摂動論的アプローチ

まあ,そうは言っても私の貧困な英知では完全にわからないことを第一原理的に解析的に解決しろと言われても無理であって,私に思いつくのは摂動論というわけです.なにか起こったときにまずその主要因(あるいは primary term)は何なのか,その主要因に変更(= 摂動)を加えている要因は何なのかを考えていくわけです.先入観なく.現代の複雑系はとても高次でしょうから,摂動的なアプローチでは厳密解は得られない.場合によっては摂動が主要項になったり,主要項が摂動だったりするわけです.
もう一度図を示しますが,

例えば,私の場合

  • 夕焼けが赤いのは透過光だから,昼間の空が青いのは散乱光だから,的なものはほぼ揺ぎ無く正しいのでそういう情報は“正しい”部分に追加.
  • 水に優しい声をかけると物理だか化学的に良い変化が起こって,汚い言葉をかけると良くない変化が起こる的な情報は“誤り”部分に追加.

そのようにして見ていけば,ある場合はニコニコ部分が増えてプンプン部分が減って,-_-部分がかなり少ない,では“大分確からしい”情報として分類しよう.
そういう姿勢が今改めて求められているのではないか.と思うわけです.

もちろん情報そのものにも摂動がかかっているのはいうまでもありません.

  • アカハタであれば,ぷろれたりあ的摂動がかかっているであろうし
  • さんけいであれば,アカハタとは符号の違う摂動がかかっている

だろうけど,それを承知の上で幾分寛容で幾分懐疑的な姿勢で各々の情報をとっていくわけです.*1

*1:蛇足すれば,西欧はもすりむに敵対的な意見をいうだろうし,はてさって言うからはてなはあれで,ネトウっていうから...みたいな