外国語というのは難しいものである。そこに不思議はない。(イエス、ペテロ、マルコの外国語能力を考えるに当たって、まずヨセフス)
日本というほとんど日本語だけが単一に流通している環境で外国語を習得するのは、もともと困難である。困難でないほうがおかしいくらいであろう。もっとも人にはいろいろな才能があるように、外国語習得がそれほど苦ではない幸運な人がいるのも事実ではあるが。
では、さまざまな国語が入り混じって空中を飛び交っているような国際都市や、二か国語あるいはそれ以上の国語が公用語であるような国に育った人はどうであろうか。家庭の言葉と家庭外の言葉が違うというように、幼少の時期から多言語に接すれば、自然とバイリンガルあるいはトライリンガルに育つことは当たり前だ。
しかし、その際も、話したり聞いたりするのが、成長してから学ぶ者と比べて有利というくらいであり、読み書きの能力はかなり努力しないと無理である。そして、努力したとしても、外国語は外国語であるだけで負担が大きい。
そんなことはない、何語であれ自由さ、とおっしゃる方も少なくないであろう。慶賀なことである。それでも、自己評価に厳しい方や理想の高い方は、困難であることを隠さない。
かのギリシア語で大部の著作や小品をいくつも残したヨセフスも、自分の語学力の足りなさを隠さなかった。大部の『ユダヤ戦記』をギリシア語で書き上げ、ローマで社交言語として30年ほどギリシア語で生活しながら、更に大部の『ユダヤ古代史』を書くに当たっては、外国語であることで怯んだことが序論に述べられている。
ヨセフスのギリシア語習得の過程は詳らかではない。ユダヤにいたときから国際語(リンガ・フランカ)としてのギリシア語に接したり初歩的な手ほどきを受けたであろうことは想像に難くない。しかし、ギリシアの古典等に本格的に接したのは、むしろローマに滞在するようになってからではないかというのが一般の見方だ。
彼は、話す際のギリシア語についても「正確に発音できない」ともらしている(『ユダヤ古代史』20.11.1[263])。それはそうであろう。ローマの上流家庭ではラテン語とギリシア語の両語で育つことが多いから、彼らには敵わない。例えば、ヨセフスを見い出したティトゥス帝などもそうである。歴史家スエトニウスの証言によれば、ティトゥス帝は、ラテン語のみならずギリシア語でも演説も書き物も自由であったと述べられている(『ティトゥス伝』3)。
だから、長じて習う外国語などは、ぎこちなくて当然なのだ。・・・さて、イエス、ペテロ、マルコの外国語力はいかに。