呉越同舟2.0としての 柏崎刈羽原発再稼動反対運動

ここで言いたかったことを、もっと簡潔に言う言い方を思いつきました。

「柏崎刈羽原発の安全性について、地震前と地震後の違いを見極めることに世論を集約しよう」ということです。特に、地震前の安全性について意見が異なる人が、この部分については情報を共有し一緒に議論を行うことが重要であるということ。

これまで反対運動をしてきた人には、もともと原発は危険なものであり、地震の有無に関わらず稼動反対の人が多いのではないかと思います。

一方、原発を安全確実に運用する技術は確立されており、地震の前には柏崎刈羽原発には充分な安全性があると考える人の中にも、地震でのダメージに懸念を持っている人がいると思います。こちらの記事で取りあげた反対声明も、「地震前の安全性を確保して再稼動することは困難である」という主張のように思えます。東京電力の中にも、そういう考えの人はきっとたくさんいると思います。

  • (A) 地震前から柏崎刈羽原発は危険なものであり、当然、再稼動は許されない
  • (B) 地震前には充分な安全性があったが、地震後はそうはならない懸念がある
  • (C) 地震前には充分な安全性があり、無事に停止したことでそれが証明された。復旧作業と点検を行なえば、再稼動できる

仮に、(A)を全廃派、(B)を是々非々派、(C)を強行派と呼ぶことにします。

(A)全廃派と(B)是々非々派は「再稼動中止」という目標を共有していますが、基本的な考え方は違うと思います。そして、(A)全廃派と(C)強行派の間より、(B)是々非々派と(C)強行派の方が隔りが少ないと思います。

私が懸念しているのは、(A)全廃派と(C)強行派の対立関係が表に出て、対話の道が実質的に塞がれてしまうことです。

望ましいのは、(A)全廃派と(B)是々非々派が連携し、なおかつ、(より(C)強行派に近い立場である)(B)是々非々派の人たちが前面に出て、(C)強行派の立場の人と建設的な議論を行うことです。

その為には、(A)全廃派の人たちが、地震前の状態での柏崎刈羽原発の安全性の評価については、一旦、議論を保留する必要があると思います。また、(B)是々非々派と(C)強行派が技術ベースでの議論ができるように、むやみに他の原発との関連に議論を広げないという自制が求められます(技術的な比較対象として意味がある場合は別ですが)。

(B)是々非々派と(C)強行派の間には、技術という共通の語彙があるはずなので、その語彙が使える環境になれば有益な議論ができるだろうと私は思います。その結果、再稼動を止めることができれば、(A)全廃派の人にとっても良い結果と言えるでしょう。「廃炉」という成果を勝ちとった瞬間に、(A)と(B)は違う道を歩むことになるのですが、それまでは連携すべきであり連携することが両方にとってメリットがあります。

ついでに、関連エントリのコメントでの問い掛けについて。

ただ、「文系」の論理は唾棄すべき政治的配慮や素人考えへの迎合だけでなく、経済効率性の追求という面もある筈です。安全に関する議論の場から「文系」を排除すべきとの所論は、かえって実行上のリスクを呼ぶのではないかと思えますが、如何でしょうか。

私は原発以外については、軍事におけるシビリアンコントロールと同様に、上記のような技術者同士の議論の上に、「文系」が立つべきだと考えています。企業であれば経営者やスタッフだし、政治であれば民意を代弁する政治家です。そういう人が、専門家の判断を上位からコントロールすべきだと思います。

しかし、非常時においては軍事では現場指揮官の判断のみで物事が決定することがあり、シビリアンコントロールは事後におけるその現場指揮官の判断を検証する形で機能します。相手が突撃してきて目の前にいるのに、いちいち後方の政府の判断を仰ぐ戦争指揮官はいません。

原発というのは、稼動した以上、一歩間違えば大惨事を起こす可能性があるので、常に非常時だと思います。軍事における戦闘状態と同じく非常時であると認定して、シビリアンコントロールの例外とすべきだという考えです。そんな危いものは無い方がいいと思っていますが、ある以上はそう扱うべきだという考えです。ですから、ここについては、文系は理系をサポートする側に徹するべきだと思います。

関連: アンカテ(Uncategorizable Blog) - グーグルランクと課題図書 (この文脈に即して言えば、グーグルに対するシビリアンコトロールが必要では?という問題提起です)