サイバーパンクと未来への想像力
サイバーパンクと未来への想像力 2007/09/02 ワールドコンテーマ
情報社会化でサイバーパンクが予見していたものしていなかったもの。
携帯、mixi、というサイバーパンクが一番弱かったもの巽さんはサイバーパンク関係のほとんど出席しているので。
サイバーパンクの総括:4半世紀、日本への影響。
サイバーパンク的想像力がどうなるか巽:
サイバーパンクの歴史的経緯を「サイバーパンク・アメリカ」という本にまとめているいくつか規格があるなかで
小川隆がやっているのと2系統
小川さんのはアメリカの今のこどもたちを書いているもの
原型としてパット・キャディガン→http://homepage1.nifty.com/ta/sfc/cadigan.htmエレン・ダトローhttp://homepage1.nifty.com/ta/sfd/datlow.htm
アイリーン・ガンhttp://homepage1.nifty.com/ta/sfg/gunn2.htm
などウィリアム・ギブスンと歩みをともにしてきた者たち1982年がひとつの転機
「ブレードランナー」
映画館に運んだギブスンが最後まで見ないで映画館を出たというのは有名な話。
それから84年のニューロマンサー
今みたいにネットがないので想像の産物としてサイバースペースを描いていたしかし、SFのコミュニティでは斜に構えた受け止められ方をしていた
サイバネティックスそのものはSFにいくらでもあったので、
こういうのこれまであったよねという先祖探し、ストーリーはベスターじゃん、
とかティプトリーじゃんとかとか。まず大きいのは単語を発明したということ。
「サイバーパンク」という単語を作ったのはギブスンでも編集者でもない。
ブルース・ベスキという人の短編小説に「サイバーパンク」というのが。
(「ワイルド・ワイルド・ウェスト」のノベライズでかろうじて名がしられている)サイバーパンクがしたことは、サイバースペースだけでなく、アウトロー
テクノロジストを描いたこと。
眼窩埋め込み式ミラーシェードもそれより前にシティカムアウォーキン(?)で。
ジョン・シャーリーがサイバーパンクについて、
「パンク音楽において怒りのエネルギーと幻視力の強さを合わせ持ったグローバルな
世界観を提示するところのサブジャンル」
と言っている。
ルイス・シャイナーなど→http://homepage1.nifty.com/ta/sfs/shiner.htm
あと、レイバーデイ・グループのG.R.R マーティン
http://www.asahi-net.or.jp/~li7m-oon/doc/article/SFM0010.htm桜坂さんが前の打ち合わせで、サイバーパンクは未来に関する想像力を広げる
ムーブメントをなしえた、と言っていた。
今そういう未来を創造するムーブメントをなしえるかあやしい
当時はバラードとかのニューウェーブ、インナースペース。
サイバーパンクはアメリカの中から出て生きたアメリカニズム批判だったのが
刺激的だった。
スターリングに会ったとき、"Our time has come"と言っていた。
最近アイリーン・ガンから聞いたところ、
表面的にスターリングがサイバーパンクの活動の中心で、ギブスンは表面的には
政治的な活動をしていなかった。
しかし、小説を読めば実は最初からとても政治的だったのがわかる
作品で、テロのひとつの形を語っている。そのやり方は一見政治的ではないが
高度に政治的な内容になっている。アイリーン・ガンが(?)84、5年にデビューしたとき、ギブスンに尻をひっぱたかれる
ようにもっと作品を書けと鼓舞された。
ニューウェーブについて、ギブスンは"We'll get over the SF"と言ってた。
ムーブメントを意識し政治的に運動していた。ニューロマンサーの日本語訳は86年
実験的な和訳を駆使。行の両側にルビを振りたかったが編集に止められたというエピソードが。
サイバーパンクを読んだとき、近いと思ったのは大原や神林。
サイバーパンクの作家はみんなディック、ティプトリー、ヴァーリーを意識している
日本では、大原、神林の前に、サブカルチャー的なのをとりこんだSFは田中光二さん
「幻覚の地平線」という傑作がある。
ギブスンのもたらしたかっこよさを体現していた。
日本でも想像力はシンクロしていた。イマジネーションが同時多発していた。
しかし作品は輸入一辺倒。海外にアピールするということは80年代にはなかった。
サイバーパンクという言葉がかっこいい。ギブスンとスターリングの「ディファレンス・エンジン」。これも傑作。
最近のギブスンは対象を少し移して、ジャンクヤードを好んで描くようになった。
九龍とか9.11で倒壊した橋が共同体になっていく、とか。93年ごろに、エイミー・トムソンの「バーチャルガール」。
この小説が先でそれが攻殻が出た。
エイミーも攻殻を、自分の書いたもののようと思った。
その後は、押井、マトリックス
そこから同時多発的。今はアメリカと同じようなタイミングで日本の作品が出てきている。
その速度はインターネットのおかげ。
想像力も伯仲している。ワールドコンができるようになったのもそこ。
今海外が日本のSFを同時に見ているという、反対方向の視点が生まれてきている。
同時多発。知らず知らずのうちに想像力の上で双方が共作している、という
可能性もでてきている。桜坂:
「ニューロマンサー」発表から翻訳まで2年。
今考えると、すごく早い。
たとえば、スノークラッシュは92年、翻訳は98年。巽:
スノークラッシュの日本差別で出版社がなかなかなかった。
リーディングの段階で敬遠されていた。桜坂:
「スノークラッシュ」を読んで、なんでこんなに遅れるんだろうと思った。
同時に、遅れているのに面白くでこれはやばいと思った。
ハッカー、コンピュータ文化と同時にはやった。
自分がコンピュータ始めたときと比べると通信速度はすごく上がっている。
デビュー作で、ちょっと未来のことを書くつもりで、
CDなんてばからしいDLに、という言葉を出したが今はそれも普通。
サイバーパンクは、すごく未来のことを書こうとしているから今のぼくらに近いと思うついていけない
ニューロマンサーは主人公がジャックインできない状態から始まる。
その状態を、「肉人形になってしまった」と。
知覚を改造して新しい世界に行く、という考え方。そこで今と違うのは、仮想世界。現在の仮想世界の代表といえばSecondLife。
でもそこに人はいない。企業ばかり。
ディックの描いた世界みたいななっている。宣伝の嵐。そこには人は行かない。
逆に、アバターを使っていくのではなくテキストでやりとりしている人は
ジャンキーになっている。ニューロマンサーはそこを先取りしていた。ラノベでネットワークはあんまり出てこない
身体の拡張だと意外に出てきている。セカイ系はそっちのが多い。
最終兵器彼女、イリヤの空
世界系は、記憶の改変もなにもないのに、SF的要素は女の子に押し込めている
男は何もしない。悩むだけ。サイバーパンクっぽいのははみんなお前がやれ、と
押し付けている。けっこうすごいことかなーと思ってた。
こんなもんでいい?東:
いいんじゃないかと思いますwいくつか面白い話が。
海外SFとの同時性という話。
それはサイバーパンク的要素を解体していった感じ。
日本だとラノベに。
一方で、昔に比べると日本の創作や批評は国内に閉じているように見える
国内の現象でのみフィクションのムーブメントが語られている。
「ゼロ年代」はまさにそう。
アメリカのセカイ系作家って誰という問いすらない。巽:
その分アメリカの人が日本語を勉強できるようになった
セカイ系のことをん勉強している。
逆に、たとえばバラードが日本におけるSFを考えたかというとそれはない。
それと同じことでは?東:
力がついてきたから考えなくていいんだ、というのではダメではないか。巽
今回のワールドコンでは、ジャパノロジスト(日本学者)が何人か来ている。
過去10年で日本学者の質があがっている。
日本SFでサイバーパンクにあたるものを読みたいといわれたとき、いくつか挙げた。
大原の「メンタル・フィメール」、荒巻義雄の「やわらかい時計」など。
当時は、ラフな翻訳をするのを探すのが大変だった。
95年以降、日本語ができる人が一気に増大した。
アメリカンポップスを聴いて英語を勉強したように
日本のアニメや漫画を読んで勉強したいという人がふえてきた。
今日本で使われているジャーゴンも勉強している
わび・さび・萌え
受けと攻めもそのまま英語に東:
外国人が日本語読めるとかどうでもいい。
日本の若い作家たちは同時代の海外の作家が何書いているかとか全然追わない。
「ゼロ年代」を読んで思ったのは、宇野くんが作っている言葉は
日本の中のみを見てつくったものだということ。
歴史的に批評というものは、海外のものを見て、国内を考えるというのが
ずっとあった。
ゼロ年代とかでは、海外の作品・批評が関係なくなっている
国内の文脈に閉じているというのが起きている。
どうやったらそれを崩せるかと考えている。
セカイ系を海外が読んでいても、日本人がBLやセカイ系が外国にあるのか、
国境を越えたシンパシーというのがない。巽:
神林さんが、デビューしたとき海外の作家を意識していた。東:
今そういうのを考えているラノベ作家はいない巽:
#今神林さんは自分が一番と思っているけど。それも日本の独自性として研究しようとしているのかも
個人的に、「最終兵器彼女」非常に好き。
あと、小林エリカの「爆弾娘の憂鬱」
本人が核爆弾。恋愛しようとすると爆発する。
海外と比べるととんでもないアイデア
ピンチョンの「重力の虹」は、人間そのものがロケット人間、レーダー人間という話
臭いを生理的に感知して勃起するというすりこみを子供のときにされている
そのときは重厚だったけど、それが解体されてポップになって
最終兵器彼女とかになった、そんな面白さがある。東:
そうではない。(あきらめて)ともかく。
ラノベの越境、融合。
すべてを女の子に押し込めるということが可能だった。
男は私小説なことをしていた。
物語の動機がみんな女の子にある。桜坂:
いいと思うのは、必然としてSFが出てくるということ。
意外になんでもできる
自分の作品「All You Need(ry」もそう。
無理やりのSFがすくない。
SFジャンルが縮小したら、外側の人がSFを書き始めた。
合理性をもってガジェットを選んでいる。だから強度がある。
「最終兵器彼女」も「イリヤ」も必然性があるとして受け容れられている東:
GeetStateでは、2045年のセカイを設定するのでいくつか制約を設定している
人間の身体的変化はないとする。それをOKにすると、描く社会が根本的に
変わってしまうので。
AIにも制約。意識というHPをもったAIなど出来ると人間の定義が変わる。
それだったらチャールズ・ストロースみたいなものを書けばいいニューロマンサーのジャックインができなくても今のセカイは十分変わっている。
コミュニケーションで十分変わる。ニコ動、mixi
知覚系のサイバーパンクとは別に、コミュニケーションとしてのサイバーパンクが
あるんじゃないか。
それをどうやって小説化していくか、というのがGeetStateの課題。
アメリカのサイバーパンクでコミュニケーション系にシフトした作家は?
スターリングがそうではないか。巽:
確かにそう巽:
20年代のSFは未来を予測していた
キャンベルのextrapolation: 今のものを元に未来を直線近似する。東:
逆に50年経つと人工知能とかできてしまうではないかと思っている
GeetStateは、未来を予測するのを目的にしていない。今の現実を考えるための思考実験
SecondLifeはあまりはやりそうにない、
でもぱっと見には仮想世界を実現したというイメージがある。
日本人の行動で一番SF的なのは、みんながケータイの画面を見ているということ。
こっちの方が攻殻よりすごいと思う
でもそのスナップショットを見ても、どのぐらいすごいのかわからない。巽:
ギブスンのジャックインだって、きっとその間は生身の肉体はぐったりしている。
それはケータイを使っている人がうつろなのとアナロジカル。
そこを描いてもSFにならないという点で同じ。東:
現実が見えなくなっているとしてそれをどう描くのは
小説としてかっこよく描くにはジャッインみたいなギミックが必要
ニコ動見ている人だって、本当にやりたいのは違うかもしれない。
ただ弾幕をやっているのか。その背後にあるのは何なのか。
ギブスンをそれを加工した。
技術が社会の中に入ってくることで語り方も手に入れた。
そういうのを考えてみてもいいんじゃないか。桜坂:
「マイクロチップの魔術師」も後ろにいるのばばばぁ。
そのオチを読んで、そうなのかと1回目は思うけど繰り返されてもつまらない巽:
接続された女も本体はブス
日本でたとえば「冷たい方程式」はその亜流の作品を色んな人が書いた。
それと同じように「接続された女」ものの系譜がある。
イーガンの「しあわせの理由」もそれを意識している
飛浩隆の「ラギッド・ガール」はその一つ。東:
geetStateでは脳に触れない
ただ、ある程度はできるようにしている。
動ポモを書いているとき考えているのは
頭に薬物を入れてラリっているのと同じように記号でラリッている状態
それを短編で表現しようとしたとき、脳生理学的な技術を使うのが最も簡単。
現実ではそれをもっと繊細に行っている。東:
ストロースらが描いているのは、現在をメタファーとしてそのまま描いている
それをどこまで封じて面白くエンターテイメントとしてできるかニコ動をみてて飛んでいる、その卑小な光景をかっこいいイメージに
しないで面白く描く巽:
ニューロマンサー、日本でも多くの人が絶賛したけど、
京都のソラリス喫茶店のおかみは大批判
いわく、描かれているのはただの人間のくずじゃないか。
嶋田洋一が、パッド・キャディガンとか訳していて、そんな人間のクズばっかり
訳していたくない、と言っていたw東
多くの人がくずになっている
人間のくずがいっぱいいても社会がまわってる。
そういう社会が成り立つのかをずっと考えている。巽:
それが、アウトローテクノロジスト
寄せ集めのテクノロジーで体制に立ち向かうアンチハイテクなローテク
ニューロマンサーの出た84年に
ピンチョンがラッタイトについてのエッセイを書いている
将来破壊運動をする輩らは、コンピュータや機械を熟知した上で社会を内部から
転覆するためにそうするのではないか。東:
社会と個人の関係を描くとき、国とか警察とか出しがち
そういう対立は物語になりやすい
そういう構造じゃないところで描きたい
GeetStateが地味なのは、そういうこと
設定として、いろんな階層の人がいるけど、チューニングされてて階層間の軋轢が
おきない。簡単な対立がない
GeetStateの短編で学園ものを書いているけど、
そこでは生徒がみんなゾーニングされている。
物語がなくなった本質は、物語がコンフリクトからくるから。
コンフリクト解消を洗練しているのが現実
その点で、セカイ系はいさぎよい。社会はもうわからん。僕だけがここにいる。
世界に参入できないまま終わる。
それも解決の一つ
向こうで動いていることはどうでもよくなって。
メカニズムがわからない。
GeetStateやっててちゃんと物語を作ろうとすると難しいと感じた。桜坂:
将来的にはコンフリクトは祭でしかおきないのかも。
特異点として軋轢がポップアップ
ニコ動では、荒らしと自演との区別がつかない。そこがすごい
次の祭の基本になるのかなと感じている東:
ニコ動って、コメントはリアルタイムじゃないのに、みんながリアルタイム
に書き込んでいるような感覚で見ている。
このマジック。
人の時間をばらばらにするのがこれまでのネット
その中で祭りが大切にされてきたのは、同じ時間や空間を共有できる場所だから。
しかしニコニコはそうでない。
リアルタイムではない技術とリアルタイム性の関係には興味がある。
物語を作るとき、人が出会わないといけない。
携帯があるとAとBの情報がつながらないから誤解が起きて。
「24」は逆手をとって、携帯で連絡をというのが日常になると世界が平板化する。
携帯、SNSは、物語の構造そのものを変える。巽:
GSには宗教が出てくる?東:
設定しようと思ってまだちゃんとしてないけど、ある。
ハッカー文化、その起源としてニューエイジ
その考え方が技術的に洗練されて強力になる
著作権とかプライバシーとか、これは情報の私有化の問題。
ちょうど現実で土地の私有化が経済になったように。
オープンソースも新しい思想。
監視社会でオープンになったとき、OSSの人はもう自分の情報をオープンにする、
そういう集団を設定している巽:
オープン教といっている。
きっとその中に入るのだろう
ディックのマーサー教とかとちょっと違う
未来を考えるとき宗教が重要だった。
宗教は時間感覚を発明してきた。
ウェーバーのプロテスタンティズム、銀行のもともテンプル騎士団
宗教はかつてのような形ではなりたちにくくなっている時代になっている
そのとき信仰は何か。
資本主義と宗教の境界はなくなっているけど、ちょっと違う東:
ユビキタスコンピューティングであらゆることの単位が個人になる。
これまで集団が単位だったのは情報処理能力が十分じゃなかったから。
個人ではないものを人はもとめる
普通は共同体や家族、
今後はそれも流動化していく
人がそこでつながる大きなものって何か。
一つには遺伝子。血。
人には必ず父と母がいる。
どれだけ人が個別化しても身体を持っている限り人と繋がってしまっている。
そういうのがもう一度重要になるのかも。
20世紀の後半、社会構築主義が力をもった
セクシャリティ、文化的なものが構築された
21世紀にはその反動がくるだろうと思っている。
血液型みたいなおおまかなタイプは嘘だろう、でももっと小さな社会構築が
出てくるかも。あるタイプの人はこういう人で、というのが積み重なって。巽:
それはつまり、本質主義。コギト再来。東:
そう。
ナチスなんかのゲルマンみたいなのは嘘だけど、もっと細かく分析すると
何か出てくるのかも。
保守化とかいうのとも違って、
文化構築とは違うものが。
科学的な基盤でなんとなく、この人はこういう性格で、というのが科学的に語られる
瀬名さんが言っていたのは、千ドルでゲノム解析をすべてやってしまう、という時代
が10年後ぐらいにくるかも。
そうなると色んなことが変わると思う。
みんなが分析すると、何かが発見されちゃう。それが真実になる。
ある種の差別が科学的な分析のもと復活する巽:
新たな優生学になるかもしれない。かつて不可能だったと思われたテクノロジーが実現するかもしれない
衛星放送、クラークが描いたときは絵空事だった。「奇術師」にも出てくるニコラテスラ
エジソンの考えたことはある程度実現しているけど。
20世紀前半の技術では実現しなかったことをテスラは考えてしまった
それでガーンズバックが。
エネルギーの送電も実現しつつある。東:
瀬名さんが、2045年ぐらいのロボットを予測しようとしても
社会のリアクションで技術が転換するので難しい、と言っていた。
社会と技術は相互に参照しあうところがある。
しかし普通の未来予測は社会が変わらないという前提で考えている。
そのキャッチボールをどのぐらい描けるか
人がコミュニケーションを求めるというのは技術(携帯電話)によって発見された
コミュニケーションの欲望は重要だと思っているのは今はそうだけど
2,30年前には社会学で話題になってなかった。
こういう結晶化作用みたいなものに興味がある。
発明が自走する、そこで欲望が発見される。
今から40年後だとまた違っているかも。巽:
現在、未来を考えると反動的になる。
実際にGeetStateが考えているのは先鋭的な現在。expolarate
未来学というのが60年代に勃興し、中公新書の第1弾に小松左京の「未来の思想」
が発行された。未来の自分の存在に投機する、という考え方。
丁度その頃新聞に、「御用未来学を断罪する」というのがあった。
小松さんはあの調子に突っ走って、日本沈没を出して、というのは確かに日本SFの
原動力になった。
GeetStateは、当時の未来学を批判的に読み直すというスタンス?
未来主義とか唱える人も最近いるが東:
そうではない。
フューチャリスト、学問じゃないのに学といっている。
未来を予測するが大事だと信じられた時代が一瞬あった。
すぐに石油ショックでふきとんだ
高度成長期と同じことはできない巽:
資本主義から降りる人が増えている。そういう世界を描くのがGSでは?東:
社会を考えることと宇宙の構造を考えることをひとまとめに考えることなんて
今できない。巽:
そういう人たちは、未来=明日になっている東:
若手社会学者が論座で、格差社会とかをみんなでやっている。
視野がせまくなっている。しかしそうなる必然的な状況があるということ。
小松さんみたいな広い視野で見ることはできない。
大きな物語がなくなっていく物語について考えたい巽:
「1984」だってずいぶんな未来。
今われわれのイメージは3日さきぐらいのになっている。
時間意識の変化にすごく興味がある。東:
ネットとかすごい勢いで動いている。
人は忘れっぽい
ケータイやネットがなかったことが忘れられている
時間感とか世界が均質化している。ケータイによって。
9.11以後、でこんなに時間が経っているのに、いまだに通じちゃう東:
高校生のとき、本当はなかったネットやケータイがあったように思い出す巽
それは、歴史改変小説、記憶改ざん小説ではw東
ずっと現在が続いている。
アクセス可能か不能かによってものごとが作られている
自分と竹熊さんの10年前の対談がニコ動に。コメントに「キモい」と付いていても
今の自分にはどうしようもない
無時間に残り続けて。コンテクストが失われている。
一方、批評は、コンテクストに依存している桜坂:
意味と時間がキャンセルされたってこと。アーカイブになる。
空間も近くなっている
まだ地球の裏側にいくには時間がかかるけど、もう少し速くなるとそれも気にならなくなる巽
確かに。それは、conquerがキャンセルされたに変わるということ。ちょっと感動した
#ここ意味わかりませんでした。東
そこで物語が作れるのか
身体は時間も空間もあるところに存在している。
おたくはアーカイブに接続して自己を認識している。老いとか考えない
身体には時間が刻まれない。アーカイブにはキャンセルがたまっていく。
そのギャップは大きな問題
印刷メディアは一緒に老いていくもの。ネットは違う。
10年前のものを見るために10年前のPCを持ってこない。例えば卒業文集に対する考え方も変わってくる
巽
今から20年前に自分に語りかけるとしたらどういうこと?東
そんなこと言われても、未来はもうそうなるって言うだけ