だと僕は思います。

 でもさ、自分のコンテンツを「人質」にするのも、スジが悪いよ。楽しみに見ていた人よりもアンチに揺さぶられやすいのは、「ネットあるある」だけれども。


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