鱒沢にある愛宕神社だが、詳細不明。
本殿内部には、向かって左が愛宕社。右が金毘羅社で合祀となっているようだ。
「宮守村誌(下鱒沢地誌)」に、金毘羅神社は字沖中と字細越にあると記されているが、この愛宕神社の場所から猿ヶ石川ほ隔てた対岸の地に細越があり、神子との境界に鳥居と共に大きな金毘羅の碑がある事から、この愛宕神社に合祀された金毘羅神が祀られていた元地であろうか。字沖合は、見付けることが出来ないでいる。
金毘羅の額は明治時代となっているが、遠野の金毘羅神社の大抵は、木流しによる水難事故などから勧請された場合が大半である。江戸時代には、盛んにお伊勢講や金毘羅講が行われ、お伊勢参りと金毘羅参りに遠野の人達も大勢行ったようだ。
本殿手前に、湧水の場所がある。恐らく御神水であるだろうが、この暑さの為か、水が涸れつつあるため、流れも無く淀んでいる。
遠野には、多くの愛宕神社があるが、大抵は村の外れの小高い山に鎮座している。この愛宕神社も、それに当て嵌まる事から本来は愛宕神社があり、後から金毘羅神社が合祀されたのだろう。
本殿の周辺は神の斎く目印としての松ノ木が植えられており、遠くから見ても確認できる。
ちなみに、この愛宕山へ登ったのはお昼頃。愛宕山山頂に着いた頃、地域の望楼からの放送があり
「鱒沢駅近くに熊が目撃されました。近くの方は、じゅうぶん注意してください。」と聞こえてきた…。