金利2%の銀行口座に100万円を入れたら5年後にはいくら?のはなし

表題の話がブックマークで話題.

三択で

  1. 110万円より多い
  2. ちょうど110万円
  3. 110万円より少ない

で正解は 1 だというのだけど,わたしは 2 なんじゃないか,という重箱の隅エントリー.

概算は下の理屈でやっていけばいい.
精度を上げるには次々と項を追って計算していけばいい.
けど,これを使いたくなるのはほとんど最初の二項でケリがつくと思えるときである.
二項定理 - Wikipedia
パスカルの三角形 - Wikipedia
このページの説明の図を下に直リンで貼る.
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f6/Pascal%27s_triangle_5.svg/540px-Pascal%27s_triangle_5.svg.png
要は,元手を 1,利息を x としたら,
一年目: 1 + x
二年目: (1 + x)^2 = 1 + 2x + x^2
三年目: (1 + x)^3 = 1 + 3x + 3x^2 + x^3
四年目: (1 + x)^4 = 1 + 4x + 6x^2 + 4x^3 + x^4
五年目: (1 + x)^5 = 1 + 5x + 10x^2 + 10x^3 + 5x^4 + x^5
2% とは x=0.02 だから x^2=0.0004,10x^2 ということは五年後でも 0.4% しか複利の寄与はないということ.
例えばバブルの頃の定額郵便貯金では利率が 8% ということもあった.半年の複利なので厳密には年利 8% の複利とは異なるかもしれない,けど仮に 8% の利率と単純に考えても x^2=0.0064,10x^2 を考えると 6.4% と一回ボーナス利息がついたことに近い感じになる.
だから,今の低金利時代だと単利と複利の違いにピンとこないのは自然で,2% 金利 5 年を例にとって“単利と違う!”というのは例として今ひとつエレガントではないな,と.
トイチとか,利息制限法の上限金利 15% から 20% で上の計算をやってみると“複利ってこんなにすごい!”とわかると思う.

参考文献

  1. 原島鮮“初等量子力学” (1972) 裳華房
  2. アルビン・トフラー,ハイジ・トフラー“富の未来(上)(下)” (2006) 講談社

そういうわけで私の取っている姿勢は

アカハタも読んでますし,さんけいも読んでいます.*1どちらかの限りなく正しいと思われることがもうひとつの有力な疑念の証拠にもなる場合があります.
そういうふうにして,テレビにも新聞にも政府の見解,ネットでの見解にもあたるわけです.もちろん,タイトルだけでもうそれ以上は結構という場合がほとんどですが,“え?お前がそんな事いうの?ってことは”みたいなこともあるわけで.ただ,“それはお前が愚かなだけ”という意見もあるでしょう.でも,そうであっても上記のような姿勢を目指すことが情報強者への道だと思うのです.
それに,さっきの図で保留の部分が全部の人は“愚かである”かもしれないし,保留の部分がない人は“盲目的”とも呼べるでしょう.ただ,さっきも言ったその保留の部分を総合的に狭めていくのが,これからの人間の英知なのではないでしょうか*2.
実は,先日の放射線検出器の話もそういう観点から思い起こしたものなのです.即ち,今回の原子炉騒動で“政府が悪いのか電力会社が悪いのか”についても保留部分が大きいし,“ヤバいのか,直ちに影響はナイのか”についても保留部分があるわけです.そのなかで,みなさんの明らかに正しいと思う,誤りと思うの資料を提供すべきと思ったわけです.
ああ,すごく長くなちゃった.
おしまい

*1:※ネットで

*2:昔はオバアチャンが苦しい時にはこうするといいよ!ってのが信じて良いことであり,正否を検証するのも容易でしたが,今溢れている情報のほとんどはもうそういう事ですらない

思いついたきっかけ:ガリレオ・ガリレイ“それでも地球は回っている”

まあ,ほんとに本稿を書こうと思ったのは“はじめに”で書いたことが直接的なきっかけなんですけど.
もうひとつあって...今でも思い出すとフユカイなので,ここが当人に見られてあーだこーだ言われるとさらにアレなので相変わらずぼんやりとした言い方になってしまうのですが...
あるサイトで複雑系の話になって

  • Me: 〇〇はあやしい.一次的証拠がないから
  • Him: 世界的な権威のある http://チョメチョメを見れば明らかである.一次的証拠である.怪しいというのであればそれを否定している権威のある情報源を示せ
  • Me: 測定例としては http:// ☓☓ をみると違って見えるし,そもそもhttp://チョメチョメがおかしいこと言ってるじゃないの
  • Him: いやいや, YOU の言っていることが正しいのであれば,権威のある雑誌のはぁはぁとかびんびんコンソーシアムが発表すると思うから.そういうのが出てこないんなら,ネットでデマ流すのやめてね.おつかれ!

まあ,そういうわけでその人は国際的権威であるコンソーシアムだか学術雑誌であるチョメチョメのサイトの結論がしかじかであるから正しい.という調子だったので,そういう流れで私が証拠を積み上げていっても基地外的(ある意味正しいけど)なので早々に退散したわけです.
要するにこの He はかつてのガリレオ・ガリレイが“地球が回っている”と言ったら“教会が回っていないって言ってるんだよ,おつかれ!”と言うだろう*1.ということなわけです.*2

*1:現代だったら“政府が言ってるから回ってる”,“ネットで言われているから回ってない”とかね

*2:もう一つ,私が学生の時厳しく仕込んでくれたボスがいまして,その方が今ある分野で“権威ある”雑誌のレフェリーをしていて話したのですが.ある方がその雑誌に論文を投稿して色々やりとりをしたのだけども,決着がつかないか何かで,“そういう意見もあって然るべきでまずは雑誌に載せて議論を待とう”としたら,その彼の方は雑誌に載ったのだから正しいと主張してその後歩んでいったとか.これも情報に加えられる摂動を利用したというか利用された例なわけです. Physical Review Letters ってのは物理界では“権威ある”雑誌ってことになってますけど,実際にあの雑誌が来るともちろんレビューを通った論文(レター?)も来るわけですが,巻末には Re: って感じで随分反論・反証みたいのが載っていた覚えがあります

摂動論的アプローチ

まあ,そうは言っても私の貧困な英知では完全にわからないことを第一原理的に解析的に解決しろと言われても無理であって,私に思いつくのは摂動論というわけです.なにか起こったときにまずその主要因(あるいは primary term)は何なのか,その主要因に変更(= 摂動)を加えている要因は何なのかを考えていくわけです.先入観なく.現代の複雑系はとても高次でしょうから,摂動的なアプローチでは厳密解は得られない.場合によっては摂動が主要項になったり,主要項が摂動だったりするわけです.
もう一度図を示しますが,

例えば,私の場合

  • 夕焼けが赤いのは透過光だから,昼間の空が青いのは散乱光だから,的なものはほぼ揺ぎ無く正しいのでそういう情報は“正しい”部分に追加.
  • 水に優しい声をかけると物理だか化学的に良い変化が起こって,汚い言葉をかけると良くない変化が起こる的な情報は“誤り”部分に追加.

そのようにして見ていけば,ある場合はニコニコ部分が増えてプンプン部分が減って,-_-部分がかなり少ない,では“大分確からしい”情報として分類しよう.
そういう姿勢が今改めて求められているのではないか.と思うわけです.

もちろん情報そのものにも摂動がかかっているのはいうまでもありません.

  • アカハタであれば,ぷろれたりあ的摂動がかかっているであろうし
  • さんけいであれば,アカハタとは符号の違う摂動がかかっている

だろうけど,それを承知の上で幾分寛容で幾分懐疑的な姿勢で各々の情報をとっていくわけです.*1

*1:蛇足すれば,西欧はもすりむに敵対的な意見をいうだろうし,はてさって言うからはてなはあれで,ネトウっていうから...みたいな

全ては複雑系

気象・地震など環境問題,国際的な(政治・経済・外交)問題.今我々がわからなくてわかろうとしている諸問題はほとんどがいくつもの要因が重なってある事象(アウトプット)が起こっている.そういう点ではまさに複雑系と読んで差し支えない.そして,これらのアウトプットをただ google で検索して,出てきた Yes/No を平均しても正しい解とは異なることが直感的に理解できるでしょう.そういう数値解析的手法はもはや最先端の科学でも当たり前に使われていますが,そういうのはコンピューター的な人・モノに任せればいいわけであって,まさしくそういうのが情報弱者と呼ぶにふさわしい,みたいな.

次世代情報理解モデル

典型例を下記に示します.

要するに,どのような情報を受け取ってもある程度の“寛容さ”と“疑い”の目をもって情報に接し,即座に正誤を判断するのではなく,常に正誤の保留部分を意識して,その部分についてその他の情報および各自の知識に基づいて保留部分を少なくしていく.と,いうのが真の英知というものでしょう.
上記のことは最後にも述べますように太古の昔からあることだし,現在でも普通に行われていることですが,現状では(知識量に対して)その意識が薄まっている(薄められている)と思います.