2010年12月25日クリスマスの日にNHKで『日本の、これから「就職難をぶっとばせ!」』という2時間の討論番組がオンエアーされた。
もちろん、超氷河期と言われる就職活動がテーマなのだが番組を見終わって、これは学生の就職という限れれた範囲の問題ではなく、日本の社会全体の問題だと思った。学校で何を教えるのか、企業はどのように人材を採用し、そして社会はどのように人材を流動させる必要があるのかといった社会構造の変革時期に来ているということがよく分かった。
番組は三宅民夫アナウンサーが進行役で進み、就活中の学生(内定あり、就職のための留年を決めた人、既卒者など)や、経営者、人事担当、高校の先生、就職した先輩などが集まっていた。
ゲストは、下記のような方々で、勝間さん、海老原さん、宮本教授がそれぞれの持論を披露し、それについてディスカッションをした。
文部科学副大臣…鈴木寛,株式会社クラレ代表取締役会長…和久井康明,東京大学大学院教授…ロバート・キャンベル,経済評論家…勝間和代,株式会社ニッチモ代表取締役…海老原嗣生,放送大学教授…宮本みち子
勝間さんは次の2点を主張していた。
1. 日本の企業は新卒一括採用をやめて、アメリカのように不定期にエントリーレベルから採用したり、インターンシップによる採用をすべきだ。
2. 企業が社員を解雇しやすくする(=もっと人材を流動しやすくする)ように、セーフティネットを準備し、解雇された後の職業訓練や雇用手当を充実させる。
議論の中で重要だと思ったのは、日本の企業が新卒一括採用をする際のメリットについてである。企業側は新卒一括採用によって、新入社員研修をまとめて実施することができ、かつ、「同期」の意識を高めることで、同期同士での助け合い、競争、情報の共有といういろいろなメリットが生まれるということだった。ようするに企業は新卒一括採用によって新入社員教育のコストを抑えることができるということだった。
しかし、考えてみればアメリカのエントリーレベルのプログラマなどは年収200万円くらいだと聞く。そんな低賃金で雇えるのならば、不定期に個別トレーニングを受けさせてもコストアップにはならないだろう。
問題は、日本式で何十年もやってきた日本の企業がアメリカ式の雇用スタイルには簡単には変われないということだろう。司会の三宅さんは、番組の最後の方で「我々団塊の世代は、小中高大と学校を通り過ぎ、企業に就職して定年まで勤め上げるという、レールに長い間乗ってきた。今、このレールを降りなければいけない時代に来ているようだが、果たして降りられるだろうか。」と言っていた。
まさにそのとおり。日本人が高度成長期にやってきてうまくいっていたシステムを変えるためには、危機感がなければ変わるわけがない。右にならえでやってきて大きく失敗しないでここまでこれたのになんでシステムを変える必要があるのだと思っている経営者や人事担当は山のようにいるはずだ。
でも、いろいろな方面で日本が世界の一番でなくなってきた今、ひとと同じことをやっていてはグローバルな競争には勝てない。韓国や中国やインドの企業に負けて、仕事がなくなって今のポジションを守ろうと考える社員が多くなり、会社が潰れたり、合併されたりしてから問題に気がつく。
どうも、これまでの日本では周り同業他社を見渡しながら同じようなことをコツコツをやっていれば、なんだかんだいって売り上げは上がっていったらしいのだ。国全体が成長期にあったから、そうだったのだが今は違う。今は、日本の中でそんなことをやっていても、同業のアジアの会社には勝てないし、変化のスピードが早いので海外他社の成功を見てから真似しても間に合わない。その状況に日本人の多くが気づいていない。別な番組で、日本にいると SAMSUNG の驚異はあまり感じないが、東南アジアや中東、南米などに行くと明らかにSAMSUNGの台頭に驚くという。日本の平和ぼけは経済においてもボケのようだ。
新卒一括採用という制度は護送船団のように見える。人事部門は他の会社がやっていることを真似していれば大きな失敗もなく、経営者から怒鳴られることもない、学歴で学生を選ぶからひどい人材を採用する危険性も低いが、飛び抜けてユニークな大きな組織貢献をする可能性のある人材の採用もできない。そこから脱することもできるはずなのにみんなが周りを見渡して顔色を伺っているから、だれも動かない。
もう一つ、人材コンサルタントの海老原さんは、学生や親は大企業ばかりに目を向けないで、世界でも有数の技術を持つ中小企業などを探しなさいと主張していた。中小企業が学内でちょっとした飲み会のスポンサーになって、学生と直接話しをする機会を設けたらどうかという話しもしていた。マスコミを通すと中小企業の良さが伝わらないから、直接話しをする機会をできるだけ多く作ろうとう提案だ。
実際、今の学生は大手指向が強く、自ら狭き門に殺到している。従業員数1000人以下、300人以下という企業なら求人倍率は1倍を遙かに上回っている。
日本だけでなく、世界でのシェアも高い卵の選別をする機械を作る会社などは、せっかく採用したのに親に「そんな会社は聞いたことがないのでやめておきなさい」と言われ、内定を辞退する学生が少なからずいるらしい。だから、今では親子に対して会社の説明をする説明会をやるのだとか。
この問題提起に対するディスカッションで、大企業は安定しているし、何はともあれ就活サイトでは大企業の情報しか載っていないという話しがあった。優良な中小企業の情報自体が得られないというのだ。
コメンテーターから毎日新聞各紙を読んでいれば、中小企業の情報も入手できるという指摘があった。自分もそう思う。新聞だけではない、インターネットや業界のニュースサイトからだって情報は得られる。興味のある業界が特定されているのなら、業界新聞やその職種のひとが書いているブログを読むことだってできる。
今なら、PCの前に座って各方面の情報を探ればいくらでも情報は得られるのに、やっていないだけなのではないだろうか。誰かに情報の検索方法を教えてもらっていないから、他の学生はそんなことやっていないからしないのだろうか。
就活サイトという与えられた枠の中だけでしか情報を探していないのではないだろうか。これも右にならえ症候群の影響だろうか。
討論会の中で、就活学生はリスクについて考えた方がよいという話しがあった。大企業に就職した入社二年目の社会人の方がいて、同期が500人もいると自分がやりたい職種があっても希望どうりになる可能性は低い、大企業では会社に入ってからも競争が続くと言っていた。それが大企業のリスクだ。中小企業なら、社長と直接話しをする機会も多く、自分がやりたいことを主張すればその心意気を汲んでやらせてくれる可能性もある。英会話の能力を活かしたいと言えば、海外シェアの高い優良中小企業なら即海外営業担当になれるかもしれない。そこで自信がないと言うようではチャンスは巡ってこない。ただし、給料は安いかもしれないし、もしかしたらブラック企業かもしれない。それが中小企業のリスクだ。
どっちのリスクを取るのかだ。もしも、今自分が就活する学生なら、絶対に大企業のリスクは選択しない。ブラックでない将来性の高い中小企業を探して就職し、やりたいことを思いっきりやって、スキルが徹底的に伸ばし、もしも、その会社の器をはみ出しそうになるくらい成長したら、その実績を引っさげて別の会社に転職する。
討論会の中で悲痛の叫びを口にする学生さん達を見ていて思うのは、彼らは完全に「就職できないかも知れない」という恐怖におびえているということだ。そして、その恐怖を振り払うための方策として、受験勉強で使った方法を使おうとしている。
つまり、中学二年の間に中学三年生までの教科を終わらせて、中学三年生の期間は受験対策をする。大学1,2年から就職活動を開始し、4年生になったら面接のための塾に通ったりする。ようするに高校、大学の難関校を受けるときの戦略そのままだ。
企業には偏差値は付いていないから、よくコマーシャルや全国ニュースに出てくる大企業がいい会社だと考える。
この戦略の大きな間違いは、皆が同じ土俵で闘おうとしている点だと思う。共通テストや私立大学の入学試験は公正を期すために、できるだけ同じ土俵で学生達を闘わせようとしているが、企業は別に同じ土俵で闘う必要はないし、同じでないからこそ生き残れる世界もたくさんある。それなのに自ら競争相手の多い土俵に登りたがる心理が自分には理解できない。
一つは他の人が着目していないような優良な土俵を探すこと、つぎにその土俵で自分が勝つためには何をしなければいけないのかを考えることだ。どちらもひとと同じことをしていたらダメで、ひとがしていないことで自分のやりたいこととのオーバーラップを探す必要がある。日本ではそういう訓練はしてこなかったのだろう。
一昔前は大学への進学率は10~20%。今では50%を越えている。昔は、大学は学問を学びたい者が行っていたのだが、今では大学は限られた若者がいくところではなくなっており、彼らを全部就職させるためには職業訓練的なこともしなければいけないというVTRがあった。
これに対して、大学がアカデミズムの立場を崩すのはよくないという意見があったが、東京大学大学院教授 ロバート・キャンベル氏が、どんな分野であれ、学び、議論し、改善を模索するという行為を大学で学び取ることができればムダではないと言っていた。自分はロバート・キャンベルさんの言うことが好きだ。50%が大学へ進学する時代なら、アカデミズムもあり、職業訓練もありにしなければ結局は不幸な学生がでてくる。
大学では何でもいいから勉強する対象を通して、深く掘り下げて考え、分析したり、理論を打ち立てたり、問題を解決する力を養って欲しい。
そして、変えなければいけないのは学生と親が持つ価値感だ。働くことの意味はなんだ? みんなが知っている安定した企業に就職することか?
20世紀の時代には大企業=安定の式はなりたったかもしれないが、21世紀ではまったく信用できないし、大企業のリスクも存在する。
「みんなと同じ」=「安心」「仲間はずれにならない」
という価値感はそろそろ捨てよう。親は子供に「友達と同じことをするな」「自分だけのオリジナリティを磨け」と言おう。みんなが黒のスーツを着ていたら、自分だけはグレーにしてみなさい。「なぜ、君はグレーのスーツなのか?」と聞かれたらラッキーじゃないか。
ひとと違うことを突き詰めるのは「自分にはムリ」と言うのならば、職業訓練をしよう。学生のうちに、企業が興味を持つ分野のエキスパートになってしまおう。それが自分の好きなことと一致していればそれに越したことはないが、絶対にイヤだというわけではないのなら、何かの道を選んで一流と言われるまでスキルを高めてみたらいい。
『日本の、これから「就職難をぶっとばせ!」』を全部見て一番バカだと思ったのは、世界のトップシェアの中小企業に内定をもらっていながら入社を辞退した学生とその親だ。
本当にその親の顔を見てみたいし、「聞いたことがない会社だから」という理由で断った学生も親も親なら子も子なのだろう。
番組キャスターの三宅さんも言っていたがこの問題は就活学生だけの問題ではない、今一度我々は自分自身に「何のために働いているのか」という疑問を問い掛けてみる必要がある。
そして、その答えと今の社会のシステムにズレがあるのなら、未来の日本をしょって立つ若い人たちのために変える行動をしなければいけない。批判したり、評論したりするだけではだめだ。何かしらの行動をしなければいけない。
行動できなければ、それはひかれたレールから降りられないということだからだ。だれもレールから降りないのなら、さびれたレールは残り続け乗客はいなくなり廃線になるだけだ。
さしあたり、自分ができるのは学生向けにこのブログを通して情報を発信して「みんなと同じ」症候群から脱出する方法を授けることかな。
2010-11-21
新人と就活
今年の新人達がプレゼンするのを聞いた。ものすごくうまい。本当に信じられないくらいうまい。最近は個人情報ということで、どの大学の何を専攻してきたのか、学卒か院卒かも公開されないからプロフィールがまるでわからないが、プレゼン慣れしているのは確かだと思う。
あまり人前であがらないというのは現代的な特徴かもしれないが、観客が自分をどのように見ているのかを客観的に把握できているように見える。
就活で鍛えたのだろうか? 最近の就職は非常に狭き門となっているらしく就職を控えた学生の諸君は大変だという話しをよく聞く。
『内定の出ない学生は何が間違っているのか~学生、企業、大学、親がすれ違う悲惨な現状』を読めば大変な現状が分かる。
しかし、日本の企業はどうして「新卒」にこだわるのだろうか。これまでずっと同じシステムでやってきたから、いまさら変えることに不都合があるのか。能力主義、成果主義に切り換えたといいながら、実は年功序列が実態なので新卒という枠を外すと問題が生じるのだろうか。
日本の企業は大学、新卒とう枠を設けることで、自分達が欲しい人材がどのような人間であって欲しいか考えることから逃れていると思う。
ようするに新卒であれば世代という観点では同じ評価指標で考えられる。その土俵で人選すれば選びやすい。ところが、新卒という条件を外したら、もっと評価指標が増えるし、また、どのような人材を求めているのかをもっと明確にしなければいけない。
その組織にあった人材ということだけではなく、今、不足している、これから始めようとする事業に有効な能力、ポテンシャルを持った人材を選らばなければいけなくなる。というよりは選べるようになるのだ。
キャリア採用と似ているが、キャリアは十分ではないだろうから、人材を必要とする事業やプロジェクトに投入する際にポテンシャルの高い人を探さなければいけない。今まで以上に人事部門が事業部門と情報を共有し、どんな人材が必要か常日頃からディスカッションしておかねければいけない。
新卒しか採用しないのは、人事部門が新卒という枠でしか技術者を評価できないからではなだろうか。
その組織に、その事業に、そのプロジェクトに必要な人材がどのような者か、どのようなポテンシャルを持っているべきかを考えられるようになれば、新卒にこだわる必要がない。
ちゃんとそのコンセプトを示し、いろいろな経験をした広い範囲から人材を選べるはずだろう。
プレゼンがうまいのがもしも就活のために訓練したのであれば、それもよいが、エンジニアとして組織が求めているポテンシャルが高いのかどうかはそれだけでは分からない。
就職する側の企業が変われば、大学の姿勢や受験も変わるのではないかと思う。現在の就職状況では、一芸に秀でた人材が埋もれてしまわないか、日本ではチャンスは新卒の一回しかないのかどうか心配になる。
あまり人前であがらないというのは現代的な特徴かもしれないが、観客が自分をどのように見ているのかを客観的に把握できているように見える。
就活で鍛えたのだろうか? 最近の就職は非常に狭き門となっているらしく就職を控えた学生の諸君は大変だという話しをよく聞く。
『内定の出ない学生は何が間違っているのか~学生、企業、大学、親がすれ違う悲惨な現状』を読めば大変な現状が分かる。
しかし、日本の企業はどうして「新卒」にこだわるのだろうか。これまでずっと同じシステムでやってきたから、いまさら変えることに不都合があるのか。能力主義、成果主義に切り換えたといいながら、実は年功序列が実態なので新卒という枠を外すと問題が生じるのだろうか。
日本の企業は大学、新卒とう枠を設けることで、自分達が欲しい人材がどのような人間であって欲しいか考えることから逃れていると思う。
ようするに新卒であれば世代という観点では同じ評価指標で考えられる。その土俵で人選すれば選びやすい。ところが、新卒という条件を外したら、もっと評価指標が増えるし、また、どのような人材を求めているのかをもっと明確にしなければいけない。
その組織にあった人材ということだけではなく、今、不足している、これから始めようとする事業に有効な能力、ポテンシャルを持った人材を選らばなければいけなくなる。というよりは選べるようになるのだ。
キャリア採用と似ているが、キャリアは十分ではないだろうから、人材を必要とする事業やプロジェクトに投入する際にポテンシャルの高い人を探さなければいけない。今まで以上に人事部門が事業部門と情報を共有し、どんな人材が必要か常日頃からディスカッションしておかねければいけない。
新卒しか採用しないのは、人事部門が新卒という枠でしか技術者を評価できないからではなだろうか。
その組織に、その事業に、そのプロジェクトに必要な人材がどのような者か、どのようなポテンシャルを持っているべきかを考えられるようになれば、新卒にこだわる必要がない。
ちゃんとそのコンセプトを示し、いろいろな経験をした広い範囲から人材を選べるはずだろう。
プレゼンがうまいのがもしも就活のために訓練したのであれば、それもよいが、エンジニアとして組織が求めているポテンシャルが高いのかどうかはそれだけでは分からない。
就職する側の企業が変われば、大学の姿勢や受験も変わるのではないかと思う。現在の就職状況では、一芸に秀でた人材が埋もれてしまわないか、日本ではチャンスは新卒の一回しかないのかどうか心配になる。
2010-07-04
人財と人罪
あるセミナーでおもしろい図を見た。「じんざい」を四つの象限で表した図だ。縦軸はモチベーション、横軸はスキル。
もう一つの図。会社がリストラの必要性に迫られたときに、誰を残すかという指標。縦軸はビジョンを共有。横軸は仕事ができる。
【楽に生きていきたいと思っていると楽に生きていけないというロジック】
- モチベーションが高く、スキルもある場合は組織の財産という意味で人財
- スキルは高いが、モチベーションが低い場合は単なる材料という意味で人材
- モチベーションは高いがスキルが低い場合は、居るだけだから人在
- モチベーションも低く、スキルもない場合は居るだけで罪だから人罪
もう一つの図。会社がリストラの必要性に迫られたときに、誰を残すかという指標。縦軸はビジョンを共有。横軸は仕事ができる。
- 組織とビジョンを共有し、仕事ができる社員は残す。
- ビジョンを共有できているが仕事はできない社員も残す。
- 仕事ができるがビジョンが共有できない者は会社を滅ぼす。
- ビジョンも共有できず、仕事もできない者は不要。
【楽に生きていきたいと思っていると楽に生きていけないというロジック】
- 楽に生きていきたい
- 責任を負いたくない
- 会社・相手に責任を転嫁する
- 信用が落ちていく
- 楽に生きていきたい
- 面倒は避けたい
- 処理が遅れる
- 信用が落ちていく
- 楽に生きていきたい
- チャレンジする意欲はない
- やれることしかやらない
- 信用が落ちていく
- 楽に生きていきたい
- 自分の利益が最優先
- 他は利用すべきもの
- 信用が落ちていく
結果として楽に生きていけない。依存型の人間にどのようなよい仕組みを与えても、依存型は依存型としてこれを利用する。
【自立型人材のモデル】
- 自分を活かして充実して生きていきたい
- 率先して取り組む
- 責任は自分が取る
- 自分への信用が増す
- 自分を活かして充実して生きていきたい
- 面倒なことから逃げない
- 処理が早い
- 自分への信用が増す
- 自分を活かして充実して生きていきたい
- チェレンジしたい
- 自ら新たな状況を作る
- 自分への信用が増す
自分への信用が増すことにより、楽しく充実した人生が送れる。
【コンピテンシーモデル】
【コンピテンシーモデル】
職能資格制度の欠陥を払拭するために高業績者の成果達成の行動特性(業績・成果と連動した顕在的能力)を重視したコンピテンシーモデルが有効である。
タワーズ・ペリン社のコンピテンシー ※1
- コミュニケーション
- チームワーク
- 顧客志向性
- 成果達成志向
- 革新性/創造性
- ビジネス感応性
- リーダーシップ
- 自身及び他者の能力開発/育成
- 意志決定
- 順応性/柔軟性
- 問題解決
※1 コンピテンシーの定義の例 「継続的にその職務に求められる達成すべき最終成果責任を生み出すための効果的な行動を選択し、実際に行動に結びつけるという行動にフォーカスした能力で、しかも顕在的で他社から観察しうる行動レベルでの発揮能力」
【達成動機が強い人には成果に対するフィードバックを示すべし】
達成動機の強い人は成功報酬よりも個人的な達成感に関心を示すとともに、難しい問題に取り組んだり、解決すること自体に関心を示す。達成動機の強い人は自分たちの成果に対して具体的なフィードバックを求めることを強調している。
これは同感。解決すべき問題が部門間にまたがっているような場合、ルールやプロセスの変更が素早く承認されると達成感、満足感が生まれる。
ここまでの話し、どう考えても義務教育の学校では教えていないことばかりのような気がする。教えていないところか、正反対の依存型の人材を一生懸命作ろうとしていないだろうか?
改めて問題の根(依存型の社会人が多いという現状)は深いように思った。
2010-05-05
人は教育によってどれくらい変われるか?
4月5月は教育計画を立てる時期ではないだろうか? その時期にいつも思うことは「人は教育によってどれくらい変われるか?」ということだ。
教育によって知識を増やすことは可能だ。しかし、知識を増やすだけでは組織内の問題はなかなか解決しない。今の世の中、知識を詰め込むトレーニングは意味がない。なぜなら、知識の多くはインターネットで検索できるようになってしまったからだ。
必要な知識は検索したりお金を払って手にいることができるようになった。人間に求められているのは、それらの知識を使ってさまざまな問題を解決することである。
今読んでいる『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』(5/5現在でアマゾンのランキング1位!)には次のように書いてある。
【『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』p21-22より引用】
そうなると『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』に書いてあるように、イノベーションを起こせるような思考トレーニング、行動が必要であり、それがないと組織改善につながらない、ルーチンワークをこなすだけならルーチンワークのやり方を教えることでトレーニングは終わってしまう。多くの組織では中堅から上級の社員に対してはそれでは足らないと言われる。
しかし、プロジェクトリーダーの立場で考えると「人間はそう簡単には変わらない」と思う。上記の引用のようには考えていない大学の先生が大半ならいいが、現実はそうではないし、アメリカの大学でできることと日本の大学でできることは異なる。
人間何十年も生きてくれば育ってきた環境やこれまで関わってきた人々の影響を何らかの形で受けている。360度のうち1度、2度、3度くらいは変わることがあっても、10度、20度、30度も変わることはそうはない。
そう考えると、今いるプロジェクトメンバーに対して組織が欲しいと思う理想の型にはめ込もうとするのはあまり効果的ではないんじゃかと思う。どちらかと言えば、その人の特長、良さを引き出すようなマネジメントが効果的だと考える。
かねてからピーター・F・ドラッカーや、トム・デマルコはそれぞれの著書でそういっていたと思う。
仮面の忍者赤影(古い?)やゴレンジャー(まだ、古い?)や A Team や、幽遊白書のように、チームの中でそれぞれが特技、役割を持ちそれらを活かしてチーム全体としてのパフォーマンスを上げるのが一番いいと思う。
しかし、現実的な問題は解決すべき問題に対してどうしても現在のメンバーでは足らないスキルがあるときだ。こういうときにオールラウンドプレイヤーがいるとプロジェクトリーダーはとても助かる。プロジェクトのパフォーマンスを最大にすることできる。
そういうオールラウンドプレイヤーやキープレイヤーがいないときは、一時的にでも外から連れてこなければいけないのだが、そういうことができないときもある。だから、プロジェクト設立のときの人選はとても重要であり、それがうまくいくかどうかで7割方プロジェクトの成功が見えると思う。
このようなプロジェクト運営のやり方で起こる問題として次のようなことがある。
教育によって知識を増やすことは可能だ。しかし、知識を増やすだけでは組織内の問題はなかなか解決しない。今の世の中、知識を詰め込むトレーニングは意味がない。なぜなら、知識の多くはインターネットで検索できるようになってしまったからだ。
必要な知識は検索したりお金を払って手にいることができるようになった。人間に求められているのは、それらの知識を使ってさまざまな問題を解決することである。
今読んでいる『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』(5/5現在でアマゾンのランキング1位!)には次のように書いてある。
【『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』p21-22より引用】
教師はたいてい、学生に知識を詰め込むことが自分の仕事だと思っています。教室のドアは閉められ、机と椅子は教師に向かって固定されています。学生は、後で試験に出ることがわかっているので、熱心にノートを取ります。教科書を読んでおくことが宿題として出され、学生は黙々と予習します。大学を出てからの生活は、これとはまったく違います。社会に出れば、自分が自分の先生であり、何を知るべきか、情報はどこあるのか、どうやって吸収するかは、自分で考えるしかありません。実社会での生活は、出題範囲が決められずにどこからでも出される試験のようなものです。ドアは大きく開かれているので、何か問題にぶつかったとき、職場や家庭で問題が起きたとしても、友だちとの悩み事も、世界全体の問題を考えるときも、身の回りの資源をいくらでも利用できます。【引用終わり】
そうなると『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』に書いてあるように、イノベーションを起こせるような思考トレーニング、行動が必要であり、それがないと組織改善につながらない、ルーチンワークをこなすだけならルーチンワークのやり方を教えることでトレーニングは終わってしまう。多くの組織では中堅から上級の社員に対してはそれでは足らないと言われる。
しかし、プロジェクトリーダーの立場で考えると「人間はそう簡単には変わらない」と思う。上記の引用のようには考えていない大学の先生が大半ならいいが、現実はそうではないし、アメリカの大学でできることと日本の大学でできることは異なる。
人間何十年も生きてくれば育ってきた環境やこれまで関わってきた人々の影響を何らかの形で受けている。360度のうち1度、2度、3度くらいは変わることがあっても、10度、20度、30度も変わることはそうはない。
そう考えると、今いるプロジェクトメンバーに対して組織が欲しいと思う理想の型にはめ込もうとするのはあまり効果的ではないんじゃかと思う。どちらかと言えば、その人の特長、良さを引き出すようなマネジメントが効果的だと考える。
かねてからピーター・F・ドラッカーや、トム・デマルコはそれぞれの著書でそういっていたと思う。
仮面の忍者赤影(古い?)やゴレンジャー(まだ、古い?)や A Team や、幽遊白書のように、チームの中でそれぞれが特技、役割を持ちそれらを活かしてチーム全体としてのパフォーマンスを上げるのが一番いいと思う。
しかし、現実的な問題は解決すべき問題に対してどうしても現在のメンバーでは足らないスキルがあるときだ。こういうときにオールラウンドプレイヤーがいるとプロジェクトリーダーはとても助かる。プロジェクトのパフォーマンスを最大にすることできる。
そういうオールラウンドプレイヤーやキープレイヤーがいないときは、一時的にでも外から連れてこなければいけないのだが、そういうことができないときもある。だから、プロジェクト設立のときの人選はとても重要であり、それがうまくいくかどうかで7割方プロジェクトの成功が見えると思う。
このようなプロジェクト運営のやり方で起こる問題として次のようなことがある。
- それぞれに得意な仕事を割り振った後に残った誰もがやりたくない仕事を誰にやってもらうか?
- どうしても現メンバーでは足らないスキルがある。
- 他のメンバーの足を引っ張るようなチームの和を乱すものがいる。
「やりたくない仕事」は見習いレベルの者がいれば「すべては修行」と言ってやらせるし、中堅、ベテランばかりのときはチームとして必要な仕事であることを説明したときに理解し同意してくれる者にやらせるべきだろう。そういう者はいずれ上位に上がっていく。
どうしても現メンバーでは足らないスキルがある場合こと、トレーニングのときだが、トレーニングしてもダメな時はダメなものだ。データベースの設計をやったことがないメンバーに一週間くらいのトレーニングに行かせてもデータベースの設計はできない。
多くの場合、そういうときはお金を払って外部の協力会社に開発を委託するのだが、お金がでないときはどうするか、自分の場合はプレイングマネージャーとして自分がそのスキルを身につけるようにしている。一時的負荷は増えるが新しいことを学ぶことは楽しいし、オールラウンドの範囲が広がる。
チームに悪影響を与えるような者がいる場合、JaSST'10 Tokyo の基調講演で、Ms. Johanna Rothman (Rothman Consulting Group, Inc.) は、早めにクビを切れ(実際には転職先を探してあげたそうだ)と言っていた。
そういうもろもろの複雑な事情含めて考えると、問題解決能力の高いメンバー、新しいことに対して臆せず取り組んでくれるメンバーがいかに貴重であるかがわかる。
そういう人材を高く評価し、さらに伸ばす仕組みが社会的に確立されるといいなと思う。それは、ヒューマンスキルではないんだよね。ITSSたETSSなどソフトウェア系のスキルスタンダードは整備されてきたが、イノベーターとしてのポテンシャルを測るスケールがなかなか世の中にないから『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』が売れているんじゃないだろうか?
P.S.
日経コンピュータ 2010.4.28 号の書評に『リコールを起こさないソフトウェアのつくり方』が載ったので紹介しておく。
高品質・高信頼なソフト開発手法の解決書。トヨタ自動車がブレーキ制御ソフトの問題で大々的なリコールを実施したのは記憶に新しい。ソフトは大規模・複雑になるにつれ品質維持が困難になる。解決にはプロジェクト管理の改善とソフトの資産化が肝要と、組込みソフト開発歴20年の筆者は主張する。リコールになりかねない「危ない」プログラムの例にも注目。
著者として短いながら当を得た書評だと思う。感謝!
2010-04-24
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』を見て
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』という映画をTSUTAYAでレンタルして見た。あまりに内容がドラマティックだったので、これはどこまで脚色されているのだろうかと思って、もとのスレッドがまとめられているwikiサイトで記述をざっと読んでみた。驚いた。ほとんどスレッドに書かれていることが忠実に再現されているように見える。
考えさせられたのが、ここに描かれているのは組込みとITの違いがあるにせよ、同じソフトウェアを作るエンジニアの日々の風景だということだ。
この話しは本やコミック、映画になっているが、知らない人もタイトルを見れば、だいたい中身の予想は付くだろう。映画の中では R25 にブラック会社の条件が6つ書いてあり、主人公のマ男君が入社初日で全部当てはまることに絶句する。
【ブラック会社の条件】
【仕事の流れ】
考えさせられたのが、ここに描かれているのは組込みとITの違いがあるにせよ、同じソフトウェアを作るエンジニアの日々の風景だということだ。
この話しは本やコミック、映画になっているが、知らない人もタイトルを見れば、だいたい中身の予想は付くだろう。映画の中では R25 にブラック会社の条件が6つ書いてあり、主人公のマ男君が入社初日で全部当てはまることに絶句する。
【ブラック会社の条件】
- 就業規則があるにも関わらず残業が当たり前
- 何日も徹夜が続くことがある
- 社内に情緒不安定な社員がいる
- 必要経費が一切認められない
- 同僚のスキルが異常に低い
- 従業員の出入りが激しい
【仕事の流れ】
- 営業がクライアントから仕事を取ってくる。
- 同行した技術担当は要求された仕事に対して開発期間が足らないと感じる。
- 技術担当がクライアントにその日程ではムリと言おうとするとクライアントからダメなら他に回すよといわれ営業が受けてしまう。
- 開発委託を受けた時点からすでにデスマーチが始まる
- 納期に対してプロジェクト全体が責務を負い、遅れは分散するか特定のエンジニアへ集中させることでカバーする
- 要求定義→設計→実装→テスト という工程はキチンと踏んでおり、プロジェクトの終了はシステムテストの成績書がすべてパスしたときになっている。
- 死ぬほど残業してなんとか納期に間に合わせる。
そこでふと思ったのは、仕事の厳しさの違いはあるにせよ、この流れはどんなソフトウェアエンジニアも多かれ少なかれ経験しているようなことにように見えるということだ。
ブラック企業になるかならないか、もしくは、エンジニアが潰されてしまうかいなかの違いは、3のムリな日程を受けてしまうという部分と、5 の遅れの分散と特定のエンジニアへの仕事の集中のところだと思う。
【ムリな日程を受けてしまう営業】
クライアントとサプライヤという関係の場合、一般的にお金を払うクライアントの方が立場が強い。「イヤなら他に回すよ」と言われたら条件を飲まざる終えない。その条件を跳ね返すためには、ムリな日程を飲む以外の付加価値が必要になる。その付加価値が他の会社にはない価値でなければ競争に負けてしまう。
メーカーの場合、お金を払ってくれるのはエンドユーザーであり、リリースして商品が売れるか売れないかが分かるにはそれなりのディレイがあるから、請負開発の場合はよりプレッシャーが大きいと思う。
この問題は会社の経営者の考え方と経営方針で決まるのだろう。エンジニアを薄給でこき使って使い捨て目の前の売り上げを確保するという考えを持っているか、顧客満足を実現するのはエンジニアであり、顧客満足とエンジニアの満足・成長の両立を考えるのかで 180度環境は変わる。
後者よりも前者の会社に仕事を出すクライアントが多いとエンジニアにとって状況は改善しない。二次、三次といった下請け構造があると、下の階層になるほど環境は悪くなる。
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の主人公は、実力はあり、唯一近くにいたよき先輩に鍛えられてブラック会社の中で成長するのだが、ブラック会社にしか入れなかったのは学歴で能力を判断されてしまったからだった。
もしこの話しが本当であったのならば、マ男君は死ぬほど苦労したが、3年間でプロジェクトリーダーを一回経験しプロジェクトも成功させたのだから、その実績を使ってもう少し環境のよい会社や、クライアント企業への転職などもできるのではないかと思った。ようするに、学歴以外の実績は実際の仕事を成功させることで積み重ねることができると思うのだ。
【遅れの分散と特定のエンジニアへの仕事の集中】
これは「あたたかい人間関係の中のやさしい一員」という日本人の特性のよい面と悪い面が両方でていると思う。プロジェクトの中で職制がはっきりしておらず、遅れを全体でバックアップするというやり方は連帯感を生むメリット、達成感を共有できるメリットがある一方で、個の確立を疎外する側面もあると思う。
技術者個人の成果や負荷が見えにくくなると思うのだ。責任と権限が明確な世界では他人の領域には指示がなければ踏み込まないから最終的な責務と成果が個人別にはっきりする。
それが曖昧だとブラック会社では優秀なエンジニアに負荷が集中し、その成果はプロジェクト全体に分散されてしまう。ブラック会社でなくても日本の企業ではそういう傾向があるように思う。
そうすると優秀な技術者が潰される可能性が高くなり、かつ、その様子を見ている他の技術者は積極的に仕事の効率化を目指さなくなる。
【『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界もしれない』スレッドより引用】
スレタイの意味・・・
それは、木村くんの下克上でも、父ちゃんの病気でもない。
藤田さんが、会社を去る・・・。まさにこれこそが限界だったのだ。
何のためにスレッドを立てたのか。
確かに俺は限界だった。
このスレッドを立て、全てを書き終えた時、俺は退職しようと心に決めていた。
伸びても、伸びなくても、それは変わらない。
結果的にスレは物凄い勢いで伸び、パー速に移住するほどになってしまった。
そして、その中で俺への励まし、心配、叱咤。
色々なレスが俺に向けられて書き込まれた。
ブログのコメントは、続きを書いてくれ、という内容ばかりだった。
俺は今まで、誰からも必要とされない、居なくなっても誰も悲しまない
くだらない人間だと思ってたんだ。
だけど、このスレを立てた事で
俺はみんなから励まされて、心配されて、叱咤されて・・・
たった一人の力は確かに小さいかもしれない。
だけど、それが何十、何百となったら?
その小さな力が集まって、大きな一つの力となったら?
俺は奇跡を信じる気になったよ。
だって、スレッドタイトルが変わるんだもの。
『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』が
『ブラック会社に勤めてるんだが、まだ俺は頑張れるかもしれない』に。
【引用終わり】
スレッドの最終章を見ると、マ男君を支えたのは先輩の藤田さんと、ブログで応援してくれた人たちというだということが分かる。
ソフトウェアエンジニアは知識労働者だ。人間が人間の頭で勝負している世界だ。そう考えるとやっぱり人間を人間として扱ってもらえる環境と人間の頭を成長させてくれる環境と、自分自身の知識労働者としての意欲が大事であるということが『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』を見て再認識した。
ポイントは実績がないときには、今の仕事を成功させてその中で達成した他から認められうる点を積み重ねてそれを武器にすることだと思う。そのためには今の仕事をやっつけでいい加減にこなしてはいけない。この一つ一つの仕事をまわりに自慢できるくらいきっちりこなして積み重ねることができれば、よりよい環境に進むことができるとはずだ。
ソフトウェアエンジニアは知識労働者だ。人間が人間の頭で勝負している世界だ。そう考えるとやっぱり人間を人間として扱ってもらえる環境と人間の頭を成長させてくれる環境と、自分自身の知識労働者としての意欲が大事であるということが『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』を見て再認識した。
ポイントは実績がないときには、今の仕事を成功させてその中で達成した他から認められうる点を積み重ねてそれを武器にすることだと思う。そのためには今の仕事をやっつけでいい加減にこなしてはいけない。この一つ一つの仕事をまわりに自慢できるくらいきっちりこなして積み重ねることができれば、よりよい環境に進むことができるとはずだ。
2009-12-05
就職氷河期をブレークスルーすための就活作戦
日経ビジネスオンラインの時事深層というコーナーに『6万人の「大学は出たけれど」』という記事が載っていた。
「誰でもいいから欲しい」終焉厚生労働省の調査によると、来春卒業予定の大学生の就職内定率は、10月1日時点で62.5%と昨年の同じ時期に比べて7.4ポイント低下。3人に1人の就職先が決まっていないことになる。ところが、リクルートワークス研究所が調べた大卒者の求人倍率は1.62倍。求職者を求人が上回る状況が続いている。求人倍率が1を切った2000年3月卒業生の採用時でも、同じ時期の内定率は63.6%と、今年よりわずかながらも高かった。求人はあるが内定率は低いーー。これは何を意味しているのか。日本企業が「質」による学生の選別を強めていることが背景にある。「企業を引っ張っていける優秀な人材しか採らない」ことを示している。
【引用終わり】
ようするに、不景気なので採用側の余裕がなくなり、長い間従業員を抱え込む日本の企業においては、どうせ採るならより後々組織に大きな貢献をする学生だけを採ろうと考えるようになったのだ。
そうなったら、もう競争だ。ここで学生のみなさんにアドバイスしたいのは競争は就活の期間だけではないということだ。
そこで、「もし、自分が超就職氷河期の時代にいる学生だったら、どんな作戦を取るか」について考えてみた。
まずは、企業がどんな人材を欲しているかである。日経ビジネスオンラインの記事を読むとどうも「即戦力」が欲しい訳ではなく、将来組織の幹部になってもおかしくないような人材を採ろうとしているということだ。技術者の場合は、少なくとも技術部長クラス、技術でその部門をリードしていけるような人材ということだろう。
ただし、ソフトウェアエンジニアの場合は技術的に修得しなければいけないことが満載だから、学生が就職試験を受ける時点でそれらの技術を身につけている可能性はほとんどない。
組織内で技術者教育を提供する立場から考えると、学んで欲しいスキルは山のようにある。
- プログラミング言語(C, C++, C#, Java)
- テスティング基礎
- 設計プロセス
- リアルタイムOS
- 状態遷移設計
- 構造化分析・設計
- UMLモデリング
- オブジェクト指向設計
- リファクタリング
- ネットワーク
- データベース
- セキュリティ
- プロジェクトマネジメント
などなど。これらを学生時代に修得しておいてくれというのは無理だし、これらの技術は実際の仕事でどんなフェーズで何をやっているのかをよく見極めながら、現状の問題解決に必要な技術を習得させていかないと身につかないと思っているので、実践に入ってから学習した方がいいものも多いと考えている。
このような状況を考えると採用する学生に求めるものは何かということになる。
ひとつは、その組織が対象としている市場・ドメインに対して強い興味、関心を持っているかどうか、ふたつめは技術をスポンジのようにどんどん吸い込むポテンシャルがあるかどうか、三つ目はそれらの技術を組織内に展開できるかどうかだと思う。
3つめは技術リーダーになれるかどうかという指標なので、まずは置いておいて、ドメインへの関心とポテンシャルがあるかどうかについて考えてみたい。
ドメインへの関心は面接の際に趣味や質問攻勢によってすぐに分かってしまうだろう。面接官は企業ドメインのことを裏事情も含めて学生の何十倍もしっているから、知ったかぶりしてもすぐにばれてしまう。2チャンネルなどで情報を収集しようとしてもそのような薄っぺらい情報でやり合おうとするとかえって墓穴を掘る。となると、学生時代は好きなものをとことん追求するのがいいと思う。自分が熱中したことと、就活先の企業ドメインとの関係性が何かについてだけ抑えておいて、そこを説明し、メインは自分が何に集中したのかについて語るという作戦だ。(何も熱中したことがないのはその時点で難しい)
2つめの技術を吸収するポテンシャルがあるかどうかの判断は、履歴書や面接ではなかなかわからないしアピールするのも難しいと思う。そこで、自分が考えたのは学生時代に自分の成長のブログを作るという作戦だ。
例えば4年制の大学生なら2年~3年になったころから、自分の興味があることに対してどんな取り組みをしてどんな成果があったのかをブログに綴ってみるのだ。毎日でなくても毎週、もしくは月に2~3回でも更新を続け、どんなことに取り組み、どんな成果があったのか、何を反省しつぎに活かしたのかを写真や動画を入れて書いていく。
それって卒論、修論と同じだというかもしれないが、大学の先生の指導が入っていないぶんブログの方がその学生の実力がわかるし、日々の記録だからごまかしやうそ、見栄が効かない。その人の人生や姿勢が見える。
そして、そのブログの URL を人事担当に送るのだ。人事担当は技術のことが分からないから、採用を希望している部門の技術部長クラスあたりに打診するのではないかと思う。自分なら、そのブログをざっと見ればその人がどんな人間でポテンシャルがあるかないかをだいたい判断できると思う。
文章がだんだんうまくなているかどうかも指標の一つになる。ようするに一夜漬けではごまかせないレポートだと思うのだ。
以上、自分の成果をブログに書いて就活に活かすという作戦いかがだろうか?
ちなみに、転職を考える技術者も内部情報を出さずに純粋にどんなスキルを獲得したかを綴るブログを書きためておくと自己アピールに効果があるかもしれない。
『問題解決能力(Problem Solving Skill):自ら考え行動する力』の記事も参照されたし。
2009-02-01
組込みソフトエンジニアのパーソナルキャリアパス
サンデープロジェクトで派遣労働についての過去と未来をディスカッションしていた。日本では戦後、GHQが労働者の賃金をピンハネしていた元締めの存在を解体させるために、労働基準法で派遣労働を禁じ健全な雇用を目指したのだそうだ。しかし、その後、1960年代後半に欧米で一般的になっていた労働者派遣型の人材派遣企業が日本に進出してきて(最初に進出したのはマンパワー)、「派遣」ということばを使わずに、「請負」という形でテンポラリな労働が社会にグレーな形で浸透していった。これが元祖、偽装請負ということなのだろう。
その後、1970年から1980年代にかけて、労働者の派遣を禁止している労働者基準法と現実がかけ離れてきたために、労働者派遣法の制定が進められる。当時の議論として、専門家の間でも労働者の権利を重視するのか、仕事の選択性を重視するのかで微妙に意見が違っていたという。
また、労働組合サイドの強い反対もあり、まとまりそうのなかった状況で、情報処理技術者がメーカーの中で育てることが難しく、実際多くのソフトウェアエンジニアを外部に頼っている状況を適法にしたいという電気業界の強い要望をきっかけにして1985年に労働者派遣法が制定された。労働者派遣法が制定されるきっかけが組込みソフトエンジニアの派遣労働だったというのは驚きだ。このときはコンピュータ(IT=情報技術)関係職種のように、専門性が強く、かつ一時的に人材が必要となる13の業種に派遣が限定されていたが、その後、1999年の改正により禁止業種以外は派遣が可能になってしまい、派遣労働が専門職だけのものではなくなった。
ただし、使用者サイドの企業が派遣を終了すると、派遣会社との契約も切れるという現在社会問題になっている登録型の派遣は1985年の時点で常用雇用型とともに法制化されていた。番組では、この登録型派遣のルールは法制化の直前に滑り込ませたものだと語られていた。
1985年当時は、常用雇用型も登録型もどっちにしろ派遣できるのは13業種に限られていたから問題は広がらなかったが、1999年の労働者派遣法の改定で一般労働にも派遣が可能になったため、登録型でかつ仕事がなくなると即職を失うという労働者が増えてしまった。
さて、番組の中で常用雇用型の派遣で成功している会社の例としてメイテックが紹介されていた。メイテックといえばバブル時代にディスコで入社式を行ったりしていたが、当時の関口社長は1996年に電撃解雇され、その後はいたってまじめな技術系の会社になった。2004年の SESSAMEのワークショップでメイテックのキャリアサポートセンターの方の講演をレポートにまとめたからよく覚えている。
メイテックは常用雇用型のソフトウェア技術者の派遣を積極的に行っており、技術者の教育にもかなり力を入れている。また、技術者のスキルの評価もシステマティックにやっているので技術力の高い人ほど単価も高い。別な見方をすると頑張って技術を磨かないと給料は上がらないような仕組みになっているのだろう。
組込みソフトウェアの外部委託の市場は1980年代からあったわけだから、今ではかなり大きいと推測される。仕事の外部委託の仕方は二種類あって、一つは派遣労働者として受け入れる方法、もう一つは請負契約で仕事を発注する方法だ。組込みソフトの仕事の場合は派遣でも常用雇用型の方が多いと思う。メーカーのソフトウェアエンジニアもそうだが、それに輪を掛けて派遣や請負開発のソフトウェアエンジニアの技術力が評価されることは少ない。評価されないどころか、技術を磨いて開発効率や品質向上を達成すると、できた余裕に新たな仕事が突っ込まれる。派遣でも請負でも結局は働いた時間に対してしかサラリーが支払われない。これでは技術力が上がれば上がるほど、余裕が生まれる、クリエイティブな仕事ができるという状況が生まれない。そんなことでは、誰もソフトウェアエンジニアになりたいと思わなくなる。
情報処理系の派遣労働者や受託開発会社に所属する技術者はもともとソフトウェアという専門技術を持った人ということだから、今マスコミで話題になっている人たちようにいきなり職を失うようなことは少ないと思うが、景気の影響を受けて仕事が少なくなるリスクは常に抱えていると思われる。
そうなると、そのリスクを少しでも減らすには自分の技術力を高めるしかない。適性に評価されるかどうかは別にして、厳しい状況の中で生き残っていくためには自分の能力が組織に貢献する根拠としてソフトウェア技術を身につけ、その技術がどのようにソフトウェア開発に役立つのかを説明できるようにしておく必要がある。組織に評価されようとされまいと、自分の身を守るため、新しい道を探すために、自分の能力をアピールしなければいけないときは必ず来る。競争相手は日本の中だけとは限らない。
自分の技術を高めるため、パーソナルなキャリアパスを考えるには、目標の設定と目標を達成するための自己投資が必要になる。これらを所属組織のシステムにゆだねるという方法もあるが、必ずしもエンジニアのキャリアパスを計画し、必要な技術を教育してくれる会社は多くないので、基本的には自分のキャリアパスは自分で設計しなければいけないと考えた方がよいだろう。
そのときに大事なのは、自分という個人商店に対してどれくらい自己投資するのか、したのか、投資した結果はどうだったのかを振り返ることだと思う。
自己投資の方法は一つは金額で考える方法がある。例えば、税込み年収の1%を自己投資に使う場合、年収が700万円だとしたら、7万円ぶん自己投資しようということだ。例えば、自分の勉強のために買った本や雑誌の領収書を集めて、テレビで確定申告しようというCMが流れてきたら、確定申告するつもりで、昨年のぶんの自己投資額の合計を計算して、修得した技術や知識の棚卸しをしてみる。
自己投資は必ずしもお金だけではない。勉強に使った時間も投資だ。面倒くさいかもしれないが、勉強に使った時間を記録しておき、1年間の総計に時給(例えば、一時間千円)をかけると投資額に換算できる。
資料だって、IPA SEC(情報処理機構 ソフトウェアエンジニアリングセンター)などのWEBサイトをくまなく眺めてみれば、タダで勉強のネタは手に入る。もちろん、SESSAMEのWEBサイトを活用するのもよい。
自己投資する先はどんなキャリアを目指すかにもよるが、ETSS(組込みスキル標準)のスキルカテゴリから見れば「技術要素」「開発技術」「管理技術」に分けられる。「技術要素」と言っているのはものづくりする際のその業界、その製品群に特化した技術のことで、これは何を作るのかによって異なるからどんな技術が必要なのかは自分、もしくは自組織で考えるしかない。「開発技術」や「管理技術」はETSSにも定義があるが、あまり毒されることなく身の丈にあった役に立つと思われる技術を自分は今後どのようなキャリアを積んでいくだろうかと考えながら選択する。
勉強の方法としてお勧めしたいのが、ブログにやったことを書き残すという方法である。学校での勉強を思い出してもらえばわかると思うが、学んだことはノートに書く、できれば自分の理解に合わせて書き直してみるとよく覚えることができる。これは人間の脳の記憶方式と関係している。ところが、大人になってから書き写して記憶を深めるという機会は極端に減ってしまう。だから、ブログに勉強したことを書くのは学習効果を高めるのに役立つのだ。記録に残すということは、後でその記録からデータを拾い出して、学習の実績として示すこともできるということだ。自分の名前や組織名を伏せて、キャリアパスを宣言し、身につけた技術や、自己投資の記録をブログに付けてみるのもよいだろう。もしかしたら、共感した人が応援のメッセージを送ってくれるかもしれない。
2008-12-20
ソフトウェアエンジニアが自分の成果を表現する必要性について
2008年も終わりに近づいている。2008年の年初にこのような金融危機からくる景気の急速な減速が起こるとは予想もしていなかった。
この事態に一時的に職を失った人もいると思うので軽々なことは言えないが、毎日流れる不況のニュースを聞いていて技術者にとって仕事とはなんだろうかといろいろ考えを巡らせたのでその内容を書きたいと思う。
ソフトウェア技術者として仕事をしているのであれば、個人の価値と組織の価値をできるだけオーバーラップさせ、かつ、大変だけれども楽しいと思える仕事をしたいと思っているし、このブログでそう書いてきたつもりだ。実際にエンジニアとして仕事をしてきた自分自身の22年間を振り返ると多くの時間がそうであったと思うし、それなりの満足感もある。
過去を振り返ったときに満足感を得るためには、その時その時に流されてしまってはいけない。ここぞというときにはこだわりを持って踏ん張らなければならない。逆風に立ち向かうシーンが必ずあるはずだ。しかし、皆いろいろな人間関係や社会状況の中で仕事をしているわけで、いつでも逆風に立ち向かうことができるとは限らない。自分自身が弱っているときや、自分の周りの環境が安定していないときは一時的に壁の陰に退避しなけれいけないときもある。
今のような異常な経済状況はまさに退避をしなければいけない時かもしれない。だから、こんな状況のときに言うのではなく、安定した社会環境のときに言えばよいのだけれど、普段からソフトウェア技術者はこうしているべきであるということをあえて書いておきたいと思う。自分の体力がみなぎっているとき、周りの環境が安定したときにこれから書くことを思い出していただきたい。
ソフトウェアエンジニアが他のエンジニアよりも不利な点は、成果が見えにくいことだ。組込みソフトの場合は最終的には製品ができあがるので、製品の外側に現れる機能や性能でソフトウェアエンジニアの成果を推し量ることもできるが、ソフトウェアはユーザーインタフェースに関わるところ以外の役目もたくさんある。それらの裏方のソフトウェア開発に携わったエンジニアの成果は見えづらいし、メーカーがソフトウェアを外部に発注している場合、協力会社が自分たちの成果が最終製品に搭載されていることを公に言えない場合もある。
ソフトウェア技術者のスキルレベルをITSSやETSSといったスキルスタンダードで表すこともできるようになったが、ETSSの場合は技術要素の部分は自分たちのドメインに必要な技術を自分たちで定義して測ることになっており、それができていない組織は数多くあるので、実際にはそのエンジニアの実力を表現しきれていないこともある。
成果が見えないということは、その技術者を評価する指標がないということだ。「彼は優秀だ」とか、「○○についての技術がある」などといった評価は、一緒に仕事をしている仲間や上司なら分かるが、いったんその環境を離れてしまうと、技術力や成果といったソフトウェア技術者にとっての鎧はすべてはがされ丸裸になってしまう。
そういったときのために一般的には資格というものがあるのだが、こと組込みソフトの場合は資格はある程度の指標にはなっても、「この人材を採るか採らないか」の決定的な判断には使えないと思う。
そういう意味で、ソフトウェア技術者がしておかなければいけないことは、自分がこの一年でどんな仕事をしたのかを記録して蓄積しておくことだと思う。10年選手ならば、これまでの10年分の成果が何かをいつでも説明できるようにしておくのだ。
成果が見えにくいからこそ成果を一目で見えるようにしておくことがソフトウェアエンジニアとしての鎧になる。この一年でどんな仕事をしたのか、どんな技術を習得したのかを実績のリストに記録する。毎年開催されるソフトウェア系のシンポジウムに投稿して採用された論文を成果として追記しておくのもよいだろう。
ソフトウェアエンジニアの成果が見えにくいというのはみな同じ条件だ。だから、同じ成果を持っているエンジニアが複数いた場合、これまでの成果をどれくらい分かりやすく表現できるかどうかで鎧のグレードが変わってくる。
組織に所属していても常に自分は個人商店なんだと思っている。だから、ウチの商店で扱う商品や他の店にはない特長や、他の店よりも優れているところは聞かれればいつでも説明できるようにしているつもりだ。そういう意味では、まったく転職する気がない技術者であっても、毎年年末に業務履歴を中心とした履歴書を書いてみるのは、自分の技術の棚卸しにもつながるのでよいことだと思う。
反省しないエンジニアは成長しないし、どんな業界でもプロフェッショナルは自分がした仕事が顧客を満足させているかどうか常に自問自答している。
ただし、冒頭にも書いたようにこのようなことを考えていいのは、自分自身の体調が万全であり、周りの環境が安定しているときだ。もしも、自分の周りで嵐が吹き荒れている人は、嵐が去るのをじっとまって晴れ間が現れたときに、自分自身の成果をどのように表現できるか考えて欲しい。
2008-06-29
エレキの分かる組込みソフトエンジニアの育て方
今回は、まっさらな新人が入ってきて組込みソフトエンジニアとして育てたいとき、どんな学習方法を取り入れるとよいかという提案をしてみたい。
ちなみに、ここで紹介する方法はたぶんデジタル系の電気系技術者の教育にも使えると思う。
【前提条件】
・複数人の新人を教育する場合に有効。(できれば4人以上がよい。チームを2つ以上作れるので)
・3ヶ月以上は現場から隔離できることが望ましい。(集中して課題に取り組んでもらいたいから)
・プログラミングの経験は必要なし。・電気回路設計の経験も必要なし。
・Word や Excel や PowerPoint 、インターネットブラウザでの検索等は使えること。
【教材】
1. CPUの創りかた
2. 電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版)で見てわかる デジタル回路の「しくみ」と「基本」
3. 電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版2)で見てわかる 電子回路の「しくみ」と「基本」
※純粋にソフトウェアしかやらないのなら3は省いてもよい。
【ねらい】
「CPUの創りかた」は秋葉原で買えるロジックデバイスを組み合わせて CPU を自分で作ってしまおうという本だ。イラストはちょっと怪しいが中身はいたってまじめであり非常にていねいに解説してあるので、本に書いてあるように進めていけばシンプルなCPUを自作することができる。
何をするにもはじめに原点を追求しておくのはよいことだ。CPUをディスクリートで自作し、実際にプログラムコードの読み出しやアキュームレータの動きをテスターやオシロスコープを使いながら確かめることは、組込みソフトウェアエンジニアにとっても、デジタル回路設計技術者にとっても貴重な経験となるはずだ。
次に、電子回路シミュレータ TINA7 は実機がなくても、回路を書いてその動きをシミュレーションすることができる。回路に電源を供給して回路上の不特定の端子ポイントをバーチャルオシロスコープで観察することもできる。東京電機大学高等学校教諭の小峯龍男先生は、このTINA7を使った学習本の中で、「ひとつだけ残念に思うことは、TINAでは回路の組み立てに失敗しても、コンデンサをパンクさせたり、抵抗器の被覆焼け焦げたり、ICのパッケージが火傷するほど熱くなるという経験をできないことです。」と書いているが、『CPUの創りかた』で実際にCPUを作ってしまうことで、その欠点を補おうというのが今回の作戦となる。
電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版)には、機能限定で TINA7のCDがついているので安価に学習ができる。
3つの本を使って、各チームにそれぞれCPUボードを作るという目標を達成させる。(Project Based Learning)
教育とマネージメントする側はPCの用意などインフラの整備、最低限のルールの規定、ポイントポイントで進捗をチェックする以外は基本的にチームに運営を任せる。
スケジューリング、材料リストの作成、道具の購入、予算管理、材料収集、回路シミュレーション、一次試作、製品制作をすべてチームに任せることで、製品開発工程のミニチュア版を体験させる。(本番と比べると商品企画と自分たちで考える回路設計だけが欠けている)
【学習方法】
まず、新人を複数のチームに分けて、各チームのリーダを決めておく。いい加減に決めるのではなく、できるだけ人物をよく観察して適性がありそうな者を指名しておく。
次に、PCやインターネットなどのインフラを使えるようにして、プロジェクトの主旨を説明し、まずは『デジタル回路の「しくみ」と「基本」』を頭から読んで、回路シミュレーションをやらせてみる。
しばらくしたら、CPUを作るための簡単な工程の説明をして、スケジューリングをさせる。(スケジューリングするためのツールとしては、GanttProject などのフリーツールを指定してもよい)
毎週一回週末に各チームの代表1人に10分間で、その週に学んだこと次週の予定などをプレゼンさせる。(週報プレゼン) また、月末には30分のプレゼンをさせる。(月報プレゼン)
【CPU制作プロジェクト】
CPU制作は、『CPUの創りかた』に書いてあるとおりにやれば出来るはずだが以下の点を考慮するとよい。
【材料収集と予算管理】
【この学習方法の良いところ】
ぜひ、お試しあれ。
ちなみに、ここで紹介する方法はたぶんデジタル系の電気系技術者の教育にも使えると思う。
【前提条件】
・複数人の新人を教育する場合に有効。(できれば4人以上がよい。チームを2つ以上作れるので)
・3ヶ月以上は現場から隔離できることが望ましい。(集中して課題に取り組んでもらいたいから)
・プログラミングの経験は必要なし。・電気回路設計の経験も必要なし。
・Word や Excel や PowerPoint 、インターネットブラウザでの検索等は使えること。
【教材】
1. CPUの創りかた
2. 電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版)で見てわかる デジタル回路の「しくみ」と「基本」
3. 電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版2)で見てわかる 電子回路の「しくみ」と「基本」
※純粋にソフトウェアしかやらないのなら3は省いてもよい。
【ねらい】
「CPUの創りかた」は秋葉原で買えるロジックデバイスを組み合わせて CPU を自分で作ってしまおうという本だ。イラストはちょっと怪しいが中身はいたってまじめであり非常にていねいに解説してあるので、本に書いてあるように進めていけばシンプルなCPUを自作することができる。
何をするにもはじめに原点を追求しておくのはよいことだ。CPUをディスクリートで自作し、実際にプログラムコードの読み出しやアキュームレータの動きをテスターやオシロスコープを使いながら確かめることは、組込みソフトウェアエンジニアにとっても、デジタル回路設計技術者にとっても貴重な経験となるはずだ。
次に、電子回路シミュレータ TINA7 は実機がなくても、回路を書いてその動きをシミュレーションすることができる。回路に電源を供給して回路上の不特定の端子ポイントをバーチャルオシロスコープで観察することもできる。東京電機大学高等学校教諭の小峯龍男先生は、このTINA7を使った学習本の中で、「ひとつだけ残念に思うことは、TINAでは回路の組み立てに失敗しても、コンデンサをパンクさせたり、抵抗器の被覆焼け焦げたり、ICのパッケージが火傷するほど熱くなるという経験をできないことです。」と書いているが、『CPUの創りかた』で実際にCPUを作ってしまうことで、その欠点を補おうというのが今回の作戦となる。
電子回路シミュレータ TINA7(日本語・Book版)には、機能限定で TINA7のCDがついているので安価に学習ができる。
3つの本を使って、各チームにそれぞれCPUボードを作るという目標を達成させる。(Project Based Learning)
教育とマネージメントする側はPCの用意などインフラの整備、最低限のルールの規定、ポイントポイントで進捗をチェックする以外は基本的にチームに運営を任せる。
スケジューリング、材料リストの作成、道具の購入、予算管理、材料収集、回路シミュレーション、一次試作、製品制作をすべてチームに任せることで、製品開発工程のミニチュア版を体験させる。(本番と比べると商品企画と自分たちで考える回路設計だけが欠けている)
【学習方法】
まず、新人を複数のチームに分けて、各チームのリーダを決めておく。いい加減に決めるのではなく、できるだけ人物をよく観察して適性がありそうな者を指名しておく。
次に、PCやインターネットなどのインフラを使えるようにして、プロジェクトの主旨を説明し、まずは『デジタル回路の「しくみ」と「基本」』を頭から読んで、回路シミュレーションをやらせてみる。
しばらくしたら、CPUを作るための簡単な工程の説明をして、スケジューリングをさせる。(スケジューリングするためのツールとしては、GanttProject などのフリーツールを指定してもよい)
毎週一回週末に各チームの代表1人に10分間で、その週に学んだこと次週の予定などをプレゼンさせる。(週報プレゼン) また、月末には30分のプレゼンをさせる。(月報プレゼン)
【CPU制作プロジェクト】
CPU制作は、『CPUの創りかた』に書いてあるとおりにやれば出来るはずだが以下の点を考慮するとよい。
【材料収集と予算管理】
- 必要な材料と道具のリストを作らせ、大まかな価格をインターネットで調べさせる。
- 部品の購入方法について検討させる。(首都圏なら秋葉原で購入する)
- 部品は一台ぶんではなく、一次試作ぶんと製品ぶんの2セット以上を購入させる。
- 予想価格と実際に購入した価格の差を明確にさせる。
【この学習方法の良いところ】
- 管理者サイドの工数がほとんどかからない。
- チームが複数あるとそれぞれの様子を見て、良い点を取り入れようとする。
- 週報プレゼン、月報プレゼンをさせることで学習の進度や進捗が分かる。
- 製品の開発工程を体験させることができるので、現場に出たとき何かと役に立つ。
- CPUの動きの原点を学習できる。
- 早い段階で回路デバッグを経験させることができる。
- 一発では完成度の高い製品レベルの制作は難しいことが分かる。
- 教材費が安い(本3冊で1万円以内。CPU制作費はたぶん数万円)
- 新人は最初とてもまじめなので黙々と学習に取り組み学習効率がよい。
- まだ現場の仕事をしていないため割り込みの仕事がほとんどなく集中できる。
ぜひ、お試しあれ。
2006-07-22
なるほど、これが海外人材登用の新しいかたちなんだ
先日、渋谷のパソナテックのオフィスでパソナテック 海外事業部 部長の小平達也氏にオフショア開発(海外に開発を委託すること)についてお話を聞く機会があった。
小平氏との話にいくまえに軽く渋谷の複雑性について書いておく。
渋谷はいつ行ってもわかりにくい。パソナテックのオフィスは渋谷のマークシティウェストにある。渋谷マークシティは渋谷駅に直結しているのでJR渋谷駅の改札を出てからすぐにたどり着くかと思うとそうではない。渋谷マークシティに直結しているのは京王電鉄の渋谷駅の方だ。
だから、最短の行き方はJR渋谷駅の改札を出るときに京王への乗り換えの方(ホームから階段を上に上がる)へ行き、京王の改札を目指す。途中マークシティの表示があるのでその表示に従い京王電鉄の改札まで行ってしまうと行き過ぎとなる。改札まで到達する前にマークシティの4階に上がらないといけない。
4階に上がらないと改札を通り越してマークシティウェストまでたどり着けないのだ。4階に上がるとレストラン街が広がっており、オシャレなレストランがたくさん並んでいる。このレストラン街をどんどん進んでいくと、トンカツ屋があるのでそのトンカツ屋の手前のエスカレータを使って5階に上がり、5階のエレベータホールから17階に上がるとパソナテックの渋谷オフィスに到達する。
パソナテックのWEBサイトから案内図をダウンロードしておいてよかった。渋谷に近いからといって案内なしにたどり着けないのが渋谷の特徴だ。
パソナテックのオフィスは白が基調で赤がポイントカラーとして使われており、日本の会社らしからぬかっこいいオフィスだった。
さて、小平達也氏は海外事業部の部長で、パソナテックコンサルティング(大連)有限公司 の董事を兼任されている。中国でのエンジニア事情に詳しい方で、@it にも数多く投稿されている有名人だ。
個人的には『アジア技術者が採点する日本技術者の実力(1)中国編』の記事を興味深く読ませてもらった。
小平氏にうかがったお話の中で、強く印象に残ったのは、パソナテックの「理工系人材・グローバル採用支援サービス」の話だ。
「日本は中国の技術者の人件費の安さだけに着目して開発の一部を中国に移し、そう簡単にはいかないことが分かって撤退し、やっぱり国内では人材が確保しきれないのでまた進出するという“行ったり来たり”を繰り返している」という話をしたところ、パソナテック海外事業部の戦略は違うというのだ。
中国で優秀かつ日本語ができるエンジニアの卵(優秀な大学を卒業したポテンシャルの高い人材)の中から、さらにクライアントの要求に近い人材を抽出し、これらの人材を日本の企業に派遣する。そして派遣先の企業でドメインに特化した技術・知識を学ばせ、将来幹部候補になりそうな人材にまで成長する見通しが立ったところで、その企業に正社員として登用するというサービスを提供しており、これが非常に評判がよいとのこと。
この話を聞いて真っ先に思ったのは、その高い教育を受けた中国人の人材が自分の獲得したスキルを活かして他社に転職してしまう危険性はないのかという点だ。
これについて小平氏は「中国の大学を卒業して、欧米の企業で1年契約の更新を続け、人がどんどん流動している様子を見ていれば、当然自分も条件のいいところに移りたいと思いますよ。」「でも、大学を卒業して真っ白は状態から、長期雇用の日本の企業文化にふれさせて、幹部候補にもなれる期待をかけてあげれば、他社に転職されてしまう危険性はほとんどないんです。」と語った。
そして、日本の企業はその人材が本当に自分の組織に適しているかどうかを見極めるまでは、正社員として登用しないので、雇用のリスクを最低限に抑えることができる。
もちろん、日本の学生を採用する際に支払う給与よりは高い派遣費用がかかるが、そもそも人口の多い中国から厳選して厳選して人材を見つけてきているだけに、いい人材が見つかる確率が高いのだそうだ。
中国を含めた東南アジアのマーケットに進出するつもりがなく、日本発でプロダクトアウトしていく企業が中国の技術者の人件費の安さだけを求めてオフショア開発を進めるとうまくいかないという点については自分も小平氏も意見は同じだ。
日本の組込みソフトとオフショア開発については、技術評論社の組込みプレス vol.4 (2006年8月発行予定)に SESSAME Workshop 2006 の続きの座談会ということで記事が載るので、そちらも参照していただきたい。
また、日本のエンジニアは長期雇用の前提があるため井の中の蛙になりがちで、外国人のインターンを組織的に受け入れて、プロジェクトに配置することで、日本人の技術者達に刺激を与えることができるという話もあった。
日本の技術者には技術を磨き続けなければ生き残れないというプレッシャーも与えないといけない。
世界は広いということを認識しなければ・・・
小平氏との話にいくまえに軽く渋谷の複雑性について書いておく。
渋谷はいつ行ってもわかりにくい。パソナテックのオフィスは渋谷のマークシティウェストにある。渋谷マークシティは渋谷駅に直結しているのでJR渋谷駅の改札を出てからすぐにたどり着くかと思うとそうではない。渋谷マークシティに直結しているのは京王電鉄の渋谷駅の方だ。
だから、最短の行き方はJR渋谷駅の改札を出るときに京王への乗り換えの方(ホームから階段を上に上がる)へ行き、京王の改札を目指す。途中マークシティの表示があるのでその表示に従い京王電鉄の改札まで行ってしまうと行き過ぎとなる。改札まで到達する前にマークシティの4階に上がらないといけない。
4階に上がらないと改札を通り越してマークシティウェストまでたどり着けないのだ。4階に上がるとレストラン街が広がっており、オシャレなレストランがたくさん並んでいる。このレストラン街をどんどん進んでいくと、トンカツ屋があるのでそのトンカツ屋の手前のエスカレータを使って5階に上がり、5階のエレベータホールから17階に上がるとパソナテックの渋谷オフィスに到達する。
パソナテックのWEBサイトから案内図をダウンロードしておいてよかった。渋谷に近いからといって案内なしにたどり着けないのが渋谷の特徴だ。
パソナテックのオフィスは白が基調で赤がポイントカラーとして使われており、日本の会社らしからぬかっこいいオフィスだった。
さて、小平達也氏は海外事業部の部長で、パソナテックコンサルティング(大連)有限公司 の董事を兼任されている。中国でのエンジニア事情に詳しい方で、@it にも数多く投稿されている有名人だ。
個人的には『アジア技術者が採点する日本技術者の実力(1)中国編』の記事を興味深く読ませてもらった。
小平氏にうかがったお話の中で、強く印象に残ったのは、パソナテックの「理工系人材・グローバル採用支援サービス」の話だ。
「日本は中国の技術者の人件費の安さだけに着目して開発の一部を中国に移し、そう簡単にはいかないことが分かって撤退し、やっぱり国内では人材が確保しきれないのでまた進出するという“行ったり来たり”を繰り返している」という話をしたところ、パソナテック海外事業部の戦略は違うというのだ。
中国で優秀かつ日本語ができるエンジニアの卵(優秀な大学を卒業したポテンシャルの高い人材)の中から、さらにクライアントの要求に近い人材を抽出し、これらの人材を日本の企業に派遣する。そして派遣先の企業でドメインに特化した技術・知識を学ばせ、将来幹部候補になりそうな人材にまで成長する見通しが立ったところで、その企業に正社員として登用するというサービスを提供しており、これが非常に評判がよいとのこと。
この話を聞いて真っ先に思ったのは、その高い教育を受けた中国人の人材が自分の獲得したスキルを活かして他社に転職してしまう危険性はないのかという点だ。
これについて小平氏は「中国の大学を卒業して、欧米の企業で1年契約の更新を続け、人がどんどん流動している様子を見ていれば、当然自分も条件のいいところに移りたいと思いますよ。」「でも、大学を卒業して真っ白は状態から、長期雇用の日本の企業文化にふれさせて、幹部候補にもなれる期待をかけてあげれば、他社に転職されてしまう危険性はほとんどないんです。」と語った。
そして、日本の企業はその人材が本当に自分の組織に適しているかどうかを見極めるまでは、正社員として登用しないので、雇用のリスクを最低限に抑えることができる。
もちろん、日本の学生を採用する際に支払う給与よりは高い派遣費用がかかるが、そもそも人口の多い中国から厳選して厳選して人材を見つけてきているだけに、いい人材が見つかる確率が高いのだそうだ。
中国を含めた東南アジアのマーケットに進出するつもりがなく、日本発でプロダクトアウトしていく企業が中国の技術者の人件費の安さだけを求めてオフショア開発を進めるとうまくいかないという点については自分も小平氏も意見は同じだ。
日本の組込みソフトとオフショア開発については、技術評論社の組込みプレス vol.4 (2006年8月発行予定)に SESSAME Workshop 2006 の続きの座談会ということで記事が載るので、そちらも参照していただきたい。
また、日本のエンジニアは長期雇用の前提があるため井の中の蛙になりがちで、外国人のインターンを組織的に受け入れて、プロジェクトに配置することで、日本人の技術者達に刺激を与えることができるという話もあった。
日本の技術者には技術を磨き続けなければ生き残れないというプレッシャーも与えないといけない。
世界は広いということを認識しなければ・・・
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