「子育てで残業できない女性はプロになれない」のか?

サイゴンで日本人駐在員の方と話をする機会があった。彼は40代後半、日本人なら誰でも知っている一流企業勤務の幹部社員である。海外勤務が長く英語も堪能で「社畜」と呼ぶにはあまりに紳士的ではあるのだが、次のようなことをさらっと語った。

プロの条件は、2つある。有能である(able)ことと、いつでもつかまる(available)こと。夜9時・10時でも客から掛かってきた電話には応対しなければならない。さもなければ新しい仕事を逃す。子育てのために残業が出来ないという女性は、プロになれない。

注意していないと聞き逃してしまうほど、自然な語り口であった。それは彼にとって至極当然な信念なのだろう。そして、彼が長年所属する組織の信念でもあるのだろう。

私は、多少大人気ないと思いながらも、日本的な優雅さでこの話題を流さず、あえて抗議してみた。「そのように長時間労働を当然の前提にするのは本当に正しいのか?もっと頭を使って、短時間で成果を上げる体制を作るべきではないのか?そうしてこそ初めて、女性や外国人などのモーレツ日本人男性社員以外の人々の力を生かすことができるようになるのではないか?」

すると次のような反論を受けた。

「日本企業は、いま韓国や台湾の猛烈な追い上げを受けている。在ベトナムの韓国人や台湾人も猛烈な長時間労働をしている。台湾人などみな工場に住み込んで不眠不休で働いているではないか」

「残業をせずに家に帰るのはいいが、そうしたら客を韓国や台湾の企業に取られる」

「君の言っていることは理想論かもしれないが、日本の現状は受け入れざるを得ない」

しかし、本来は、時間外に来た客の問い合わせに答えられなかったくらいで、仕事を取られてしまう程度の商品・サービスを提供しているにすぎないのだ、と思い知るべきではないのか。すでに負けているのだ。それを長時間労働で無理やり補おうとしても、本当に利益が上がるのか?

こうした日本の一流企業社員が言うことは口実に過ぎず、おそらく彼らは本気で労働時間を短くする工夫をする気はないのだ。長時間労働は当たり前。そのために家を空けるのも当たり前。それが出来ない女性が幹部になれないのは当たり前。

これが彼個人の見解ならまだいい。しかし問題なのは、おそらくは彼の組織を貫徹する信念でもあろうことだ。日本では大企業は、きわめて強い影響力を系列の中小企業に及ぼす。大企業の正社員がこういう意識で、下請企業に接すればどうなるか?「顧客原理主義」の日本では、下請企業の営業マンは長時間労働前提の客のわがままな要求を呑まずにはいられないだろう。こうして長時間労働の連鎖が続いていく・・・。

私が長時間労働に反対するのは、ただ怠けたいからではない。もし、長時間労働を通じて高給が稼げるのなら、割り切ってそうするのもその人の選択であろう。しかし、実際には、日本では長時間働いたところで、残業代さえ請求できないことが多い。おそらくは、そもそも仕事を効率的に短く切り上げようという意識が乏しく、だらだらと仕事をしているのだろう。こうやって家庭をないがしろにしているうちに、だんだん家に帰るのが億劫になる(帰宅拒否症候群)。そういう人が周囲を無駄な残業に巻き込み・・・という悪循環が起こる。

雇用者も従業員も労働コストに対する意識が甘いのだ。その結果、抜本的な業務改革によって、業務の効率化を行い、利益を上げようという意識が弱くなる。あるいは、思い切って収益率の低い事業を捨て、リスクはあるが高い収益の可能性がある事業に参入しようという意欲も乏しくなる。

結局のところ、日本人は「働いているフリ」をしているにすぎないのだろう。知識経済の現代において一番重要な態度は、一にも二にも、自分の頭を使って、考え抜くことだ。しかし、実際には長時間労働を通じて「身体の汗をかいています!」というアピールをする者ばかりで、本当に頭に汗をかいている人間が少ないのではないか。これでは、日本企業の国際競争力が下がり、日本全体が貧しくなっていくのは当然かもしれない。

私も批判ばかりでなく、ではどうしたらいいのか、ということを考えて発表したい。ところが私は、自業自得ではあるのだが、日本企業とは水と油のため、こうした会社に入って幹部社員として業務全体を見渡す立場に立てない。日本企業の方向性が間違っていることは確信しているのだが、ではどうすればいいかという処方箋を具体的に書けないのがとても歯がゆい。

いま USCPA の勉強をしているのは、ひとえに、こうした企業の実態に切り込みたいからである。だが、具体的にどこからはじめたらいいのやら・・・。日々自問しているのだが、なかなか答えがでない。なにかヒントがあれば教えてください。