◆作り手の都合論◆ 『魔界村』といえば、主人公が
パンツ一丁でお姫様と墓場デートしてる冒頭シーンがあまりにも有名である。もはやこの衝撃的なオープニングは同作品を象徴するミームのひとつとなっており、1985年にアーケード稼働して以来、主人公アーサーは「露出狂」だの、「苺パンツおじさん」だの、「墓場でイチャできる強心臓の持ち主のくせに骸骨になってすぐ死ぬ野郎」だの、多くのゲーマーからさんざんイジられて来た。
しかし私は疑問に思うのだ。アーサーは本当に……
パンツ一丁でお姫様と墓場デートしていたのであろうか?
こいつは何を言ってるんだと思ったかもしれないがどうか最後まで聞いて欲しい。私はどうしても
“作り手の都合”でそうなってしまった案件としか解釈できないのだ。
おそらく問題の冒頭シーンは何らかの理由で後付けされた演出であろう。元も子もないことを言ってしまえば、二人が墓場でデートしていたのはステージ1が墓場だったからであり、アーサーがパンツ一丁なのは、鎧姿以外はパンツ一丁しかグラフィックがなかったからである。アーサーがもし鎧姿のままだったならデートに見えないが、パンツ一丁でくつろいでいれば
二人がただならぬ仲ということが小学生でもわかるではないか。
(※) そもそもアーサーが素肌の上に鎧を着ている理由は、2回ダメージを食らうと骸骨になって死ぬ(ミスになる)というゲーム的な都合に起因するものでしかない。鎧からいきなり骸骨になるのはさすがに無理があるため、1回ダメージを食らった状態では「鎧←→骸骨」のちょうど中間地点である裸体のグラフィックが採用されたことは想像に難くないのだ。
※ファミコン版説明書より その際、フルチンでは問題があるのでパンツを穿(は)かせたのであろう。余談だが『魔界村』の開発者である藤原得郎氏は、海外メディア
Polygonのインタビューにてアーサーの穿いている苺パンツに言及。それが「お姫様からの贈り物である」ことを明かしている。プリンセス・プリンプリン。名前に負けぬ少女趣味である……
※ちなみにワンダースワン版『魔界村 for WonderSwan』では鎧姿でデートしており、わかりやすく二人の間にハートが出る演出となっているが、この作品はマイナー過ぎて公式でも番外編扱いとなっているため今回は考慮しない。◆想像力による補完論◆ ここでひとつ訂正しておこう。私は冒頭で墓場デートを「衝撃的なオープニング」と述べたが、かなり語弊のある表現だった。なぜなら私自身はそれほどでもなかったからだ。むしろ、小学生時代にファミコン版『魔界村』を初めてプレイしたとき「あ、これは作り手の都合でそうなっちゃった案件だな」と何となく察していたのだ。もう一度言おう。あくまでも「何となく」である。
当時を振り返ってみると、世間的にも「墓場デート」は今ほどイジられてなかったように思う。その理由を挙げるとしたら月並みな表現ではあるが
「想像力による補完」によるところが大きかったであろう。
※ファミコン版のOP 多かれ少なかれファミコン世代のゲーマーなら、グラフィックやゲームデザインが拙(つたな)かった当時のビデオゲームをプレイする上で
「この表現はきっと本当はこういうことに違いない」という想像力による補完は、当たり前のように行われていた作業だったはず。勿論、その線引きには個人差があって、私はやや恣意的に考え過ぎる子どもだったかもしれないが(自覚はある)、きっと自分たちでもどうしようもなかった作り手の都合でもって、そうなってしまっただけなのであって、本当は墓場ではなく違う場所のつもりだったのではないか……
私はそう思えてならないのだった。
◆水墨画の竹論◆ いやいや。実際に墓場でデートしてるやん。納得できないひとは、たとえば以下の水墨画を見て「黒い竹が描かれている」「フシとフシの間は離れている」と、表面的な情報を見たまんま無反省に受け入れてくれるのだろうか……
著作者:freedesignfile.com 言うまでもなく実際の竹は緑色であり、フシとフシの間が物理的に離れていることはない。にも関わらずそれが竹に見えるのは、水墨画が
墨と筆で描かれた絵だということを知っているからだ。我々はその絵が、限られた画材、限られた色数で表現された作品だということを知っているからこそ、足りない部分を想像力で補完することによって、表面的な情報以上のイメージを受け取ることができるのだ。
レトロゲームの場合も同じである。我々はレトロゲームが、限られた性能、限られた容量のなかでつくられた作品だということを知っているからこそ、ゲーム画面から表面的な情報以上のイメージを受け取ることができるのだ。
少なくとも私は『ドラクエ』のフィールド画面を見ても、キャラクターとお城が同じ大きさだとは思わないし、常に前を向いている主人公を見ても、カニ歩きしているとは決して思わない。それは我々が水墨画を見て「黒い竹が描かれている」と思わない原理と根は同じである。水墨画には水墨画の文法があるように、
レトロゲームにはレトロゲームの文法があるのだ。ファミコン世代の人間は皆、経験的にそれを理解している。私はつい最近まで無邪気にそう思っていたのだった。
あんなことが起きるまでは!
◆非ゲーマーの視点◆ それは数年前――
ファミコン世代でありながら非ゲーマーの妻にメガドライブ版『大魔界村』をやらせたときのことである。ぎこちない操作で何とかアーサーを動かしていた彼女が、突然、何かを見つけた様子で、怯えながらこんなことを言い出したのだ。
「おっさんが川に浮いとる……」
※イメージ図 「あのおっさんはどうやったら倒せるの?」
「ねえ、さっきからこっち見てるよ」
「ずっとついてくるし……」
彼女はパニック状態で言葉を続けたのだった。どうやら妻は、アーサーの
残り人数を表すグラフィックを「おっさんの敵キャラ」と勘違いしたらしい。ファミコン世代にもレトロゲームの文法を理解してない人間は存在したのだ。(正直わかっていたが)
いずれにせよ、ゲーム画面の表面的な情報を見たまんま無反省に受け入れてしまうと、こういうことなってしまうのである。この出来事は『魔界村』の冒頭シーンにおいて、アーサーがパンツ一丁でお姫様と墓場デートしていると“本気で”思っていて、“本気で”イジっている人間が世の中にはたくさんいるということを、私に改めて示唆してくれたのだった。
◆ついに明かされた公式見解◆ それでも私は信じていた。
※『マイコンBASICマガジン』1985年10月号より かつて『魔界村』の冒頭シーンはデートではなく
「お姫様がアーサーのケガを手当てしていた」とする説が流布されたこともあったが、それは『マイコンBASICマガジン』1985年10月号に掲載されたアーケード版『魔界村』を小説風に紹介する記事が発端であり、そのような設定を示す公式資料は見つかっていない。
(※) すると先日のことである。2021年2月25日にリリースされた『帰ってきた魔界村』が、まさかの冒頭シーンを完全再現していたのだが、そこで思いがけず
「墓場デート問題」が解決されているではないか……
※ちなみに姫の名をギネヴィナとする公式資料も見つかっていない これこれ。まさにこれだ!
私が当時、思い描いた二人のデート風景はまさにこれ。そこには小高い丘の上で逢引きをするアーサーと、お姫様の姿が独特の紙芝居タッチで描かれていたのだった。これで二人のデートが
本当は墓場ではなかったことが明白となったのだ。きっと制作陣も本懐を遂げたことであろう。私も30年来の胸のつかえがおりてたような気がして飯が旨い。
だが同時に不吉な予感もしたのである。もしかしたらこの丘は例の冒頭シーンにも描かれている、あの墓場の一角であり、たまたま墓標群が見えないアングルから切り取ったシーンなのではないか……
よーし、ここはひとつ、制作陣が「墓標を描かなかった」という事実のみを尊重しようではないか。制作陣は墓標を描かなかった。それでこの件はおしまいだ。ただし残念ながらというべきか、逆に期待を裏切らなかったというべきか……、どうやら
パンツ一丁だけは本当にそうだったようで、公式ストーリーでも
「ひと時の語らいをする二人」となっていることから、こればかりは弁解の余地がない。
この露出狂め。
いちごパンツおじさん!
墓場でイチャできる強心臓の持ち主のくせに骸骨になってすぐ死ぬ野郎!
(了)
| | アーサーの苺パンツ設定はいつからあったのかな? |
|
◆以下、蛇足的なやつ◆ ついつい好き勝手に述べ散らかしてしまった。でも誤解しないでいただきたいのだ。私は今回テーマにした『魔界村』の墓場デートのような
「作り手の都合でそうなっちゃったやつが、いつしかミーム化しちゃったやつ」のことが嫌いというわけでなく、むしろ大好物なのである。今回はたまたま墓場デートに否定的な立場だったので、それに対して否定的な意見を述べただけであり、ミーム話自体を否定しているわけではないということを、最後に改めて断っておくことにしよう。
勿論、アーサーのことも嫌いではないよ。
そんなことより、誰か、「作り手の都合でそうなっちゃったやつが、いつしかミーム化しちゃったやつ」にもっといい名前つけてください!(笑)
- 関連記事
-