人口統計学と聖書学―リード先生の論文『イエス時代ガリラヤ地方の人口流動性:人口統計学的な一つの見方』から
リード先生というのは地元ロスアンジェルスはラヴァーン市にあるラヴァーン大学の先生でパレスチナを舞台にした考古学者で、クロッサンとの共著もある。確か奥さんは同じ大学の音楽の先生だ。論文は、Jonathan L. Reed, “Instability in Jesus’ Galilee: A Demographic Perspective,” Journal of Biblical Literature 129:2(Summer 2010)343‐365。
古代史の方法についてちょっと説明しておこう。このことを言うといつも「ええーっ」と言われるのだが、研究の初めは今に伝えられる文書(文献)や伝承、あるいは伝説なんだ。だから神話だってかまわない。このとっかかりがあって初めて考古学的発見などの証拠が問題になる。もちろん逆もあるが、その場合が圧倒的に多い。
ただ、文献や伝承の弱点は、ともかく確かさに欠け「信じらんなーい」というものがほとんどであることだ。ホメロスの『イーリアス』なんて信じらんなーい。聖書? 神話でしょ? てなわけだ。じゃあ、考古学の欠点はというと、考古学者が威張るほど大したことがないということだ。ちーーーーーーぽけなものを発見しただけで鬼の首でも取ったように喧伝するが、実は鬼のパンツの紐だったりする。(ふふ、ホントに鬼のパンツの紐だったら、サザビーでミリオンダラーかもね。)
古代史の方法は、その二つだけではない。文献(伝承)と考古学的発見を結びつけるものがある。合理的推論である。三つ目の大事なものだ。ところがどっこい、こいつが一番いい加減。乙にすまして頭がよさそうな議論をするが、トンデモが多いのだ。ただし、その一番の原因はやはり、先の二つのもの(文献と考古学)のデータが十分でないことである。本当はそのことをよく自覚してないと、議論が跳んで飛んででトンデモになるわけだ。
さて、ようやく本論。古代人口統計学というのも時には怪しいが、時には役に立たないこともない。リード先生がいろんな他人の研究を援用しているが、詳細には立ち入らないことにする。しかし、例えば、アメリカ合衆国の現在の市民の死亡統計で1月から12月を月割りでグラフにすれば毎月の数値はほぼ同じで平らな直線に近くなるが、ローマ時代のパレスチナの墓地の記録から統計をとると7月から10月にかけて死亡した人が目立って多くなる。マラリヤなどの夏季に蔓延する病気のせいである。
そのような手法で(それこそ詳細は省略するが)ある程度、人間がどのような生と死を辿ったかとか、ヘロデ大王の息子アンティパス四分封がガリラヤ地方の都市化政策がどれだけ成功しているか(これがリード先生の論文の中味)などがわかる。村から町への人口移動。男と女の動きの違い。老人の比率、若者の比率などだ。これらの証拠としての力は弱いかもしれないが、例えば、以下のようなことはさもありなんとなる。
聖書はなぜイエスの父ヨセフがその後(イエス12歳以後)どうなったか関心を一切払わないのか。当時、夫が妻よりかなり年上であることはめずらしくなかった。そうでなくとも、夫のほうが先に死ぬ率が高い。そのように、男親は子供が小さいうちに亡くなるから、子供が自分の祖父を知ることはますます少なかったらしい。従って、聖書記者が当たり前のことに関心を払うことはなかったのであろう。
イエスはナザレのような山の寒村から湖のほとりの街場であるカペナウムに出てくる。同じように弟子たちはあちらこちらに移動する。聖書はそれを伝道の旅路とみているが、実際に当時の若者が仕事や良い暮らし向きを求めて(人口統計学の結果を反映するように)移動する動きと合致しているのだ。
イエスの女性に接する態度は、当時としてはさばけている、あるいは自由であるが、これも保守的な田舎暮らしと、アンティパスの都市化政策によって若者の自由な集まりとなった都市環境を考えれば不思議でも何でもないことになる。(現在でも、イスラエルでは、第一の都市テルアヴィヴほど自由な町はないことでも、町が人間を自由にすることがわかる。)
このような例は、古代の人口統計学データからいくつも出てくるようだ。しかし、一つ一つを学問的に証拠づけるのは、こんな簡単にはいかないだろう。ただ、さまざまな有効な手立てが歴史学に応用される可能性については希望を持っている。