amazon.com経由ドル建てでやってるみたいです。でも赤十字を経由するみたいだから直接赤十字に振り込んだ方が早いかなと思ってしまう。
メールのやり取りをしていた友人の携帯に突如メールが遅れなくなり、直接電話。どうやら規制がかかったようだ、ということでどちらかの携帯の具合が悪いということではないのだろうと結論。
しばらく話をしていなかった相手なのでなんとなく世間話が弾む。そのうち最近見つけた面白いサイトの話になり、お互いにPCを操作しながら携帯でも話を続けているうちに気がついたら0時5分。カウントダウンさえやらなかったという風情のなさ。
「二年○○」に倣えばさしずめ「二年二重電子通信」だろうか。
リンク元に見慣れないアンテナがあったのでたどっていったらご本人の日記までたどり着けた。そこで紹介されていたのがこれ。そういや読んだなぁ、と。P.K.ディックはこれ以来読んでないかもだが。
一般に映画「ブレードランナー」の原作として有名だが、ディック本人は映画が原作とまったく違うと怒っていたという。でもこの映画化で有名になったのは事実。
そういえば私は去年いったい何冊本を読んだのだろう。12月には行ってからは『ダ・ヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』、よしもとばななの『デッドエンドの思い出』『なんくるない』あたりか。秋頃から急によしもとばななを読み出したのでそのあたりは多そう。『キッチン』『王国』『王国その2』、あと買ったけどまだ読んでない文庫本が2冊ほど。
日記に書いてある分については*1検索かければすぐ分かる。あとでちょっとまとめてみよう。
キッチン デッドエンドの思い出 王国—その1 アンドロメダ・ハイツ— 王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法 うたかた/サンクチュアリ
*1 つまり書いてないけど読んだ本があるわけですね
比較的天気がよさそうなので洗濯をしてから出かける。やはり家にこもるよりは歩き回った方が頭の回転はよさそう。身体の調子も分かる。
特に買い物もせず、初めて訪れるスタバでマシュマロカフェ モカを飲みつつ読書。でもオーダーのときサイズを聞かれて「M」と答えてしまいかなり恥ずかしかった。
そのスタバで読んだ本がこれ。4年前の本でやや内容は古いものの、人は画一化された存在ではなくて「みんな違ってみんないい」((c)金子みすず)という感じの読後感を受けた。
私がこの本で感じたのは「大事なことは一人ひとり違うし、みんなが本当はそれを分かっている。でも普段はそれに気づかない」ということ。そして今が苦しい人はそれに気づくのがきっかけのひとつになる可能性があるということだった。
フォーカシングという手法についての説明も簡単にあって、専門外の人にもそれなりに読みやすいと思う。
去年の日記に掲載した本の中でちゃんと読んだと思えるものだけピックアップしたらこれだけになったのだが、これだけですんだとはとても思えない。漫画が何冊か入っているのが反則といえば反則だけど、これはシリーズを1冊と数えた(3シリーズ)。
あと、あとで読もうと思ってまだ読めてない本が結構あることに気がついた。処理優先事項を上げなければ。
ハルウララが3月に引退レース予定とのこと。年も年だしむしろ遅すぎた感じもするけれど、人気馬だからそうそう引退させるわけにもいかなかったのだろう。
馬主さんが可愛らしい方で驚いた。
昼間入ったお店のTVで奈良女子児童誘拐殺人事件に関しての番組が報道されていた。
司会の恵がやたらに、事件の報道がなかった時期のことを「この時期はマスコミの方には全然情報が流れていなくて…」と不満げに言っていたが、捜査の不利になるような情報をわざわざ流すわけないだろう。他の出演者が言うとおり、証拠隠滅や高飛びの可能性も出てきてしまうし、何より不安に怯えている人たちに中途半端な情報を流したら簡単にまことしやかなデマが流れてしまう。下手すれば関係ない人が疑われたり不安を煽ってしまったりすることになりかねない。
情報公開が主張されているけれど、何でも公開すればいいというものではないと思う。今回大事だったのは犯人を早く確実に捕まえることであって、当事者でない我々の野次馬根性を満足させることではなかったはず。
同じく奈良の事件について、警察庁の漆間巌長官が「性犯罪前歴者の居住地を警察が把握できる制度」の導入を検討していることを示唆したそうな(残念ながらまだ警察庁のサイトには情報があがっていないようです)。性犯罪は他の犯罪と比べて再犯率が高いというのが前提のようだけどそういうデータはあるのかいな?(アメリカで導入されているミーガン法についてはこんな意見もあるようです)
被害者やその親族、親しい人たちにとっては加害者が出所するということは大変な脅威になるから、この範囲の人たちに知らせるのは構わないと思う。これは実際に2001年10月から被害者等通知制度(検察庁ホームページ内「犯罪にあわれた方へ」)という制度として存在しているようである。ただ、事件と直接関係ない人たちに情報を公開することが再犯の可能性を下げることになるかというとちょっと疑問。
個人的に、この手の犯人にその状態のまま刑罰を与えてもいい結果になるとは考えにくい。本人に「悪いことをした」という意識がない場合と、「分かっているけどどうしようもない」という場合とがあると思うけど、前者なら逆恨みするだろうし後者ならやっぱりどうしようもないと思う。少年事件でなくても何らかの形での治療を施すのが先決だろう。刑罰を与えるのはそれから先の話。
地域の安全か加害者の更生かどちらを取るか、という議論をよく目にするが、加害者の更生が可能ならそれが地域の安全につながるだろう。無論、人を踏みつけにしたことの償いはしなければならないと思うが、何のために刑罰を受けているのかをきちんと理解できない状態で服役してもかえって凶暴化するだけじゃないだろうか。もちろん現在の技術では矯正できない人もいるだろうから(奈良の事件の容疑者の元・保護司の方が「矯正できないと思った」と述べたという話もあり)、そういう意味では地域での安全対策は必要だと思うけれども。
上で引用したサイトでは再犯するまでの時間が短くなっているという結果も提示されている。このサイトに書かれていることに全面的に賛成というわけではないのだけど、こういう前例がある以上導入には慎重になった方がいいんじゃないかと思う。終身刑にあたるものがなく死刑廃止論も出ている日本の現状では、時間はかかってもいずれ社会復帰する可能性がかなり高いはずだ。そのときに再犯の確率がゼロに近くなっている方が安全なのではないかと思うのだが。
なんだか映画「時計じかけのオレンジ」みたいな話になってきましたが、正直言って私は加害者の人権にはあまり興味がない。加害者の更生を支持するのはひとえに自分が安全に暮らしたいからなのである。そして自分が安全に暮らすためには加害者がこれ以上事件を起こさないことが必要だと判断したからなのである。我ながら勝手だこと。
(追記)性犯罪の再犯率について、こんな記事を見つけました。なんだか正確な数字がよく分からないな…そもそも親告罪だからちゃんとした数値が取りにくいのでしょうけれども。
(追記2)なんだか恐ろしいことになっております。数字の一人歩き。数字の一人歩きその2。
改めて読み返してみると我ながら何を書いているのかよく分からない文章である。反省。
要するに言いたかったのは、「和製ミーガン法を適用するよりも、この手の犯罪の加害者には服役させる前に何らかの治療(もしくは治療教育)を行う方が再犯防止に効果があるのではないか」ということです。実際、ミーガン法のおかげで犯罪が減ったという報告はないようだし。
(参考)ミーガン法の効果ではありませんが、英国での事例。
昔『女子高生コンクリート詰め殺人事件—彼女のくやしさがわかりますか』という本を見かけた。amazon.co.jpで調べてみたら2冊(これとこれ)出てきた。どっちの本かは覚えていないけど、タイトルに奇妙な違和感を持った記憶がある。
確かに被害者の無念は想像できないわけではない。でもそれはあくまで第三者である我々が推測したことでしかない。しかしこのタイトルだと、著者は「自分は分かっている」という前提で書いているのだという印象を受ける。どうも関係者ではなさそうなのに、そういうことを書いていいのだろうか、と。
その違和感があったので内容は読んでいない。書評によると「当時は加害少年側に同情的な報道が多かった中で、数少ない被害者側からの視点で書かれた本」ということらしく、その点は評価できると思うのだけど。
というようなことを、ここを見て考えていたのでした。
参考までに、無限回廊さんのところに女子高生コンクリ詰め殺人事件についてのまとめがあります。読んで気持ちのいいものではありませんので自己責任でお願いします。
死刑囚だった故・永山則夫の『無知の涙』って本があったよな、と某巨大本屋で探したが見つからず。出版社でも扱っていないところがあるそうな。行きつけの図書館にも入っていないようなのでちょっと探してみることにする。
暗い話ばかり書いたのでここらで少し健康になれそうな話題を。
笑うこと+ビタミンC(+諸々)で膠原病を治したジャーナリストさんの話。治る見込みはかなり低いと言われながらも、当時の薬に頼った医療に疑問を持ち、また理解のある主治医に恵まれて、膠原病を文字通り「笑い飛ばした」そうな。実はこの方この後に心臓病にかかるのだけど、これも笑い飛ばしてしまったらしい。
原著は1979年というから26年も前の本なのだけど、今にでも使えそうな内容である。まさに病は気から。
ただし薬の有効性を否定するものではありませんので念のため。よしもとばなな氏もサイトで書いてらっしゃったが、「すべてをこの方法で」というのは無理な場合もあるはず。
検討する時期に入っているのは確かだと思うのですが。
(参考)
(追記)ミーガン法関連のデータなどをmacskaさんがまとめてらっしゃいます。こちら。ただし認知療法はもともと精神分析からきたものなので記述に誤りがあるという意見も(修正済)。また再犯率・再犯者率関係については山咲梅太郎さんがまとめてらっしゃいます。こちら。
(追記3)google:再犯予測。児童小銃経由。あとで読んでおこう。そもそも精神科医1人とか担任1人とか保護司1人とかに責任を負わせてしまう制度そのものに問題がありそうな気もする。
(よしもとばなな/よしもとばなな公式サイト)なんのために頭の中の世界があるのだ。頭の中ではなにをしてもいいからあるのだ。
『ツイン・ピークス』のデヴィッド・リンチも昔同じようなことを言っていた記憶が。
どうもいろいろと煮詰まっているようなのでちょっと自然のある場所に行くことにする。いろいろ調べた末、オーソドックスに自然の多そうな神社にした。
戎神社ではなかったのだけど結構人がいてその雑念が飛んでくる感じ。裏の方に参拝者が少ない小さい社がいくつかあったのでそちらでしばし息抜き。何の気なしに振り返ったところ巨大な注連縄を見て圧倒される。やっぱりこういうのには人に訴えかける力があるのかしらんと思う。
滞在時間は短かったけどそれなりに気分転換になった。
日経新聞の紙上書店、今月はこの方が店長らしい。初めて写真を見た。こんな人だったのか…それはともかく見逃せません。
『眠れる森』ってどんな話だったっけ。
御年95歳であられたそうな。ご冥福をお祈りいたします。
# 健忘 [確かに、表現する時の工夫は必要ですね。 吉本隆明は、「きまりは結構守る方だ」と言ってます。 反論も勿論自由、表現した..]
内容とはほとんど関係ないんですが、私も幼少の砌に父親の本棚からこっそりと何冊か抜き出して読んだ記憶があります。太宰ではありませんでしたけれども。そのうちの1冊は後に自分で購入することになるほど好きでした。子どもの教育においては父親の本棚がひとつの重要なファクタかもしれません。
もうひとつ、河合元京大教授のご本の話。最近「家族」がテーマの本をよく読んでいるような気がします。よしもとばなな氏のが多いから当然なんですが、故・鷺沢萌氏の『ウェルカムホーム』なんかも読んでみたい。
年末だか年始だかに新聞に載っていたのを見たのだけど、確かにちょっとおっさんぽいかも。時代の違いはあるだろうけれども、今でも実年齢20代後半あたりから結構見た目の年齢に差が出てくるような気はする。
天才モーツァルトにはやっぱりそれなりのオーラが欲しい気もするが、描き手は案外こういう「普通のおじさん」のモーツァルトをそこに見たのかもしれないと思ったり。
立ち読みをしていて見た本の中に書いてあったフレーズ。タイトルを忘れてしまったのだが家庭教育の話だったと思う。「個性」とかと絡んできそうな感じだけど、要は「難しい子」であってもそこをうまく活かせれば強みになると言う話。例として挙げられていたのは、あまりしゃべらなかった子がその分周りの人が使っている言葉の意味内容に対する感性が鋭くなって、成長してからその感性を活かす仕事に就いたというケースだった。こういう長いスパンで結果を見る目を持っておきたいと思う今日この頃。
電車の中で聞くともなく隣に座ったおじさんたちの会話を聞く。
「やっぱ身体の疲れってちゃんと取らないとだめだよね。気力だけでやると翌日すごく疲れるし、そういうときに限ってポカやったりするし」
「あ、でも俺『そういうときに限って』は言わないようにしてんの。言うとほんとにそうなっちゃうからさ」
「部下が楽しく仕事してないのは上司が悪いよなー。仕事を楽しんでやってる姿見せないとね」
「(部下が)こっちを怒らせないようにとしか考えてないから、何か言うと怒られてるって思うんだよね。そうじゃなくてオマエがどうしたいか訊きたいんだけどさ、っつうか」
「カネだけ目当てでやるのってしんどいし続かないよな。面白がってやんないとさ」
思わず目を閉じたままうんうんとうなずいてしまった。後で見たら40代ぐらいのおじさんたちでした。部下との関係が難しいかもしれませんが「難しい」と言うとほんとに難しくなってしまうので、そう言わずに工夫するなりなんなりして頑張って下さい。期待してます(?)
日記みたいなモノ。経由。やるみたいですよ。漆間長官の発言以降の時間から考えて、十分な事前協議がされたとはとても思えないんだけど。
忙しく働くことがいいことなのか。疲れていても休まないのがいいことなのか。他の人が忙しく働いているから自分も忙しく働かないといけないのか。
どれも違うような気がする。
場合によっちゃ忙しく働かなきゃいけないこともあるだろう。でも疲れたらちょっと休憩したらよいと思う(できるのなら)。そうすることであとの能率が上がるはず。
ある程度は他の人に合わせないといけないけど、仕事の質も自分のペースも違うのであればそこは差が出てくるのは当然だと思う。もちろんまわりに迷惑をかけるようではいかんけど。
でもこれって一般的な考え方じゃないんだよねぇ。きっと。
日記のようなモノ。経由。なんだかすっきりしませんが、とりあえず現時点では一般公開はしないということで。
関連して児童小銃内「被害者の立場に立つこと」および実物日記内「ミーガン法を欲しがる理由、統計上の犯罪抑止効果以外で」。個人的に強姦を含めた性犯罪は、対象の人格に近いデリケートな部分を虐待している可能性があるという面で、他の犯罪とは区別される必要がある。…ような気がする。
それはともかく、法の裁きは被害者の方も守るために必要だという視点は持っておきたい。と自分に言い聞かせ。
サイコドクターぶらり旅より。
私は医師ではないが、友人知人に医師や医療関係(現場の方)の人間がいるせいもあって「医者は絶対人を嫌ってはいけない」というのは現実問題として無理だと思っている。もちろん守秘義務があるから彼らは仕事の詳しいことは私には話さないけれど、困った患者さんがいるのは確からしい。まわりが「聖職」だと思っているだけに「人対人」の医療がしたくてもどうしてもまつり上げられがちで困るとか、そういうことも時々聞く。「まつりあげられやすい=卑下されやすい」という面もあるようで、これはこれで辛そうである(追記・知り合いじゃないけどこんな感じ)。
これは医療関係者に限ったことではないが、やはり自分を大切にしなければ人を大切にすることはできないと思う。医者のような大変な職にある人であればあるほどそれは大切なんじゃないのだろうか。腹を立てている自分のことは認めて、その上で仕事上で必要なことをすればよいわけで。
風野氏も書いてらっしゃるが、この女医さんは自分のことを大切にできてなかったのかもしれないなぁ、と思ったのでした。同時に自分も同じようなことをしていないかちょっと反省。
(参考)女医ななこのひとりごと(2004.9.9)(2005.1.15)
(追記)エキブロ・メディカル
(追記2)mutter away(ブログ閉鎖について思うこと(2))
(追記3)ザウエリズム。
(追記4)「読冊日記」内使命感とか感謝とか。
上のことに関連して思ったのだけど、「分かってくれない」と怒るよりは「どうやって伝えよう?」と考えた方が楽かもしれないなぁと。やらなければならないことなら楽しんでやりたい、と思う。
苦労すればいいというものではないのだ!と自分に言い聞かせ。
昨日の話の続きなんですが。女医繭奈のお気楽な医療日記経由でかけそば氏のサイトを拝見したところ、件の女医さんの削除された日記はもとより本名とか所属とかまで明かしてしまっているサイトがあったそうな。実物を見ていないのでなんともいえないのだけど、「不適切」だとして削除されたものをわざわざ掘り返して出すのはちょっとどうかなと。
(追記)サイコドクターぶらり旅(2005/01/14)のfujipon氏のコメントにもあるけれど、そもそも「医師vs患者」という図式が考えられているのがヘンだと思うのだが。
# 颯木 [はじめまして。自分でも力の無さを痛切に感じていたので、それをズバリ言われてしまい、辛かったです。いい方向に向かって本..]
# 双月 [ はじめまして、コメントありがとうございます。ほんとによかったなと思ったので採り上げさせていただいたのですが、喜んで..]
# かけそば [はじめまして。かけそばです。 みんなが、この女医さんの行為の是非を語っている間に、その裏で結構怖いことが行われていま..]
# 双月 [ はじめまして。謎なサイトへようこそおいでくださいました。元サイトをわざわざ検索して読んだばか者です(滅) 本文に..]
# 双月 [ あ、もちろんサイトで中傷はいかんと思いますですよ。というか、風野さんがおっしゃっているように、「同業者内の愚痴」で..]
「震災から10年 心の傷癒えず」とかいうヘッドラインを見て違和感を持つ。そういう心の傷は癒えるもんなのか、と。下手すりゃ生涯背負うものじゃないんでしょうか。それとどう付き合うかは当事者一人ひとりの問題だと思うのだけど。
社会的援助は技術的なもののみならずメンタル面についても当然必要だが。
常々思うのだが、やはりあまりにも気軽に病院を利用する人が多すぎる。
いやあの、気軽に利用するのは構わんと思うのですが。「無茶な期待を持って」気軽に利用すると双方にとって不幸な結果になりますよ、ということではないかとは思うけど。
ちゃんと読めてないのかなぁ、私。
(追記)大まかな意見としては(詳しい知識がないので)この方とほぼ同じ。
だそうです。…はぁ。
サイコドクターぶらり旅経由でMint Julp(よく見ると青月にじむ氏のサイトではないか)より。通常はビーグル犬みたいのが出ますが、ちょっと細工をすると違う画像が出るようです。風野氏は再現できなかったそうですがうちではできました。Operaだから?
17日の日記にツッコミが入っていたのでお返事したのであるが、なんだかよく似たツッコミがそこここに。
以下、見つけたサイトを順不同に(すべての内容に賛同と言うわけではないです)。リンクは困るという方はお手数ですがツッコミ入れてくださいませ。
…こういうのをマルチポストというのだろうか。ほんとに知らないんですけど。
と書いたのですが、よく考えたら医療系サイト持ってる人に大変迷惑じゃないか。と思ったので削除しました。すみません。
daily chirol(2005/01/22)を見ていて確かにそうだなと思う。物理的時間的に忙しいかどうかは別として、心を亡くすと忙しくなるのだ。きっと。
「多くの人」がどのレベルなのか自分でもはっきりしないのでこういうことを書くのは何なのだけど。
hotsumaのURLメモ(2005/01/23)とかそこからリンクされているgene(2005/01/19)、さらにそこからリンクされているhotsumaのURLメモ(2005/01/17)なんかを読んで、確かに「多くの人」は「自分は正常だ」と思いたいのだろうなと思った。
もちろん私も自分は正常だと思っている(思いたい)し、正常でないと言われると動揺するだろうけれど、それは「正常ではない=間違っている」という前提で「正常ではない」と言われると自分のありようが危なくなるからじゃないのかなと思う。「普通ではないけどそういう状態もアリ」であるとか、「普通とちょっと違うから普通に生活するには他の人とは別のケアが必要(=そのケアをすれば普通の生活ができる)」であるとか、そのレベルで話が止まるのであればわりとすんなり受け止められるのではないかなと。
以前にこの手の話を医者の友人としていたとき、「血圧が高い人が血圧の降下剤飲むとか風邪をひいた人が風邪薬飲むとか、そういうのは別に問題ないのに、抑うつ状態にある人が抗うつ剤飲んでるって言うときっとみんな引いちゃうんだろうねぇ」というような話を聞いたことがあったのだが、抗うつ剤飲んで普通に生活できるのなら飲まずにうつ状態で苦しむよりいいように思うのだ。私もこの友人と話すまで、精神科系の薬には偏見を持っていたのだけど。
ちょっと違うケースだけれども、16日の日記で引用させていただいた特殊学級の話にしても、そのあたりのことが関係者を苦しめている直接の原因になっているような気がする。「特殊学級に入れる=ドロップアウトする」のような図式が暗黙の了解としてあったとしたら、やっぱりお母さんとしては自分や子どもが否定されたような気持ちになってしまうだろうし。
このへんがなんとかなれば楽になれる人多いんじゃないかなと思うのだが。
で,「正常」という状態の捉え方が個人によって違う以上,端から見て「異常」と思われる人でも,本人は自身が全く「正常」であると思っている場合ってのもあると思うんです.
うん、それは確かに。傍から見てハイであっても本人は気づいてないっていうのは比較的普通に(この「普通」というのも曲者なのですが)ありそうです。
むしろ,周りもみんな異常な状態になっているので,その異常な状態の方が正常だと感じてしまうのでしょう.
あまり細かい話をしだすと自分でも訳が分からなくなるのであれなのですが、大多数の人が共有している「正常」が何であるかというのがミソになりそうですね。
引継ぎやら何やらでいろいろとこまごました用事が怒涛のように押し寄せてきた。でもスマトラ島沖の地震+津波と違って優先順位をつければ何とかなるはず。
とか言いつつ先週末に仕上げるはずだったものをようやく提出。やれやれ。
サイコドクターぶらり旅経由。『英国式庭園殺人事件』が入ってるのか…『数に溺れて』あたりを一緒に入れてくれたら考えるんだけど。
この人の映画はなんだかすごく感情移入がしにくいという印象がある。絵もゴシック調で美しいのだけどどことなくグロい。なのに目が離せなかったりする。
DVDで手に入りそうなのは『コックと泥棒、その妻と愛人』ぐらいか。そういや『枕草子』もグリーナウェイだったっけ。
はんこが必要な書類をはんこを押さずに郵送してしまった。仕方がないので後日はんこを押しに行くことにする。行ける範囲なんです、これが。なら持って行けという話もあるのだが。
年を取ったのか、最近「人生の選択誤ったかなぁ」と思っても「じゃ、別の選択をしたら満足してたのか?」と考えると意外とそうでもなさそうな気がする。
「リセットしたい」気持ちは大事にした方がいいと思うけど、せっかくだからその気持ちを建設的に発散する方向で考えたい。
リンク先は公式サイトなんだけど、アクセスが集中しているのかつながらない。42歳だそうで。まだお若いのに。
ご冥福をお祈りいたします。
(追記)はてなダイアリーのキーワード。
# トモコ [あけましておめでとうございます。 やや復活してきましたよ。 スタバやなんかのカフェではよく「いちばんちいさいの」と注..]
# トモコ [店ごとにサイズ指定の仕方がちがうのでめんどくさくなってつい(笑) ※二回のツッコミになってごめんなさい。]
# 双月 [ どもども、明けましておめでとうございます。復調何より。「いちばん小さいの」はショートかな? ツッコミの回数が増え..]