大きく外れたとかそういうことより彼がもう42歳だということに驚いた私でありました。いわれてみれば確かにそれぐらいの年であっておかしくないのだが。
犯人は36歳。ひきこもり歴20年というから相当年季が入っているのだろう。お母さんが寝たきりになっていてお父さんの年金だけで生活していたらしい。
家族に重い病気の人がいるとそれだけで家の雰囲気が重苦しくなりがちなのだけど、お母さんが寝たきりだということで同じように感じていた部分はあったかもしれない。
加えて、ひきこもっていた息子さんもこのままではいけないと思いながら自分ではどうにもならず、思いつめてしまったのかもしれない。
最近ひきこもりへの理解と支援を呼びかける書面や集会、講演会などが目に付くようになり、ようやく「排除すべき対象」「解決すべき問題」というスタンスから理解へ向けて動きはじめたなと感じていたところに起こった事件なので、関係者はきっと相当に参っているだろうと思う。無関係の私ですら、何らかの形で適切に差し伸べられる手があったら、彼も殺人犯にならないですんだかもしれないと思ってしまうのだから。
ひきこもりに限らず大きな事件が起こったときにいつも思うことなのだが、私たちにできることって一体なんなのだろう。「人助け」などと大上段に構えることではないとしたら、せいぜいがところ「予防」に努めるということぐらいしかないのだろうか。
吉田健一氏は「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と言ったそうだが、これをもじるとしたら「人命に関わるような犯罪を起こさないための唯一の手段は、視点と気分と行動とを明るく前向きに保ちそれに執着することである」とでもなるだろうか。
いまひとつインパクトのないコピーだけど。
きしさんとこのサイトにもコメント入れさせていただいたのですが。
なんであれ、それを本人が信じることによってハッピーになって(あるいはハッピーでい続けられて)、なおかついわゆる反社会的行動(殺人とか暴力とか監禁とか詐欺とかその他諸々)を起こさないで上手く適応できていってるのなら、信じる対象がなんであってもそれはそれでいいような気はする。わざわざ「科学的にも証明されている」とかいう話にしようとするから無理が出てくるのであって。
「信じる」ということは本人の内的(心的?)過程であるが故に、外側の共通事象として現れない限りは認められない「科学」の視点で完全に証明することは不可能に近いはずだし。
…なんだか小難しい文章を書いてしまいましたが、つまりは「理由はよく分からないし科学的には証明もされていないんですが、これでよくなる人もいるんですよ」でいいような気がするのです。もちろん信じている人を食い物にするようなことはするべきでないとは思いますが。
ただ、プラシボ効果*1(これも100%生じるものではない)についてはある程度の実験的証明がされているようなので、ここはある意味科学的と言えるかも。治療法にこだわる人には申し訳ないが、治療法に対する期待で治ってしまう、ということは十分ありえる。
*1 実際には薬効のないものを「薬である」と言われて服用した場合(偽薬であるから本来は何の変化もないはず)に、症状に何らかの改善が見られるケース。薬だけでなく療法などにも当てはめられる。実際には新薬の薬効を測定するのに最もよく使われている様子。…詳しい方おられましたらお願いします…
# shachi [科学は科学でも脳科学方面から一つ。 「信じる(ある一定方面に思考が行く)ことは、脳の活性化につながる」 なので、悪い..]
# 双月 [がくしさん:すいません、ことば足らずでした。信じて上手くいってるものについてまでどうこう言う必要はないだろう、という..]
# 双月 [↑何か上手く言い切れてないですが、今回のケースでは実害が出ているのでほっといていい類のものではないと思うです。]
# shachi [んでね。(続き) 物、に対して「文字が読めるんだ、話を聞いてくれた」って言うのは無いです。 それに脳があり、思いこむ..]
# 双月 [>んでね。(続き) あい(笑) >物、に対して「文字が読めるんだ、話を聞いてくれた」って言うのは無いです。 了..]
# shino [ごゆっくりお休み下さい。またの復帰を待ってます。]
# shachi [んー、またね。復帰待ってます。]
# スズキシゲオ [しっかり充電してきてくださいな。]